漫画家は漫画を読むべきか?

まず、僕の現状をお話ししますと、漫画はあまり読みません。

雑誌を買うことはここ数年(10年くらい?)なく、単行本は紙書籍はまず買いません。
時々、気になった漫画を電子書籍で購入することがあります。
エッセイ漫画をたまに買います。

漫画家には、漫画を日常的に読む人と、まったく読まない人がいます。
前者は「漫画が大好きで、毎日仕事で漫画を描いているのに、自分の時間も漫画に使う人」だったり。
後者は「仕事で散々漫画に触れているのだから、自分の時間は漫画を忘れたい人」だったり。
どちらも気持ちはわかるし、それほど単純化できる話でもないのですが。

「漫画を日常的に読む派」の漫画家からすれば、「読まない派」は不勉強で漫画に愛情がない人に見えるかもしれません。
「読まない派」からすれば、「読む派」は漫画の他に趣味がない人に見えるかもしれません。

10代と20代、漫画家を目指していた頃、僕はたくさんの漫画を読みました。つげ義春さんや六田登さんや新井英樹さんやたくさんの漫画家が好きでした。
作家買いすることが多かったです。
中野のまんだらけで古本を全巻セットで購入し、休みの日に布団にくるまって1日中読みふけることが幸せでした。

手塚治虫を読まなければ漫画は語れないと思い、全集を200冊以上集めました。
藤子不二雄全集もコンプリートを目指しました。
さいとう・たかをや白土三平も知らなきゃ漫画は語れません。
巨匠と呼ばれる作家の作品はできるだけ網羅しようと努めました。
各ジャンルを体系的に理解したいと思い、少女漫画からサブカルまで色々なジャンルを読み漁りました。


漫画だけ読んで漫画を語っていてはいけないと思い、小説もたくさん読みました。

実家に住んでいた頃には、父の本棚にあった日本文学全集、世界文学全集をほぼ全て読みました。
芥川龍之介や太宰治やドストエフスキーやシェイクスピアや、いろんな作家が好きになりました。
谷崎潤一郎を読んだ時は、ド変態な世界が文学として堂々と家庭の本棚に置かれている事実に衝撃を受けました。
三島由紀夫もやはりド変態で衝撃を受けました。
変態の中でも安部公房がお気に入りでした。

大学生時代、世界中の古典と呼ばれる文学作品を読破しようと思い立ち、岩波文庫で新品10万円分を購入しました。
週3冊を目標に読みました。
哲学書は途中で挫折することが多かったです。


すると頭でっかちになって、漫画が描けなくなってしまいました。
小学生の頃のように無邪気に漫画を描くことができなくなり、本を読めば読むほど、考え込んで描けないという悪循環に陥っていました。


ある時、僕は持っていた本を全て捨てました。
(半分くらいは中古で売りました)

その後、数年間は本を読みませんでした。
音楽も聴かず、映画もテレビも観ず、携帯やインターネットはまだありませんでした。

それから漫画家になり、また本を少し読むようになりましたが、以前ほどの熱を持って読むことはなくなりました。
自分が本の作り手側になってしまったので、純粋に読者という意識で読めなくなったのかもしれません。

「人気が出ちゃったから連載の引き伸ばしにかかってるね」

「売れようとして展開を日和ったな」

「これは編集者に描かされてるな、作家が能動的に描いていないね」

「確かに面白いが、僕のほうが面白いな」

素直に漫画を楽しむことができなくなってしまいました。
取材用の本や、資料としての本はたくさん読みました。
編集者から資料本を1冊渡されると、「1冊で何がわかるんだよ?」ともう10冊買って読みました。


そして、今現在、漫画を含め新しい本はあまり読みません。
活字を読む量は昔より増えている気がします。
ネットの記事を毎日読みます。
電子書籍で古典文学、哲学を時々読み返します。

思い返すと、これまで読んだ本について、内容をあまり覚えていません。
「内容を説明しなさい」と言われたら、「よく覚えていないけど、良かった気がする」くらいしか言えません。
いくつか印象に残っているシーンがあって、そこだけ細かく説明できるかもしれません。

何せ自分で描いた作品すらよく覚えていなかったりするのです。
読者に「このシーンのこの描写に感動した」と言われても、「そんなシーン描いたっけ?」となってしまうことがあるのです。

では、読んでも意味がなかったのかと言えば、何となく作家としての糧になっているような気もします。


流行りの漫画家の名前を覚えられなくなりました。
流行っている漫画を見かけても、「異世界モノの何か」というくらいしかわからず、他の作品との見分けがつかなくなりました。
で、何か読みたくなったら、ライトなエッセイや一度読んだことがある作品を再読する。
新しいものを欲しなくなり、すでに知っている物をリピートする。
老化の一種なのかな?

もしも、今、僕がヒットしている作品を読み込み、その理由を分析し、それを超える作品を描こうとしらたどうなるでしょう。
多分、失敗します。
僕がそれを描く頃、次の新しい何かが登場していることでしょう。
新しいことは新しい作家のほうが得意で、老人が後追いしてもかないっこがありません。

作家は第1作を描いた瞬間が一番フレッシュで、後は古くなっていくだけです。
古くなっていくなら「どう古くなっていくか」「どう熟成させるか」が重要です。
僕は、僕の作り上げてきた世界観を深める方向に向かいたいです。



6~7年前に東京から少し離れた小さな街に引っ越しました。

免許を取り、車を運転するようになり、釣りを覚え、料理をするようになりました。
子育てに悩み、夫婦関係に悩み、電子書籍の取次業務と社長業が忙しくなり、漫画を描く量が減りました。

本が好きです。
漫画が好きです。
もっといろんな作品を読みたいです。
もっとたくさん描きたいです。



今日の夕暮れ、海辺を歩きました。

アトリエから徒歩1分で海なのです。
砂浜をスニーカーで歩くと砂だらけになるので、素足にビーサンで歩きます。
冬の砂は乾燥してサラサラしています。
冷たくて気持ちがいいです。
冬でもビーサンで歩く習慣が抜けず、東京の事務所にもちょいちょいビーサンで出社してしまいます。
出社してから気づき、ちょっと恥ずかしい気持ちになります。

ちょうど夕日が沈む直前で、波打ち際には携帯のカメラを構えた観光客がたくさん並んでいました。
みんな夕日を撮影しています。
みんな靴を履いています。

こんなにたくさんの人がいるのに、誰も冬の砂の冷たさやそれを足で感じる気持ちよさを知らないんだな。

海岸を端から端まで往復するのが日課です。
向こうから素足にサンダルの人が歩いてきました。

あの人もこの気持ち良さを知っているのだな、と思いました。

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