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「陰謀論」にかんする走り書き

ツイッターで陰謀論者を非難するツイートを見かけて思うことがあって書きあらわしたくなったので少しだけかく。(追記: 少しだけって書いたけど結局ちょっと長めになった)

要点:「陰謀論」と呼ばれる情報を「陰謀論」と呼んでしまうことそのものに、陰謀が潜んでいるような気がする。

1. 「陰謀論」と呼ぶことと、情報の鵜呑み

そもそも一般に、ほとんどの場合情報というものは100%信頼できたり蓋然性があるものではない。それは「陰謀論」と呼ばれる情報であろうが、テレビ・その他メディアで得られる情報であろうが、噂話であろうが同じだ。(たとえば俺がめちゃくちゃ信頼してる友人がとある事件を目撃して、その事件の様相を正直に詳細に説明してくれたとしても、すなわちめちゃくちゃ信頼できそうな情報であっても、その情報は必ず友人の解釈や意図を含むため、俺自身の中で吟味する余地が必ずある。)

そして、だからこそどんな情報についてもそのまま鵜呑みにせず自分の中で吟味して、自分なりの仕方で情報をとらえることが大事なのだと思う。それはたとえばテレビで放送されている情報や、「陰謀論」と呼ばれる情報についても全く同じように大事だ。

しかし、とある情報を「陰謀論」と呼んでしまうことは、情報をじっくり吟味することを放棄してしまう効果をもつのではないか。少なくとも、その情報に対して「これはどうせまやかしだろう」というバイアスをもって吟味することになってしまうのではないか。と思った。

「陰謀論」という言葉が使われるとき、もしくは誰かを「陰謀論者」と非難の意図を込めて呼ぶとき、「こいつしょうもない情報を信じ込んでるよ」みたいなどこか蔑むような気持ちを感じる。いや、ちょっと違うニュアンスかもしれないが、少なくともマイナスの気持ちがこもっているように思える。そのような気持ちをもって情報に向き合うとき、ふだん情報に向き合うときの姿勢と同じように向き合うことは不可能な気がする。むしろ、「どうせウソなんだろ」というバイアスがかかってしまうように思える。

そしてこの「どうせウソなんだろ」というバイアスを持って情報に向き合うことは、情報を鵜呑みにすることと本質が一緒であるように思う。なぜなら情報を鵜呑みにすることは、いわば「どうせ本当なんだろう」というバイアスをもって情報に向き合うことであり、どちらの向き合い方も情報をニュートラルな気持ちで吟味する姿勢を失っているように思えるからだ。ある情報を鵜呑みにすることはその情報を吟味せずに受け入れることであり、ある情報を「陰謀論」と呼ぶことはその情報を吟味せずにシャットアウトしてしまうことのように思われる。

2. 「陰謀論」と呼ぶことに潜みうる陰謀

さらに、ある情報を「陰謀論」と呼ぶことは、もしその情報通りの陰謀が存在したとき、その陰謀の主体にとってとても都合が良いことなのではないかと思った。

すなわち、例えば俺が「ワクチンに生物兵器を仕込む」という陰謀を図っていて、その計画の情報がどこかから漏れ出たとき、ツイッターとかで「そんなのただの陰謀論でしょ(考えるのに値しないよ)」という態度をとられたらとてもありがたいと思うということだ。ありがたいというか、むしろ自分から偽アカを作って「そんなの陰謀論だろ?なにいってんのこいつばかじゃん?」みたいなことを言って自ら陰謀の計画を隠すだろう。

ちょっと眠くて頭が働かなくてうまく文章を書けないけど、言いたいことは明確だ。

陰謀を図っている主体は、もしその陰謀が陰謀の対象にバレかけたとき、「そんなのは陰謀論だ、信用に足らない情報だ」と流布し、「陰謀論」という言葉がもつバイアスを利用して、自身の陰謀に関する情報が対象に吟味されないように・シャットアウトされるように仕向けるだろう。

「あいつは陰謀論者だ」という類の非難には、「あいつは自分の頭考えずに陰謀論を鵜呑みにしている」というようなニュアンスを感じることがあるが、「あいつは陰謀論者だ」と非難することは「陰謀論」を鵜呑みにすることと同じぐらい愚かではないか、と思ったのでこの文章を書くことにした。

なんか文章がどこか気持ち悪い。申し訳ないです。眠いのです。

それでは、案外長くなってしまったけど、さいなら〜(余談も読んでくれるとうれしいです)

余談

今回は「陰謀」という言葉をあいまいに濫用したが、「陰謀」ってなんなんでしょう。「陰謀」っていうとどこか遠くにあって大きくてよくわからないもののような気がするけど、「陰で謀る」って言い換えると実は意外と身近にあって、俺ら自身も結構やってることな気がしませんか。例えばサプライズ誕生日パーティーとかまさに陰謀ですよね。誕生日の人にバレないようにコソコソ陰に隠れて、時にはちょっとウソついて(「いちごケーキ好き?え?いや単純に気になっただけ...!」)パーティーの日取りとか場所とかケーキを計画していくわけですから。他にももっと身近なところで考えると例えばバイトを辞めるときに「どうやって辞めよう...店長に正々堂々と言おうかな...突然すぎるかな...匂わせてからそっとフェードアウトしようかな」とか考えてるのも陰で謀ってることですよね。ここまで身近なところで考えると「え、それさすがに最初話してた陰謀と意味ちがくない?」という気がしてくるかもしれませんが、俺は本質的には同じことなのではないかと考えてます。そして、このように考えるとますます「陰謀論」「陰謀論者」という言葉に、情報をニュートラルに捉える意志を損ねさせるまやかしが含まれているように思われます。

余談だけ敬語になってしまったw

おやすみなさいー

次なんか面白いことやるように使おうと思います。 もらえたらめちゃくちゃ喜びます。 サポートの際、これやってほしい!みたいなのがあれば反映されるかもです。