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拠点をデザインする

今年2020年は、「拠点」をどうやって、つくるのか、つかうのかについて、いろいろと考えていきたいと思います。

今後、拠点をつくるとしたら、どんな可能性があるのか、それを多くの人と共有して、共創できると嬉しいです。

まずは、2000年から2020年。自分たちがどんな拠点を企画運営してきたのか。9の拠点を振り返りかえってみます。

1 D-net Cafe  2000年

2 KISS CAFE  2001年

3 国立本店   2006年

4 西荻紙店   2011年

5 国分寺さんち 2014年

6 国立五天   2016年

7 マルヒノ   2018年

8 つくし文具店 2005年

9 9坪の宿   2020年


そもそも、なぜ、自分たちで拠点をつくりはじめたのか。それは、1994年に新宿にできた「リビングデザインセンターOZONE」という施設で、展覧会の企画運営をしたことが大きく影響しています。2004年までの10年間で、大小300以上の展覧会に関わる中で、1000人以上のデザイナーや建築家と出会い、その考え方や方法から学びました。

そして、住宅をつくりたいという人や、関連する専門家が集まるこの施設があることで、人や情報がリアルに集まり、交流が生まれ、何かがはじまることを体験しました。場所の力を感じ、そこに身を置くことで、その可能性を感じ続けた10年間でした。

そこから、同世代(1990年代の当時30代、1960年代生まれ)のデザイナーが、建築、インテリア、プロダクト、グラフィックなどのジャンルを越えて、つながることで、暮らしや社会をもっと良くしていくことが可能ではないかと考えるようになっていき、仲間と「D-net(ディーネット)」という名前の交流会をはじめます。

交流会は、10人程度からはじまり、2ヶ月に1回、インテリアショールームやデザイン事務所、カフェなど、様々な場所を借りて開催しました。そこでも場所の持つ力を感じました。どんな場所で交流会を開催するかで、集まってくる人たちが違うことを身をもって知りました。大阪や京都でも開催し、多い時で、1度に200人以上が集まりました。

D-netは、1998年から2004年の間、39回開催し、500人以上が登録し、のべ5000人以上が参加した交流会でした。


1 D-net Cafe 2000年

その中で、2000年の1月から3月の間、10週間の期間限定で、吉祥寺に「D-net Cafe」という活動拠点を仲間とつくりました。9本の展覧会と、展示販売、トークイベントと交流会が、毎日続きました。

ここは、取り壊されるビルの2階で、オーナーと知り合いで、ビルの建て替えプロジェクトをサポートしていた縁で、テナントが早めに退去したので、自由に無料で使っていいということではじまりました。改装費にかけるお金もないので、自分たちで、壊して、ペンチで白く塗って、最低限の工事をした空間でした。

今なら、クラウドファンディングで、お金を集めることもできそうなプロジェクトでしたが、2000年の当時は、そんな仕組みはおろかSNSもない時代で、それまでD-netでつながったのデザイナーを核に、ほとんど口コミのような状態でしたが、吉祥寺というまちにも噂が広がり、多くの人が訪れる場所になりました。

10週間という短い時間ですが、密度の濃い体験と、都心とは違う自分が育った多摩エリアにある吉祥寺というまちの人とつながることができ、拠点が持つ大きな可能性を感じました。


2 KISS CAFE 2001年

その後、D-net Cafeで出会った吉祥寺で活動するNPOといっしょに、吉祥寺駅前のマンションの6階に、「KISS CAFE」という拠点をつくることになりました。「まちのリビング」というコンセプトのその空間でも、様々な人が行き交い、そこから吉祥寺の人々を紹介する「きちぼん」という本も生まれました。

この「KISS CAFE」という拠点を運営する中で、たくさんの気づきがありました。報酬のない活動は、そこに参加するモチベーションにかかってきます。お金を稼ぐための仕事とのバランスを考えるようになります。参加するメンバーの目的意識の違いや、金銭感覚の違いなど、やればやるほど違いが見えてきて、対立軸が増えていきました。

いくつかの嫌なことが続いたことで、ぼく自身、この拠点での活動を離れることになりました。


3 国立本店 2006年

その後、2006年に、国立駅の近くに「国立本店」という拠点をつくりました。

これは、ぼく自身が2004年にリビングデザインセンターOZONEを辞めて、育った多摩エリアでの活動をはじめたことが大きく影響しています。 D-net Cafeから6年が過ぎていました。

たまたま知り合った人の実家が国立駅の南側にあり、その1階にある使われなくなった個人経営の不動産スペースを借りられることになりました。

家賃は、発生するものの、敷金礼金なし、自由に改装していいという条件でした。仲間を集めて相談して、改装費を出し合って、拠点として運営することにしました。デザイン、建築、アートに関わるメンバーでしたが、あえてテーマを「本」として、自分たちだけが使うのではなく、誰でも使うことができる開かれた場所を目指しました。

奥にある小さなスペースを、一人のデザイナーが事務所として家賃を払い、同時に、このスペースの運営をするという店長制システムにしました。それ以外の光熱費や経費は折半で、店番などの運営は、メンバーとその周辺の人がになっていました。

ウェブサイトもつくり、最初の頃は、連続して展覧会を開催するなど、イベントを頻繁におこなうことで、地域に住むデザイナーなどとたくさんつながることができました。

同時に立ち上げた「国立デザインセンター」や「中央線デザイン倶楽部(のちに「中央線デザインネットワーク」と改名)とも連携し、このエリアに住むデザイナー、建築家などとの活動が手探りではじまりました。

その後、国立本店は、2年、2年、2年と店長が交代し、6年間、経過しました。次の店長が見つからないことから「ほんとまち編集室」というメンバー制に移行します。30人ほどのメンバーが月3000円から4000円程度のお金を負担して、1年間ごとに、その場所を拠点に活動します。


4 西荻紙店 2011年

「西荻紙店(にしおぎしてん)」は、中央線デザインネットワークの2番目の拠点として、2011年にできました。震災がきっかけでした。国立本店がはじまってから5年後のことです。

国立本店の最初の店長のグラフィックデザイナーと、様々なプロジェクトを進める中で、二人とも、もう少し都心に近いところに拠点が欲しいと考えはじめます。震災がおきたことで不動産を探す余裕ができ、何かをはじめたいという気持ちが高まりました。

もう一人に声をかけ、3人で運営をしていくことになりました。このスペースのテーマは、当時、紙製品を多く手がけていた二人がいたことで、必然的に「紙」となり、毎日、お店としてもオープンし、紙製品の販売をしていくことになりました。

と同時に、展覧会やワークショツプ、見学会など、紙製品にまつわる企画を続け、紙好きに認知される拠点になりましたが、3人の活動が変わっていく中で、2015年に閉店し、2016年からは、「西荻ペーパートライ」という活動拠点になりました。


5 国分寺さんち 2014年

西荻紙店がオープンした3年後の2014年にできたのが「国分寺さんち」です。ここは、国分寺駅から12分くらい離れた山の上の住宅地にあります。たまたま参加した不動産ツアーで出会い、すぐに借りることにしました。

1999年頃から、借りる予定もないのに不動産を見ることが好きになり、可能性があれば借りるクセがついていました。この時も、その建物の屋上が気に入り、国分寺駅付近に、拠点があったらいいなという安易が気持ちで決めていました。

いろいろと考えて、「デザインを活かした仕事を産む」というテーマにして、そこから「国分寺さんち」という名前になりました。拠点やプロジェクトをつくる時に、いつもこだわっているのが名前です。試行錯誤の末に、その拠点にふさわしい名前が見えてくると、なんだかできた気になります。

どんな拠点にしようか、そこで、どんな人と、どんな活動をしようか。そんなことを考えているのが一番幸せな時間なのかもしれません。

6ブースあるシェアスペースである「地域のデザイン制作室」。そして、共有スペースを使った「しごととデザイン研究室」という活動、さらには、「国分寺さんちネットワーク」というゆるいつながりをつくっていくことにしました。

改装費は、同時に立ち上げた「株式会社シュウヘンカ」の創業補助金を活用することでまかない、スタートしました。この拠点ができたことで、国分寺市とのつながりが強くなり、仲間も増えていきます。


6 国立五天 2016年

その後、2016年に、「家族」をテーマにした拠点としてスタートしたのが「国立五天」です。その当時、三鷹に4番目の拠点を構想していたため(その後、この拠点の候補がなくなる)、この拠点が5番目だったので、ついたのが「五天」という名前です。

この場所は、国立本店のオーナーが変わり、借りられなくなる可能性もある中で、次の拠点を探してる時に、偶然に前を通りかかり見つけました。国立駅南口から徒歩5分ほど、通りに面した5階建てのビルの3階、4階、5階の120平米程度の広さがありました。

拠点の家賃の基準として、坪5000円というのがぼくの中にいつのまにかできました。ここもその基準を満たしていたのと、国立本店の路面とは違う、秘密基地的で家庭的な雰囲気が気に入り、やはり借りてから新しい活動を模索します。

その時、1年間のうちに、姉、父、妻の3人が次々と亡くなりました。それまで、身近な家族を亡くす経験がなかったので、とてつもないダメージをうけました。と同時に、気のおけないいつでも気軽に頼める家族みたいな仲間が欲しいと思いました。遠くの親戚より、近くの他人。核家族ではない、まちの大家族。

そんなタイミングだったので「家族」がテーマになりました。「住まないシェアハウス」として、「国立家」というまちに開かれた家族が自由に使える拠点として、スタートしました。

この国立五天のルールはシンプルで、「自己紹介しない」ということです。その場に共にいることを重視し、その場以外で、何をしているかを問わない。そんな人間関係を模索しています。地域で活動する中で、いつも自己紹介を求められる窮屈さと、「いつもはこんなことをしています」という自己紹介に違和感を感じていたからです。


7 マルヒノ 2018年

2018年に、日野駅から徒歩10分ぐらいのところにできたのが「地図と写真とお酒とつまみ」という「マルヒノ」という立ち飲み屋です。

ここは、娘がネットで見つけて、たまたま、時間があったぼくが見に行ったことで借りることになりました。住居付き店舗という古い物件で、信じられなれないほど格安な物件でした。

2014年から日野にある明星大学デザイン学部で教えはじめ、少しずつ日野とのつながりが増え、日野に活動拠点が欲しいと考えていたタイミングでした。

拠点を借りる時は、いつも自然な流れで、物件に出会い、その周辺で人がつながり、広がっていくという感じがしています。マルヒノもいくつかの縁がつながり、スタートすることになりました。


8 つくし文具店 2005年

ここまで、できた順に拠点のことを説明してきましたが、そもそも、ぼくの原点は、実家である「つくし文具店」です。生まれて半年で引っ越してきた国分寺市の家。家族5人が住むこの家は、郊外の住宅地にありながら、おふくろが家の片隅で文具店を営んでいました。

家なのに、開かれた店がある。このスタイルの家で育ったことが、ぼくの家や地域に対する感覚を育んだのだと思います。閉じた拠点でなく、開かれた拠点にしたいという想いは、ここからはじまっています。

2004年に会社を卒業して、フリーで活動をはじめた時に、自分が育った地域で何かしたいと強く思いました。お金もなかったので、自分の家で使われずに物置になっていたこの場所を活用することにしました。

文具店だったのであとを継いで、2代目になることが面白いと考えて、「つくし文具店」という名前を継承しました。取り扱う商品や、内装、運営の仕方は、全く違うものになりました。

テーマは、「つながる くらしと しごと」。地域に開かれた店ではなくて、地域を開く店を目指しました。郊外の住宅地というそこに住む人しかいないような地域に、外から人がくる店にしたいと考えました。

最初は、ぼくともう一人の二人で交替で店番をしていましたが、2年目からは、偶然にも黒板があることから「日直制」という無償で店番をしてくれる人を募ることになります。その数年後に、そこから「ちいさなデザイン教室」という学びの場に発展して、1年間27人が、学びながら活動する拠点に育ってきています。


9 9坪の宿 2020年

今年2020年4月。新たに拠点が生まれます。今度の拠点は、「宿」です。三鷹にできます。中央線の武蔵境駅の南側、歩いて15分の住宅地。ここは、自分たち家族4人が住むために1999年に建てた「家」でした。

1952年に建築家の増沢恂さんが建てた自邸、通称「最小限住居」の軸組を、当時勤めていた住まいの情報センター「リビングデザインセンターOZONE」で再現したことがすべてのはじまりでした。

担当者だったぼくは、その軸組の惚れ込み、自宅として完成させたいと考えました。土地を探し、ローンを組んで、リデザインを小泉誠さんにお願いし、完成させました。多くのメディアに取り上げられ、9坪ハウスというプロジェクトも生まれました。

転機が訪れたのは、今から4年前の2015年9月。妻が突然、くも膜下出血で亡くなります。管理人を亡くした家をどうするか、ふたりの娘と3人で、試行錯誤を繰り返します。

一時は、売ることや、貸すことを考えましたが、多くの人が訪れる家を活かすために、民泊事業として、この家に関心のある人たちが泊まれるようにする方向で、意見は一致しました。

どうせなら、この地域も含めて楽しんでもらおうと、いろいろと準備を進めています。され、これからこの拠点がどんなふうになっていくのでしょうか?


まとめ

この文章を書いている2020年3月5日。世間は、新型コロナウィルスで大騒ぎです。イベントが中止や延期となり、学校をはじめ、公共施設、商業施設など、人が集まる場がなくなり、人との距離がどんどん離れています。

人がつながり、活動する拠点をつくってきたぼくとしては、なんともやるせない状況です。震災の時には、こんな時こそ、人がつながろうとなっていましたが、ウイルスは、人を引き離していきます。

この状態が永久に続くとは思いませんが、人が集まる、人がつながる、人といっしょに活動する場を早く取り戻したいと願わずにはいられません。

しばらくは、いくつかの拠点の身辺を片付けて、活動の本格的な再始動に向けて、準備したいと思います。ネットの活用と、リアルな場の価値。人と人がつながる意味。まだまだ、考え続け、より良く生きるための拠点を考え続けます。



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つくし文具店 店主
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