空を見るともやもやを思い出す
空を見上げてみた。
いつぶりだろうか?まったく思い出せない。
前回空を見上げた日を思い出せなくても、かつて空を見上げたある日のことを思い出した。
こちらのポエムアカウント「sharing love の部屋」を始めた日のこと。
あの日も空が綺麗な日だった。
この写真にあわせてこんな詩を書いた。
当初このアカウント名は「きれいごとの部屋」としてスタート。
あるときは綺麗事に聞こえたとしても、あるときは心に響くような言葉を紡げたら・・・という想いを込めて始めた。
じゃあそもそもなんでそんなことを始めたのか?
それは当時心にもやもや、違和感があったから。当時社会人1年目。このアカウントを始める数ヶ月前、当時大学院を休学していた私は最後の思い出に、と海外ボランティアに参加した。
このCFFは私の人生にとってかけがえのない経験になった。
ざっくり言うと、この海外ボランティアを経て、うまく言葉に表せられない形のないものをもっと追い求めたいと思ったのだ。
しかし、私が入った会社はしっかりものをつくる仕事だった。会社の風土も含めてちょっと合わないかもしれないと思い始めていたところだった。
そしてもう一つ。この海外ボランティアにより、人間関係もかなり広がった。仲間が増えたのはとても嬉しかったが、人との距離感をはかるのが苦手な私にとって、うまくコミュニケーションができないことも多々あった。
どうなったら近しい距離と言えるのかわからない。楽しい嬉しい快い面白い幸せという正の感情を最初のハードルとして、不平不満や怒りや悲しみや妬みや嫉みや苦しみや寂しさ…これら負の感情まで共有できるようになれば近くなったと言えるのだろうか。
距離感を間違えてしまって、「そこまでの関係じゃないよ」って嫌な気持ちにさせてしまったことも何度もある。その度に本当に申し訳ない。
仕事で細かい指示がなくてどこまでやるかわからず、やりすぎて「あぁ…」となるときに似ている。
一方で、悩みを打ち明けたらすごく聴いてくれて、嬉しくなると嬉しくなりすぎてしまう。その人のことを人としてめっちゃ好きになる。
ただ、私の場合それが1ヶ月限定だったりする。まるで、映えるスイーツや一発屋芸人みたいに。
日々暮らしているなかで感じるもやもやはまだまだあるのだが、そんなこともポエムに昇華できるかもしれない、というわずかな希望を持って「きれいごとの部屋(現・sharing love の部屋)」を始めた。
ということを思い出したという話。
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