見出し画像

チェリーピッキング

みんなは元気にしているのだろうか。
みんなというのは、みんなだ。
一日に一回くらいは笑えているだろうか。
ちゃんと眠れているだろうか。
仕事は続けられているだろうか。
趣味は続けられているだろうか。
最近はどんな映画を観て、どんな本を読んでいるだろうか。

こちらは、いろいろと思うことがあって、考えていることがあって、学んだことがあって、それらがどんどんと溜まっていくから頭が重くて仕方がない。しかし、情けないかな吐き出す気力を失くしてしまったために、毎日逆さまになって暮らしている。

先日「もう遅い」というタイトルで人になにかを伝えることを諦めた旨を書いたが、このところは日常会話すら億劫になった。

言葉はもう使えないのではないかという気がしている。旅の途中で息絶えたラクダのように。まだまだ砂漠は続いているのに、死んだラクダを引きずって進むことはできない。

だから、死ぬまで黙っていようかと思ったりもする。夏目漱石は「黙っていてもしゃべってもおなじこと」と言い、小林秀雄は「ぼくはとにかく人を説得することをやめて二十五年くらいになるな。人を説得することは、絶望だよ」と言った。

それでも、注意深く見渡せば、死んだラクダを背負いながら懸命に歩く人がいる。じぶんはそうした人たちの話を聴くのがとても好きだ。見習わなければならない。そして、なんとかまた立ち上がりたい。チェリーピッキングには気をつけて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?