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#89 滅びの前のシャングリラ

「1ヶ月後、小惑星が衝突し、地球が滅びる」と言われた時、
私はどうするだろうか。
怯えるのか、割り切るのか、希望を見出せるのか。
よくある恋愛映画などでそんな表現があるけれど、実際にそうなると
人間はどうするんでしょうね。

正直、自分がどうなるのかなんて想像もつきません。
だって、いくら想像しても、それは想像の域を超えないのだから。

本書の中では、それこそ終末世界になっていきます。
自分の何かのために、倫理観が崩壊し、
人殺しや強奪、そんなものが横行します。

世界が滅びるってなったら、
そうなるのかもしれないですね、
人のために何かする、なんて余裕は無くなるでしょうし、
自分と身の回りの誰かのために、残りある時間を使いたいと思うのかもしれない。

一方で、未来のために何かを我慢するということからは解放される。
将来起こるかもしれない何かのために貯金したり投資したり、保険に入ったり
「今」一瞬のために、自分のエネルギーを集中できる。
そういう風にも思います。

私も含め、未来のために我慢することが今って普通になっていると思います。
それで諦めていることが多いとも思います。
エネルギーを出し惜しみしているというか。
全力投球できていないというか。

理由をつけて諦めることで、省エネを測っているようにも思います。

どっちがいいとかという話ではないです。

うまく諦めることも大事
心も体も疲弊してしまわないように。

けれども、何のために省エネをしているのか
自分の一丁目一番地を見失わないのも大事。

私も、ライフステージが変わり
意思決定が自分との対話だけで済まない場面が増えてきました。
人のせいにして諦めるのは楽なので
それをすぐにしてしまいそうになります。

「週末世界になった時に自分が何を捨てて、何を守るのか」
それが自分の中でもはっきりしていないことに
自分自身がモヤモヤします。

「コスパ良く」なんて言葉はこういう時に悪く作用する気がします。
コストパフォーマンスを気にすべきところと
そうでない部分が各々にあるはずだと思うので
それがないままにコスパに引っ張られて、自己を失う。
そんな感覚が私の中にもあります。

もう少しゆっくり考えたい
そんな問いを貰いました。



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