![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/26683347/rectangle_large_type_2_4eb7e1f94ed8ab9738be82e18833cdca.png?width=800)
続けること
私は、何かを続けることが大の苦手だ。
これは数ある私の短所の中で最も大きな短所かもしれない。
なぜ自分は飽き性なのか、考えに考えた時期がある。
その結果、自分が飽きてしまう原因がいくつかあることが分かった。
①目的の手段化が進み、作業に楽しさを見いだせない
②新しい刺激に目移りしてしまう
③凝り性を併発しているため、中途半端な出来なら最初からしないほうがいいと思っている
これらが私が飽きてしまう三大原因だ。
日本に3千万人はいるであろう全国の飽き性の人は、共感してもらえるだろうか。
もう少し掘り下げてみる。
①手段の目的化が進み、作業に楽しさを見いだせない
無駄なことが嫌いなので、すぐに効率化しようとしてしまう。
いい効率化をすれば、活動内容もどんどん良くなるのだけれど、
悪い効率化も同時に進んでしまう。
良い効率化は、エネルギーをセーブしつつも、方法の改善のサイクルも
同時に回している。
悪い効率化は、自分がラクできるように仕組みを整えるだけの、ただの
サボりの一種である。
そして、悪い効率化の成れの果てが、手段の目的化というわけだ。
②新しい刺激に目移りしてしまう
SNSなどを見ていれば、様々な人の活動の成果が見えてくる。
それらを、手放しにうらやましいと思ったら、そこで興味が移ってしまう。
人生は有限(あえて主語を大きくするけれど)なので、人生の使い方は間違えないように、中途半端に手をださずに、手を出すなら徹底的にするように
心下懈怠。
③凝り性を併発しているため、中途半端な出来なら最初からしないほうがいいと思っている
巷の話によく出て来る、たまの休日だけ非常に凝った料理をするダンナ理論である。
この手の人は、心の赴くままに行動して、地味な部分には目が向けられない、怠惰の化身である。まさしく私のことだ。自戒を込めて。
凝り性というのは、実はただの言い訳で、凝ろうと思えば、かける時間はいくらでもあるのだが、そこに時間をかけるのができない。理由はさしづめ、①か②だろう。
そんな中、私は「30dayMusicChallenge」という1日1曲、曲を紹介する企画でnoteを更新した。
平日も休日も、毎日1曲ペースで何とか続けて、31日で30曲を紹介することができた。
(しかも、差分の1日は、別のnoteを急遽書いたためだった)
この30日は飽き性の私でも、なぜか続けることができた。自分でも不思議なものだ。この原因を考えて、次につなげられればと思う。
なぜ、30日note更新が続けられたか。
続けられない理由と照らして考えて行こう
(ネガティブ要因)
①noteの書き方をテンプレートにしたため、手段の目的化が進んだ
(ポジティブ要因)
②自粛期間でイレギュラーな日程がなく、コントロールできる時間が増えた
③クオリティよりも毎日続けることを重視した
ネガティブ要因に、ポジティブ要因が僅かに勝ったため、何とか続けることができた。
30日noteを書くのを続けても、いまだに自分は続けることが得意になってはいない。いくら続けてもきっと、続けることが得意にならない自信がある。
さいごに
続けられないのは、最早、性格なのだと思えてくる。
それでも、続けるべきことを続けるためには、
悪い効率化をせず、いい効率化をし、自分で期限を決め、そこまで続けるという限定を設け、自分への言い訳をせず、粛々を実行に移すことが必要なのではないかと思う。
サポートがnoteを書く頻度の向上+モチベーションアップになりますので是非お願いします。