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一週間限定日記【3日坊主を逆手にとって】

8月N日

「夏休みの日記」と称して日記を一週間限定でつけることにした。
三日坊主を逆手にとって、7日間だけ書くことにすれば、その間の日記は必ず書くだろうという自分への枷である。

「日記を書くときは、その日一日のことを事実の羅列のように書くのではなく、今日のハイライト、それも10分くらいの出来るだけ短い時間を切り取って書くようにした方がいい。」これは大学時代に懇ろにしていた人で、6年以上毎日一言日記をつけていた人からのアドバイスである。
(当時は半年くらい一言日記を続けていたのだが、すっかりやめてしまった)その教えを思い出して、なるべく短い一瞬を切り取ろうと思う。

残暑厳しい電車のなかで、ふとこの企てを思いついたのだった。

8月N+1日

このnoteを読んでくれている人に是非お勧めしたいYouTubeチャンネルがあるのだが、その人(一人で出演している)が私の家の人にそこそこ似ており、そのことを指摘されたくないがために人に薦められないという葛藤がある。それでも人に薦めたいので、知りたい人は個別に聞きに来て欲しい。

YouTubeは、2万人から20万人くらいの登録者のチャンネルが面白いなと思う。動画投稿の編集のレベルやコンテンツのクオリティが上がってきて、さらに、「大きな企業の力」や「オトナの力学」のようなものをあまり感じず、自然体でアップロードされる動画が一番面白い。

そんなモヤモヤを抱えている。
冒頭で薦めたいYouTubeの更新に気が付いたので、ふとそんなことを考えていた。

8月N+2日

調子が出ないときにどう対処すべきか常々考えている。
こういう時に、根幹のルーティーンを変えてしまうと、何もかもが上手くいかなくなる恐れがあるので、それはできない。
そこで私は、ルーティーンの端っこを崩すことを心掛けている。
いつもより遠回りして最寄り駅まで行ってみたり、いつもは食べないお店・メニューを頼んでみたり、いつもはAM1時まで起きてしまうところを可能な限り早く寝てみたり、
とにかく今までの流れを断ち切れるように最大限の抵抗をするのだ。

あとは、こんなご時世ではあるが、久しぶりの人に連絡を取ってご飯に誘うような行動を起こしている。私の友人はありがたくも、快くご飯に連れ立ってくれる。

一緒に行く店を迷わなくてよい友人は貴重である。その人の嗜好や金銭感覚が合わないと、気を遣った店のチョイスになってしまい、行きたいお店にいくことができない。これは簡単なようで、意外と難しいことであると実感する。

最近では、のらりくらりとしているうちに、不調の波が終了するのを待つしかないと割り切るようになってきた。

8月N+3日

セイコーマートの最高さの根源がひとつ分かった気がした。
それは商品のラインナップが明らかに他のコンビニエンスストアのそれと一線を画している点だ。

ホットシェフ(店内調理のお弁当やおにぎりを提供するコーナー)だけではない。

セブンイレブン・ローソン・ファミリーマートの大手3社は、各社のプライベートブランドを除いて商品に違いが恐ろしいほどない。
たまにマニアックなものを探しにでもいかないと、ほぼ同じ商品が陳列されているだけの、僕個性的なコンビニたちな気がする。

一方でセイコーマートは、大手3社に比べて「生活」が裏テーマにあるようで、生活に根差した商品がたくさん置いてある。お盆であれば、目立つところに線香が陳列されていた。
また、飲料を比べてもセイコーマートは、北海道関連商品が多く陳列されているがゆえに、都内でどのコンビニに行ってもおよそあるであろう商品が見つからなかったりする。
こういった点がセイコーマートのことを、他のコンビニと違うものであると認識させる要素となっている。

8月N+4日

キャンプとは、工夫そのものだなと感じた。
家のように全てが揃っていない環境のなかでいかに快適に過ごすことができるかに成功のカギがある。
キャンプ用品も、機能性・耐久性・コンパクトさ、の3要素をベースとしているものが多く、工夫のカタマリであると感じた。

折りたたまれたステンレスの棒を、真っ直ぐつなげるための仕組みとして「ショックコード」というものがあるのだが、(詳細は調べて欲しい、なぜなら説明をすることは日記の役割を超越するからだ)その仕組みには感動した。そのほかにも、外したキャップを側面につけておけるようにするような機構や、力学的に耐えうる最低限の骨組みの椅子など、口には出さなかったが、キャンプ用品の賢さは感動モノだった。

8月N+5日

帰宅が遅くなり、さらにクサクサとした気持ちになったため、22時を過ぎていたが真っ直ぐに家に帰らないことを決意した。

高円寺駅で中央線を降りると、駅前で弾き語りをしているグループが2つもあった。片方は心のままにオリジナルソングらしき歌を歌っていた。本人も聴衆も座り込むスタイルだった。もう一つ人生があったらこういうのもいいなと思う姿だった。
もう一つは、ボーカルとアコギ&コーラスのデュオで、ふたりを取り囲むように聴衆が立っていた。丸の内サディスティックを歌っていて、すごく盛り上がっていた。近くを通ったときに横目で歌っている人の姿を見たのだが、そこでボーカルの人が携帯で歌詞を観ながら歌っていたので少し萎えてしまった。
当時の心の内が穏やかではなかったのと、一組目が心からのシャウトを見せていたので二組目のハードルも上がってしまい「せめて歌詞見ないで歌えよおおお!」と感じてしまった。歌が上手かったので、「歌が上手ければそれでいいのかよ!」と思ってしまった。

思い返せば、路上で歌などのパフォーマンスをしている人・聞いている人にとっては「その場にいる人を楽しませればそれでいい」みたいなところがあるのだと思った。

8月N+6日

知らないことがプラスに働く例を見た。
夢に見たことが現実になることを「正夢」というのに対して、
現実が夢に出て来ることを「逆夢」という。すこしものの本でも読んでいれば逆夢という単語は聞いたことがある人は多いと思っている。

お笑いの場で、この「逆夢」を知らない人が逆夢のことを夢正って言って笑いをとっていた。逆夢を知らない人にしかできない芸当だなと気づいて、ハッした。

知識が知識とつながる瞬間や、大きな発見は、人生で一回しか経験ができないので、この瞬間がまだたくさん残っている人は幸せだなと思った。
(といいつつ、あまりに無知であることは自分で自分が許せなくなってしまいそうだなと思った)

日記を終えて

読んだ人にとって面白いかはさておいて、また定期的に読み返したくなるいい日記が書けたと感じる。



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