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【ブラスハート、ブレス・ハード】

 その光景を思いだす。男は何度でも。
 確かめるように、何度でも、何度でも。

 荒廃した地平。連なる黒いトリイ。そのトリイをくぐり、こちらへと歩んでくる人影。超自然の光景。神秘的で、神話めいて、啓示的な。

 しかし男にとって、それは神秘ではなく、神話でもなかった。
 男にとってそれは、ただの必然に過ぎない。

 男は常に渇望している。男は、常に。

「素晴らしい光景だと思わんかね?」

 対面に座る初老の男は、グラスを片手にそう尋ねていた。男は繰り返す追憶を止めて、微笑んだ。男の眼は謎めいて白く濁っている。

 瀟洒なオフィスラウンジには上品なインセンスの香りが漂う。ゼンめいた静けさがあった。そこから眺める展望はたしかに雄大で、男は、感服したように振るまいながらこたえていた。

「ええ、美しい……実際、心洗われる光景です」

 全面ガラス張りの窓辺の向こう。夕焼けのなかを雲が流れていく。地平には荒々しくも神々しい山並みが続き、ふもとに広がる平原はすっかりと乾ききっていて、茶褐色の岩肌を浮かばせている。

「雨期になれば、ここは緑に覆われる。これは、乾期ならではの光景だ」

 初老の男は、ウィンクをした。

「緑よりも、我々にはこの光景こそが相応しい。そうだろう、カイル・オズモンド=サン」

 男——カイル・オズモンドはうなずいた。

「そうですね、リカルト・ソレンスタム=サン」

 初老の男——リカルト・ソレンスタムはグラスをかかげた。

「我々の再会を祝して」

 カイルもまたグラスをかかげる。

「……再会を祝して」

 二人はグラスをあわせた。

「「乾杯」」



【ブラスハート、ブレス・ハード】


 リカルトは満足げにうなずいていた。

「もうじきこの地は、クラバサ・インコーポレイテッドに莫大な利益をもたらすことになるだろう」

「地元勢力の懐柔、他企業との巧みな連携と排除……みごとなお手並みでした。デクタの連中は、さぞかし臍を噛んでいることでしょう」

 カイルは周囲を見渡しながら続けた。

「このオフィスも、短期間でここまでの施設を……実にみごとです」

「ありがとう。だがフフ……以前のように、君が私のそばにいてくれれば」リカルトは立ちあがった。ゆったりと窓辺へと歩む。「私も、もっと楽できたのだが」

 リカルトはカイルに背を向けたまま、雄大な自然を眺めた。日は徐々にかげり、夜の闇が訪れようとしている。

「今でも思いだすよ。君とともに、幾多もの闘いを潜り抜けたあの日々を」

「あの頃の私は未熟でした」

「フフフ……よく言う。私は君に、何度も命を救われたわけだが?」

「いえ……あなたの教えがあってこその今の私だ」

「その君も、今や私と肩を並べる上級社員だな。フフ」

 カイルは奥ゆかしく返す。

「いえ……私にはまだ、リカルト=サンのご指導ご鞭撻が必要です」

 ……いつしか日は完全に落ちていた。オフィスラウンジにはリカルトとカイル、二人だけが残されている。

「なあ、カイル=サン」

「はい」

「私が繰り返し、君に言い聞かせた言葉を。憶えているか?」

「……忘れるはずもない」

「フフ……『ミイラを取りにいったら、ミイラになった』」

「ミヤモトマサシの言葉だ」

「そうだ。その言葉を胸に刻め……私は、君にそう言い聞かせた」

「憶えています」

「そうだろう? たしかに、たしかにそう言い聞かせたのだ」

 リカルトは、強調するようにもう一度言った。

「たしかに私は、君にそう言いきかせたぞ」

 夜の闇の訪れとともに、リカルトのアトモスフィアは変わりつつあった。カイルは沈黙していた。リカルトは背を向けたまま続ける。

「カイル=サン……いや、ブラスハート=サン」

 ブラスハート。それはカイル・オズワルドのニンジャとしての名だ。カイル・オズワルドは……いや、彼ら二人は、ニンジャだった。

「なにか。プラチナナーブ=サン」

 そう答えたブラスハートは、すでにニンジャ装束に身を包んでいる。リカルト……プラチナナーブもまた、いつしか白銀のニンジャ装束に身を包んでいた。プラチナナーブは首をめぐらし、ブラスハートを見た。

「ひとつ、疑問に思うことがあるのだが」

 その目は、残忍な笑みに歪んでいる。

「なぜ、私の身辺を嗅ぎまわっている」

 ブラスハートは立ちあがった。

「……知る必要も無し」

 先ほどまでの奥ゆかしさは消え去っていた。今のブラスハートには、ただ、油断ならぬアトモスフィアのみがあった。プラチナナーブは笑っていた。

「フフ。なにが目的だ? フフ、フフ。誰の命でここに来た? 取締役の誰かの指金かね?」

「俺がここに来た理由など、貴様には理解できんだろうな」

「フフフ、エメツ横流しの件か? それとも紛争時の虐殺の件か? お前の背後には誰がいる? フフ、フフ! 身に覚えがあり過ぎる!」

 ブラスハートは鼻を鳴らした。

「度しがたい俗物め……いずれにせよ、俺は貴様から……」その周囲の空気が陽炎のように滲んだ。「全てを奪うことになる」

 そのコンマ1秒後。

「イヤーッ!」プラチナナーブはスリケンを放ち、跳んでいた。「ムテキ!」ブラスハートは両手を広げ、叫ぶ。その体を真鍮の輝きが包み込む。飛来するスリケン。「フフ、フフ!」プラチナナーブスは空中で身をひねり、腕を水平に構える。ZAP! ラウンジの天井、照明に擬されていたレーザー銃が放たれた。三点同時の攻撃!

 ブラスハートは静かに言い放つ。「くだらん……」難なくスリケンをかわす。腕を回し、プラチナナーブの水平チョップを叩き落とす。レーザーがブラスハートの身体を直撃する。その身体の表面を真鍮色のパルスが跳ね散り……レーザーは、プラチナナーブへと弾き返されていた。「イヤーッ!」ブラスハートは同時に致命のツキをも放っている!

「貴様の手のうちなど、俺はすべて理解しているぞ、プラチナナーブ=サン!」

「グワーッ!?」

 叫び、ラウンジの壁に叩きつけられた……それはブラスハートであった。「アバッ……」ブラスハートは血を吐き、崩れるように壁から落ちた。震え、かろうじて顔をあげる。「グ……」その濁った眼は見ている。夜の闇を背景に……プラチナナーブは身をよじっていた。まるで軟体動物じみた、おぞましい姿で。

「フフ、フフ。私をただのカラテ巧者だと思っていただろう? バカめ。君はやはり、まだまだ未熟だよ。切り札は、秘してこその切り札なのだ……」

 レーザーとツキを躱し、同時に攻撃を放つ。驚異的な軟体性によってのみ可能となる動きだ。プラチナナーブは横たわるブラスハートに歩み寄る。

「私は常に徹底している。君との長いつきあいの間、決して切り札を見せることはしなかったようにね。一方、君はそのムテキ亜種を何度も何度も披露してくれた……その差が、この結果を生んだのだよ。フフフ」

 しゃがみこみ、ブラスハートの顔を覗く。

「事前の分析、そして戦略。戦いの結果は始まる前に決まっている……これも言い聞かせたはずだぞ。それこそがクラバサ・ウェイだ、とね」

 プラチナナーブは首を振った。

「ああ……実に残念だ。私はもっと上に行く男であり、君はその時、私の片腕になる男だと……見込んでいたのだがね」

「スウーッ……ハアーッ……」

「ん……」

「スウーッ……ハアーッ……スウーッ……ハアーッ……」

 それは、ブラスハートの呼吸音だった。プラチナナーブは眉をひそめた。

「もはや、ハイクを読む余裕すらない、か……。クラサバの未来を担うと期待された男が、実に哀れなものだ」

「スウーッ……ハアーッ……! スウーッ……ハアーッ……!」

「残念だよ……私は悲しい」

 プラチナナーブは憐れむような目でブラスハートを見つめながら、高々とチョップをかかげる。

「そのような君の姿、見るに堪えん」

 その手に力を注ぎこみ、振り下ろす!

「サヨナラだ、ブラスハート=サン!」

 ブラスハートの首へと向かうその手が……握り潰された。プラチナナーブは信じられぬという表情でそれを見た。握り潰したブラスハートの手が、手刀へと変わる。濁った眼が、光を放った。

「イヤーッ!」

 プラチナナーブの首が、宙を舞った。

「サヨナラ!」

 プラチナナーブは爆発四散し……その先には超自然の光景が広がっている。窓の外には夜の闇、神々しい山脈、乾いた岩肌の大地。そしてそれと重なり合うように、ラウンジには嵐渦巻く地平が広がり、その地平の向こうからは黒いトリイが、こちらへと向けて延々と連なっている。

 ブラスハートは立ちあがり、プラチナナーブの爆発四散痕を見た。

「貴様は過去の俺を知り、今の俺を知らなかった」

 顔をあげる。トリイをくぐりながら、こちらへ向かってくる影を見た。

「そして、これからの俺も理解できまい」

 最後のトリイをくぐり、影は歩み出る。

「サツガイ……」

 その者の顔は黒い闇だ。それはかつて、彼に祝福を与えた者だ。一度目の接触でその者から、彼はドラゴン・ニンジャの奥義を……チャド―を、超回復の力を得た。その後、彼は分析した。戦略を立てた……この、二度目の接触の機会を得るために。

「これは、俺にとっての必然だ」

 ブラスハートは歩み出る。

「BWAHAHAHAHA!」

 サツガイは、笑っている。ブラスハートは確信とともに手を伸ばす。

 俺は決して、ミイラなどには。

【ブラスハート、ブレス・ハード 】 終わり

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