夢と孤独のザイカ
生きるか、死ぬか。
一か八か。
この刹那だ──。
モドキは考える。
この刹那に、すべてがある。
凝縮された時間感覚のなかで、モドキは見ていた。上方。無限にひろがる、まばゆいまでの光と色を。それは壮絶にして壮大。万華鏡を思わせる圧巻の光景だ。
しかし。
生きるか、死ぬか。
一か八か。
モドキは見とれることもなく、色と輝きに向けて意識の焦点を絞りこんでいく。すると色と輝き、そのひとつひとつに別の「世界」が見えてくる。
ある輝きのなかには、風景を置き去りにして空を飛ぶモドキの姿があった。その背には短髪の少女が……ザイカがおぶさるように掴まっている。輝きのなかから聞こえる音は遠く、水のなかを伝わってくるようにくぐもっている。
オウ、オウ!
羽を生やした化け物たちの吠え声。
「おあ、おあああーー!」
背中に掴まるザイカの、絶妙に間抜けな叫び声。モドキたちは化け物たちに追われながら、すさまじいデッドヒートを空中で繰りひろげていた。きりもみ回転するように下降、旋回、さらには上昇。
「おあああー!」
オウ、オウ!
迫りくる化け物の一体をかすめ、モドキは叫ぶ。
「ザイカ、うるさいッ!」
「おわ、おああー!」
化け物をかわし、急降下。
「とにかく舌!」
輝きの向こうでモドキは声を張りあげていた。
「舌噛むイメージはすんな!」
「おあああー!」
その様を見つめながら、モドキは思った。
ここは、ダメだ。
即座に別の輝きへと焦点を移す。次の輝きでは恐るべき暗黒が、津波のように四方から押し寄せている。その中心にはザイカ。腰を抜かし、地べたに座りこむザイカの前に、護るように立つ少年がいる……モドキだ。
ここもダメだ!
すべての輝き、すべての色のなかにモドキとザイカがいた。
そのいずれもが絶体絶命の窮地にある。
生きるか、死ぬか。
一か八か。
この刹那だ。
意識のフォーカスをずらす。万華鏡の遥か下、モドキの足元には死と虚無ただよう、くすんだ街並みがひろがっている。
廃墟の群れ。
人のいない街。
俺たちが生きてきた場所。
俺たちの、本来の世界。
さらに街並みの彼方に焦点を移す……そこにはひろがる地平があり、山並みじみて横たわる巨大な女の姿があった。女は蜃気楼のように霞み、揺らめいている。
それは夢神。夢見る眠り神。
彼女の夢に人類は飲みこまれている。
舐めやがって。
モドキは奥歯を噛みしめた。決断しなければならない。選択しなければならない。次に飛びこむ輝きを……夢の位相を決めなければならない。そうしなければ、モドキとザイカを待ち受けているのは死だ……夢溺死の運命。もう時間の猶予はなかった。
ふざけやがって。
イキりやがって。
調子にのりやがって。
夢神への怒りが沸きあがり、
世界を……俺らをめちゃくちゃにしてくれやがって。
怒りがモドキを駆動する。だから決断し、選択する。
ここだッ!
次の瞬間、モドキは輝きのひとつに同化していた。とたんに風景が変わり、新しい夢のなかにいた。そしてその夢のなかで自分が何をしているのか、何を目指しているのか。すべてをいっぺんに理解する。
西部劇じみて乾いた街。
モドキは辻の中央に立っていた。その背の後ろには、隠れるようにザイカ。ザイカの小刻みな震えがモドキの背中にも伝わってくる。
辻の向こう。砂吹き荒ぶなかを、男たちが悠然とこちらに向かって歩いてくる。
グハ、グルグハハ……。
男たちは獣のように笑っていた。彼らの目は一様に座り、その濁った眼差しは舐め回すようにザイカへと向けられている。
舐めやがって。
この男たちは敵である。そう、モドキは理解している。
「イメージだ」
モドキは自分と、ザイカに言い聞かせるように呟いた。
「イメージしろ」
夢神の見る夢の世界。そこではイメージがすべてを決する。なにをイメージし、どのように己と世界とを規定するのか……それがすべてだ。
だからモドキは想像する。想像し、創造する。この辻の彼方。荒野を越えた先に砦がある……そうイメージする。モドキとザイカが目指すその砦には、神秘の鍵が隠されている。そしてその鍵こそが、夢神の秘密を解き明かす文字通りの鍵となる。そのようにイメージし、規定する。
夢は現実となり、現実は夢となる。
イメージと規定こそが、この世界のすべてだ。
ゴウゴウと風が吹いた。男たちが腰だめの姿勢をとった。ホルスターから拳銃を抜き取ろうと……その刹那。
「俺は、虎だッ!」
モドキは吠えていた。
「俺は銃弾をも跳ね返す、鋼鉄の虎だッ!」
モドキは歪み、姿を変えた。いまやモドキは虎だった。黒く輝く、鋼の虎になっていた。モドキは駆けだす。男たちは慌てふためき発砲する!
「バカがッ!」
ガン、カン!
放たれた弾丸をものともせず、鋼の肉体は疾駆した。「ハハ、ハハハッ!」モドキは唸るように笑っていた。驚き見開かれた男たちの、その濁った目がみるみるうちに眼前へと迫ってくる。
「お前たちは紙だ! 紙で、ゴミ屑ッ!」
ゴウッ! 荒々しい音とともに、逃げだす男たちの背を鉄の爪が凪ぎ払った。男たちは千切れ飛んでいく……紙片と化して。それはさながら紙吹雪だ。
ゴウ、ゴウッ!
最後の男を鷲掴みにする。モドキは牙をむき出し、雄叫びをあげた。
「俺はすべてを噛み砕く、最強の虎ッ!」
鷲掴みにされた男は首をかしげた。
「さて」
そしてぽつりと言う。
「本当に、そうであろうか?」
モドキは目を見開いた。下卑た男の目の奥に奇妙な光が宿っていく。悪寒が走った。
「お前……」
男は笑う。
「汝は……」
その声音はもはや男のそれではない。女だ。輪郭が歪み、脂ぎった肌は生気のない白い肌へと。べとついた髪はまっすぐな黒髪へと。男は、細身の女になっていた。モドキは叫んだ。
「お前ッ!」
「汝は、猫である」
女は笑みとともに告げる。
「汝は、かわいいかわいい、仔猫ちゃん也」
「あ……!」
体が縮んでゆく。
「ニャん……だと……」
そして体勢は逆転している。鷲掴みにされているのは、いまや仔猫と化したモドキだった。砂吹き荒ぶ嵐のなかで、女はモドキを掲げ託宣じみて告げた。
「汝はたやすくポッキリと、首折れる仔猫也」
女がモドキの首を締めあげていく。途端に意識は薄れ、もうろうとなる……マズい……ザイカがなにかを叫んでいた。女は嘲るような笑いをあげた。
「夢神に逆らう不敬者の夢路も、ここで終わり也」
「違う……」
違う……違う……!
俺は……
イメージしろ……イメージだ……!
俺は……ッ!
「水」
そのモドキの言葉に、女は訝しむように首をかしげた。直後、バシャリという音。それは女の手からモドキがこぼれ落ちた音だった。女は足元を見た。地面には染みができていた。
「む……」
女は眉根を寄せる。地面が振動する。
「むむ……」
揺れはやがて鳴動と化す。そして女は、モドキの雄叫びを聞いた。
「俺は水! 森羅万象に染み渡り、吹き荒れ、流転する……水だッ!」
大地が揺れ、ゴウゴウと雲がたなびく。
「むむむ……!」
そして嵐がやってきた。女の周囲に風をともなって、すさまじい雨が降りそそぐ。揺れる大地に亀裂が生じ、そこから間欠泉じみて水が吹きだしていく。
「俺は水ッ! お前を飲みこみ、押し潰し、流し去る、漠々たる水ッ!」
雨と吹き出す水が、渦を巻いた。それはまさしく怒濤。怒濤の渦が「ゴボボボ!」女を飲みこみ、押し潰した。やがて渦巻く水のなかで、モドキは人としての輪郭を取り戻す。そしてぼろ布のように流されていく女を見た。
「……?」
流されながら、女が顔をあげた。
女と目があった……笑っていた。
「……!?」
まるで水など無いかのように女の声が響いた。
「我は、爆弾也」
女の体が灼熱する。周囲の水を沸騰させながら、みるみるうちに膨張していく。女は高らかに笑い、告げた。
「我は汝もろとも、この世界を焼尽せしめる大爆弾也ッ!」
「あ……」
女は弾けた。世界が白く染まった。モドキは自分が粉々になる感覚のなかで、すべてが終ったことを悟った。必死に駆け寄ってくるザイカが見える。ザイカは、灼熱のなかを駆けている。
バカ……俺がお前を護らなきゃ、なのに、なんでお前が……
ザイカの目には涙があふれていた。
なんで、お前が泣いてんだよ……
いまや世界は白だった。
白のなか、存在するのはふたりだけだった。
粉々になったモドキ。
涙を流すザイカ。
あれ……。
ザイカの涙のなかに。
あれ……?
その一滴のなかに、モドキは別の世界を見た。
そこは廃墟だった。
俺たちが生きてきた場所……。
俺たちの、本来の世界……。
誰もいない廃墟のなかで、ひとりの少女が眠っているのが見える。
それは、ザイカだ。
現実は夢となり、夢は現実となる。
やがてモドキは、静けさとともに理解する。
俺は、ザイカの見ている夢なのだ、と。
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