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落花〈ラッカ〉

 想像を絶する景色が広がっていた。青と黒。地球の大気層と、宇宙が織りなす壮大なるコントラスト。地上百キロメートル。概念上の地球と宇宙の境界線――カーマンライン。

 そこにあるのは静寂、そして高揚だった。

 軌道エレベーターに設置された「飛び込み台」の上。来栖紫苑と真空とを隔てているのは、特殊な宇宙服のみだった。管制室からの情報がバイザーに映しだされ、通信が隣に立つ男の声を伝えてくる。

『僕らに相応しい光景だ』

 そう呟く男の横顔は美しく、バイザー越しでも眩しかった。

『そうだな、椿』

 来栖紫苑と遠宮椿。二人はこれから人類史に残る挑戦を行う。

 地上百キロメートルからの自由落下。

 人類のスカイダイビング記録を極限まで塗り替える。それも二人同時に。

 バイザーの情報は刻々と更新されていく。あと一分。二人を留める拘束帯は解かれ、地球へと降下。空気抵抗がない中で超音速にまで加速する。超人的な身体操作無くば待つのは死。

 高揚が、紫苑の脳裏に椿との出会いを浮かびあがらせる――初め、それはただの予感だった。当時の紫苑は椿にとっては取るに足らぬモブだった。
 それでも紫苑は予感に殉じた。
 死に物狂いで椿との距離を縮め、そして誰もが「椿の隣に立つ男」と認めるようになった頃。予感は確信へと変わる。

 遠宮椿は美しい。だから。
 それはほとんど祈りにも似た感情だった。

 その無様な散りぎわを見た時、俺の人生は完成する。

 バイザーのカウントダウンが20を刻んだ。

 椿。
 地球降下の最中。

 19。

 俺はお前を殺すよ。

 18……。

『紫苑は甘いね』

 その呟きと同時。唐突な落下感が紫苑を襲った。咄嗟に隣を見る。椿の手には振動ナイフ。拘束帯が切断された――。

 相思相愛じゃないか。

 それは限界を超えたミリ秒の刹那。

 落ちゆく中で、紫苑は狂おしいほど反復練習した動きを繰り出していた。落下する。身を捻る。視界の先には椿の足。手を伸ばし。煮え滾る想いをこめて。

 愛しいその足を、握り潰す。

【続く】

#逆噴射小説大賞2024

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