_アイエエ_マウント_ハッコーダ_前編

【アイエエ・マウント・ハッコーダ】

 視界が、世界が、そのすべてが白かった。切り裂く風の音(ね)。猛る吹雪が叩きつける中、木霊するのは、あの、不気味な叫びだ。

「くそッ……」

 ニンジャスレイヤーは脇腹を押えた。傷は深い。傷のダメージ。寒さ。そして毒。それらによって、その肉体は蝕まれていく。

(((警戒せよ、マスラダ!)))

 内なる同居人、ナラクが叫んだ。ニンジャスレイヤーは即座に顔をあげる。びょうびょうと音をたてる白い視界の向こう側で、赤い光が、こちらを見つめるように蠢いていた。まるで臓腑のように禍々しい赤だ。そしてその禍々しい光の源から、あの、死を予感させる叫びは発せられているのだ。

 ナラクは呻いていた。

(((面妖……実に面妖な……!)))

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 ──1日前。

 ドサンコ・ウェイストランド北西部。マウント・ハッコーダ中腹に位置する、サケトバウマイ・ロッジ。

 そこは、秋になれば燃えるようなバイオ・モミジが拡がる観光の拠点であり、また、地場産業たるクマデ(訳注:熊手。グリズリーの手をミイラ化して装飾した、商売繁盛の縁起物)の生産を支える狩猟拠点でもある。

 そのロッジの管理人、エパタは今、困惑していた。

「わたしたち、こういうものです」

 名刺だ。「はぁ」気のない返事をしながら、エパタは明るいオレンジ髪の女を見た。颯爽と差し出された名刺。もこもことしたオフホワイトのダウンワンピース。極地踏破用の重装備。テーブルの上では、エパタのコブチャが柔らかい湯気を立てていた。

「えー……」エパタは名刺を手にした。「なになに……コトブキ=サン、ですか」わざとらしく眉根を寄せる。「ほうほう、ネオサイタマ新聞社の特派員……」「はい、わたしたち、特派員なんです」「うーん。それで……」エパタは中指で眼鏡を押し上げながら、怪訝そうに尋ねた。

「吹雪の中、なぜわざわざ、こんな辺境のロッジまで?」エパタは窓の外を見る。ロッジの外は今、猛烈な吹雪に襲われていた。

(どうやってここまで辿り着いた……?)

 コトブキは深刻そうな表情を浮かべた。「わたしたち、ここに来た理由があります……それはこれです」背負っていたバックパックから紙を取り出す。そこにはこう書かれている。

『マウント・ハッコーダの恐怖!』
『犠牲者再び。マタギ5名が行方不明』
『夜空に怪光線な』
『悲痛的! ドサンコ・グリズリー惨殺死体!』
『不気味な叫び……』

「えっと。タブロイド紙の写し? ……まさかとは思いますが」「そのまさかです。大変な事態だと思います。取材をする必要ありです。ジャーナリズムです!」「いやいや、そんなバカな……もしかして、信じてるんですか?」「ここに来る前にインタビューもしました。麓の第49コロニー。行方不明者のご家族、悲痛でした……裏取り完璧です」

「うーん」エパタの表情が曇った。そしてその、30前半程度の外見年齢には似つかわしくない、白髪頭をくしゃくしゃと掻いた。

 コトブキは畳みかけるように続ける。「行方不明者……心配ですよね」「うーん?」「早くなんとかしなくっちゃ、ですよね」「えっと……」「わたしたち、ジャーナリストとしての使命感に燃えているんです!」

「いやはや……はは……これは困ったな」エパタは苦笑した。ちらりとコトブキの背後を見る。連れの男。ダウンのフードに隠されて、その表情は伺い知れない。だが男には、得体のしれない不穏なアトモスフィアがあった。

 その時……。

「フン……!」それは野太い声だった。奥の扉から出てきた初老の男が、ドンッ! 乱暴な音とともに、エパタの隣に腰かけた。男は忙しなく尋ねた。「お前たち、欲しいのはガイドか?」

「はい、わたしたちに必要なのはガイドです。山は……吹雪があり……クレパスがあり、雪崩が起きたり、犯罪組織に遭遇したり、銃撃戦、そして、爆発……とにかく、とても危険な場所です……」コトブキが真顔で応じる。

「ワシが案内してやる。ええだろ、エパタ=サン」「あー? えっと、シカリ=サン?」「朝になれば吹雪も一息つく」シカリと呼ばれた男は、ジトっとした目つきでコトブキと、背後の男を見た。「……フン。ネオサイタマのニボシでも、ヤツをおびき寄せる餌ぐらいにはなるじゃろ」

「餌……!」コトブキが息を呑んだ。「それでええ。それがええ」シカリは歪んだ笑みを浮かべた。「ちょっと、シカリ=サン。困りますよ」エパタが色をなす。

「フン! マウント・ハッコーダにインシデントなし。風評被害はやめてくれ……そういうことじゃろ? アホらしいぞ、エパタ=サン」「そんな……いい加減にしてください、シカリ=サン。あれはただのグリズリーなのであって……」「……おい」シカリはエパタを睨めつけた。「アイエッ」

「グリズリーだと? あんなものが? グリズリー? あれがグリズリーだと? ふざけるな……あれがグリズリーであってたまるものか……! ただのグリズリーに、あのキヨワカ=サンやヒゲクリ=サンが殺られたとでも? そう言うのか、お前は。エェッ?」「アイエエ……」

「……くだらん」吐き捨てるシカリの表情を、コトブキは見つめていた。「ユウジョウ……そして悲しみを感じます」「……」沈黙。「やはり、何かが起きているのですね」

「フン……そういうことだ」シカリは立ち上がり、再び奥へと戻っていく。そして扉の前で立ち止まると、首だけ巡らしてコトブキに告げた。

「明日の朝一で発つ。ついてくるがええ」

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 前日の吹雪が嘘のような青空だった。
 空の青と、大地の白。くっきりとしたコントラスト。

「なんでお前までついてきているんだ、エパタ=サン」先頭を歩くのはシカリ。グリズリーの毛皮を纏った伝統的なマタギ装束。その背には巨大な70口径銃、マタギ・スペシャル。

「いい加減なことを吹聴されては困るからです……クマデが売れなくなる!」「フン。お前が最近ロッジに着任したのも、それが任務ってわけだ。くだらんな」

「お聞きしたいです」背後でコトブキが手を挙げた。「シカリ=サンは、行方不明の方たちとはお知り合いだったのですか?」「知り合い? フン、あいつらは戦友よ。共にドサンコ・グリズリーを狩り続けた……体長5メートル級ですら難なく狩る凄腕たちばかりだった」

「それが……」「殺られた!」「殺られた……!」「あぁ、そうじゃ。それもただ殺られたわけでなし。為すすべもなく、一方的にだ」

 シカリは遠くを見つめた。「半年前、夜空を赤い輝きが横切った。それが、すべてのはじまりじゃった」「赤い……耀き」コトブキは聞き入るように呟く。「次の朝、ワシら6人はチームを組んでグリズリー狩りに向かった。異様な朝だった。なぎ倒された森林。散乱しているグリズリー肉片。そして……」コトブキは息を呑んだ。いつの間にか、エパタも黙って耳を傾けている。

「突然襲ってきた季節外れのブリザード。ワシらは遭難しかかった。そんな時じゃ、ヤツが現れたのは」「……ヤツとは?」それまで一言も発していなかった、コトブキの連れの男が尋ねた。「フン……ヤツはヤツよ。得体のしれん化け物じゃ。恐ろしいヤツ……」「それで?」「フン。思い出すだに煮えくり返る……まず最初に消えたのは、キヨワカ=サンだった」シカリは怒りを抑えるような表情で続けた。

「次に、ワシらの中で一番若かったヤマタロ=サン。消える前にやつは言っていた。『キヨワカ=サンの声が聞こえる……』とな。そしてふらふらと、吹雪の向こうへ歩いていき……消えた」「……猟奇的です」

「それからは、あっと言う間だった。漁場に誘い込まれたサーモンの群れのようにな。仲間が次々と消えていく。そして……そして最後に、ワシは見た……ッ!」感情を抑えるように、その肩が小刻みに震えていた。「吹雪の中、ヒゲクリ=サンを飲み込もうとする巨大な肉の塊をな!」「……!」

「ワシは逃げた……無我夢中で……何度も転げ、何度も体を打ちながら、それでも必死になって逃げ続けた。ヤツがなんだったのかはわからない。仲間がどうなったのかもわからない。しかし気がつくと、どこをどう帰ったのかもわからぬまま、ワシはロッジへと辿り着いていた……仲間を……戦友を見捨てて、自分ひとりでオメオメとな……クソがッ」

「ニンジャ」「なんだと……?」シカリはコトブキの連れの男を睨んだ。「それがニンジャである可能性は?」「フン……若いの。お前さん、名前は」「……マスラダ」「ハッ。マスラダ=サン。あれはニンジャなんてご大層なもんじゃない。もっと醜く、おぞましい何かだ」

「……おぞましい、何か」「そうだ」シカリはその目をギラつかせた。「フン……そろそろ、頃合いじゃな」そして背のマタギ・スペシャルを手に取った。「ええか? よーく聞けよ?」背後の三人に向き合い、その巨大な銃を構える。「お前たちには、ヤツをおびき寄せる餌になってもらう!」

「アイエッ?」エパタが驚き、両手を挙げた。「もうじきヤツの餌場じゃ。お前たちは、ワシの前を歩け!」「そんなッ」とエパタ。「フン。言ったはずだ。ヤツをおびき寄せる餌ぐらいにはなるじゃろ、とな」

 コトブキは悲しげな表情を浮かべた。「悲しみを、感じます。復讐……」コトブキはマスラダを……ニンジャスレイヤーを見た。「問題ない」マスラダは静かに両手を挙げ、シカリの前へと進み出た。

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「ハハハッ! これじゃ、この感じじゃ!」

 シカリは狂ったように笑っていた。天候は突如として吹雪に変わり、先ほどまでの晴天が嘘のように、世界が白に染まっていく。「来る! 来るぞ! ヤツが来る! ホレ、ホレ、見よ! ホレ!」「アイエッ」エパタが何かに躓いた。「エ……?」エパタは自分のダウンを見た。べたりと付着した、赤い液体。まだ温かい、血糊。

「こ、これは……!?」エパタは自分が躓いたものを見た。それは無残にも引き裂かれた、グリズリーの頭部だった! 「アイエエ!」

「エパタ=サン!」コトブキが駆け寄る。尻もちをついたまま、エパタは固まっている。「だ、だめだ……はは……腰が抜けました」「ハ、ハハハッ! どこじゃ! ヤツはどこにおる!」シカリの叫びが聞こえる。20フィートほどしか離れていないシカリの姿が、白に覆われすでに見えなくなっていた。

 ニンジャスレイヤーは感じていた。ニューロンのざわつきを。(((気をつけよ、マスラダ))) (ナラク! これは奴のジツか?)(((わからぬ……だがエテルの乱れを感じる。この吹雪、何者かの仕業に相違なし)))

 白く染まる視界の中で、ニンジャスレイヤーは思い出していた。ネオサイタマ。ピザタキ。3日前の、そこでのやり取りを。

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 ──3日前。
 ネオサイタマ。ピザタキ地下4階。

 ジャンク溢れた薄汚れた部屋の中に、タカタカタカ……高速タイピングの音が鳴り響く。そして……ターン! 「ビンゴ! これだ。これで間違いねえ」UNIXモニタを見つめるタキは、得意げに唸っていた。「マウント・ハッコーダ……頻発する怪奇現象……そこに、奴はいる」覗き込むように、ニンジャスレイヤー。

「あぁ、そういうことになるな、ニンジャスレイヤー=サン。間違いねえ。だがな……」タキはニンジャスレイヤーを見つめ、やや不満げな表情を浮かべた。「いいか、言っとくぞ」「なんだ」「やっぱりだ。わかってねえな」「……なにが言いたい」

「カッー! これだ、これだよ! いいか? 言っとくぞ? これはオレだから調べられたンだ。もう一度言うぞ? オ・レ・だ・か・ら、だ!」「そうか」「オホーホー」タキは呆れたように首を振った。「お前、わかってねえだろ? オレの価値が」「あぁ、わかっている」とニンジャスレイヤー。

「いーや、わかってないね。お前はオレの価値がまるでわかってねえンだ」タキはコトブキの方を見て言った。「コイツ、全然わかってねえ」「そうなんですか?」「ああ、そうだ」タキは背後のニンジャスレイヤーを親指で差した。

「コイツがインタビューしてきた情報は、フュジティヴ=サンって名前と、そいつが氷を使うニンジャってことだけだ」タキは椅子をくるりと回し、ニンジャスレイヤーに向き合った。

「そのフュジティヴ=サンって負け犬野郎が、調子こいてビッグ・ビズをこかして、複数のメガコーポに狙われる身となった。そしてドサンコに逃亡し……辺境のマウント・ハッコーダに逃げ込んだ。いいか? それを突き止めたのは、このテンサイ級ハッカーであるオレってわけなンだが?」「そうだな」「カッー!」

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 フュジティヴ。

 サンズ・オブ・ケオスに属するニンジャ。仇であるサツガイに連なる者。ニンジャスレイヤーはニューロンを研ぎ澄ませていく。感じる。間違いなく近い。サツガイに連なる者の、気配が近い。

(((グググ……マスラダ。そのフュジティヴなる者、氷を使う……相違ないな?))) (あぁ、そうだ)(((この吹雪……ならばフーリンカザンはその者にある。ゆめゆめ、油断することなかれ……!)))

「言われるまでもない!」マスラダの身を覆うダウンが燃え、その中から赤黒の装束が現れた。顔には禍々しきメンポ(面頬)。メンポには「忍」「殺」の二字が刻まれている。ニンジャスレイヤーは油断なきカラテを構える!

「ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」エパタが泡を吹いた。急性NRS(ニンジャリアリティショック)に陥ろうとしている! コトブキはエパタに寄り添い、その肩に手を置いた。「大丈夫です、彼は……ニンジャスレイヤー=サンは……味方……そう、そうなんです、味方です!」「み、味方……アイエエ……え?」

 ア……イエエー……アイ……エエー……
 アイエ……エー……アイエ……エー……アイエエー

「これは……!」ニンジャスレイヤーは眉根を寄せた。まるでエパタの悲鳴を真似たかのような、不気味な叫び。それが風に乗って辺りに木霊していた。「そこかぁーッ!」白の向こうで、シカリが叫んでいた。BLAM! BLAM! BLAM! 銃声、閃光。「死ね!」

 BLAM! BLAM! アイエエー……アイエ……エー……BLAM! アイエ……エ……アイエ……エー……シカリ=サーン……アイエエ……BLAM! アイエエ……シカリ=サーン……アイエエ……「……エ?」……アイエ……エー……シカリ=サーン……「そんなまさか……?」シカリはその手を止め、耳を澄ました。不気味な叫びは確かに近づいてきている。しかし、これは……

 シカリ=サーン……アイエ……エ……シカリ=サーン……シカリ=サン……

 シカリ=サン?

「ヒゲクリ=サン!? その声はヒゲクリ=サンなのか!?」

 銃声がやみ、戸惑うようなシカリの叫びが聞こえた。「ニンジャスレイヤー=サン!」「あぁ!」コトブキの呼びかけに、ニンジャスレイヤーは応じていた。何かが起きている。ニンジャスレイヤーは駆け出す……いや、駆け出そうとした。

(((マスラダ!)))

「イヤーッ!」カラテシャウト! 背後! ニンジャスレイヤーは咄嗟に身を捻る! その体を鋭い一閃が掠めていく。「グッ……」ニンジャスレイヤーは脇腹を抑え、よろめいた。白い大地に、染めるような赤い鮮血が流れた。

「これはこれは……これで決めるはずだったんですが。よく躱せましたね」「貴様……ッ!」その視線の先。張りついた笑みを浮かべるのはエパタ。その手にはクナイ・ナイフが握られている。

「エパタ……サン?」「よせ、近づくな……ッ!」「イヤーッ!」ウシロケリ・キック! 「ンアーッ!」コトブキはくの字になって、吹雪の向こうへと吹き飛んでいった。「コトブキ!」

「ふふ。それではあらためて……」その身体をさざ波が覆い、灰色のニンジャ装束が形成されていく。「ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。アンシャレンです」「ドーモ。貴様……ニンジャだったのか」「ええ、そういうことですね」

(((ぬぅぅ……なんたるウカツ! ワシとしたことが、不甲斐なし……! コヤツ、ここに到るまでニンジャソウルを一切感じさせなんだわ!))) ナラクは呻いていた。まるでその呻きを見透かすように、アンシャレンは続ける。「わたし、こういうのが得意なんで。どうかご自身を責めないでくださいね」

 BLAM! 再び銃声。続いて、「アア……ア……AAAAARGH!」シカリの断末魔。「ふむ。シカリ=サン、もうダメみたいですね」アンシャレンは冷たくニンジャスレイヤーを見つめる。「そして、シカリ=サンだけでなく、貴方も」

「……!」ニンジャスレイヤーの視界が揺れる。「これは……!」ニンジャスレイヤーは膝から頽れた。「はい、猛毒です」アンシャレンはクナイ・ナイフを振ってみせる。

「あなたのビズはこれで終わりですよ、ニンジャスレイヤー=サン。貴方がどこのメガコーポのエージェントかは知りませんが。わたしは、わたしのビズを遂行する」そう言いながら、ニンジャスレイヤーに背を向けた。

「恨まないでくださいね。フュジティヴ=サンはわたしの獲物なんだ」そして、ゆったりとした足取りでシカリが叫んでいた方角へと歩いていった。

「くそッ……」(((マスラダ!))) 「わかっている……!」ニンジャスレイヤーは目を閉じ、両膝の上に手を載せた。そして、「スウー……。フウーッ……」深く吸い、深く吐いた。それを繰り返していく。まるで、溶鉱炉に風を送り込むふいごのように。だが、その息がくべられるのは溶鉱炉ではない。ナラク。ニューロンの同居人。その、暗黒の炉。

「スウー……。フウーッ……」ナラクの炎が全身をかけ巡っていく。それがニンジャスレイヤーに力を与えていく……仮初めの力を。「スウーッ……フウーッ……」装束が爆ぜ、その上を黒い炎が波立つように走っていった。「スウーッ……フウーッ……」焦がすような感覚がニューロンの中で木霊していく……サツガイ……アユミの仇…… (((殺せ))) ……サツガイに連なる者…… (((殺すのだ))) ……サンズ・オブ・ケオス…… (((殺せ!))) ……ニンジャ…… (((殺すべし!))) ……

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「ははは……これはこれは」アンシャレンははしゃぐように手を叩いていた。「アイエ……エ……!」叫び、そしてズルズルと引きずる音とともに、吹雪の向こうから人影が近づいてくる。

「逃げずに向かってくるとは。はは。ありがたい。手間が省ける」吹き荒ぶ白の中に、うっすらと青い頭巾とメンポが浮かびあがった。そして、「ははは、やはり貴方は負け犬だ」その青い頭巾から、アンシャレンを見つめるのは虚ろな眼差しだった。

 視界は悪い。しかし、互いの距離はせいぜいタタミ3枚分といったところだろう。勝負は一瞬で決まる。「ドーモ、アンシャレンです」「アイエ……ド……モ……」「ンー?」アンシャレンは眉を顰めた。「フュジ……ティヴ……デス……アイエ、エ」

 ぎこちのないアイサツ。「どうしました? 逃亡生活で気でも狂いましたか?」アンシャレンはクナイ・ナイフを構える。(一撃。それでこのビズも終わりです)ナイフには致命のアンタイ・ニンジャ神経毒が塗布されている。

(いやいや、待て)フュジティヴの背後。赤い光がふたつ、浮かんでいるのが見えた。アンシャレンは警戒する。事前の調査では判明していないジツ。その可能性がある。油断してはならない。いや、油断などはしない……そう、わたしは油断しない!

 刹那! アンシャレンは身を捻り、跳んだ! 「「イヤーッ!」」その体を暴風のようなニンジャスレイヤーの一撃が掠める! 「チィッ! 外しただと……ッ?」

「ははは……貴方、しぶとい」アンシャレンは着地した。そして違和感を覚えた。「……?」奇妙な感触だ。雪とも異なる、弾力性のある……「アバーッ!?」アンシャレンの視界が回転する。まるでスローモーションのように感覚が鈍化する中で、アンシャレンは自覚した……(わたしは……宙づりに……?)。

 そして見た。自分を宙づりにした、不気味に蠢く巨大な肉の塊りを。肉塊の上にはフュジティヴの上半身が生えていた。いや、フュジティヴだけではない。まるで指人形のように、そこには幾人もの上半身が生えている……。

 アンシャレンは悟った。巨大な触手状の何かが、己を喰らい、飲み込もうとしているのだと。そして、肉塊の叫びを聞いた!

「アイエ・エ、アイエ・エ」

「ア……ア……そんな……ッ」肉塊の中央。そこに生えた2本の触覚状の先端が、赤く明滅しながらアンシャレンを見つめていた。自分もあの、指人形になるのか。そんなことを考えながら、そしてサヨナラを言うこともできずに、アンシャレンは、そのまま飲み込まれていった。

「くそッ……」視界が、世界が、そのすべてが白かった。切り裂く風の音(ね)。猛る吹雪が叩きつける中、木霊するのは、あの不気味な叫びだ。

「アイエ・エ、アイエ・エ」

 ニンジャスレイヤーは脇腹を押えた。傷のダメージ。寒さ。そして毒。それらによって、肉体が蝕まれていく。(((警戒せよ、マスラダ!))) ナラクが叫んでいる。びょうびょうと音をたてる白い視界の向こう側で、赤い光がこちらを見つめるように蠢いていた。ニンジャスレイヤーはシカリの言葉を思い返していた。(もっと醜く、おぞましい何か……)

(((面妖……実に面妖な……!))) ナラクは呻く。(ナラク……やつはなんだ) (((わからぬ! だが……お前も感じているであろう))) (あぁ……)確かに感じる。サツガイに連なる者……その気配を。「スウーッ……フウーッ……!」呼吸を深める。やつが何者なのかはわからぬ。だが、そうであるのなら……「俺が、やることは決まっている!」

「イヤーッ!」左右の腕を振り、ニンジャスレイヤーはスリケンを投げた! スリケンは2体の指人形の頭部を貫通する! 「アイエ・エ、アイエ・エ!」だが、肉塊に変化なし!

(((マスラダ! やつの命の源を断つべし!))) ニンジャスレイヤーは跳躍した。宙を滑りながら、腕を振り上げていく。張り詰めた筋肉がミシミシと音をたてる。その体を喰らうべく、肉の触手が殺到する!

「イイィィィヤーーッ!」白の空間を赤黒の風が切り裂いた。肉触手が宙に散乱! そして! 「アイエ・エ、アイエ……アバ……アバッ!?」ゴウランガ! ニンジャスレイヤーの螺旋を描く手刀が、肉の塊に巨大な穴を穿っていた!

(そうか……)

 ニンジャスレイヤーは何かを悟ったかのように、瞬時、目を瞑る。

(助けて)(殺して)(助けて)ニンジャスレイヤーのニューロンに、指人形たちの意識が流れ込んできた。その悲しみが、恨みが、怨念が、ニンジャスレイヤーの身体を循環し、内なる炎を燃え上がらせていく。

 ニンジャスレイヤーは目を見開いた。その体から赤黒の炎が噴き出す。その煮え滾る炎が、蠢く肉塊を焼き尽くしていく! 「アイエ・アバッ? アイエ・アバァーッ!?」

 ニンジャスレイヤーは逆の手でフュジティヴ肉人形の頭を鷲掴みにした。「サツガイという男を知っているか」「ド……モ」「サツガイについて……サンズ・オブ・ケオスについて……!」「フュジ……ティヴ……デス」「言え! 知っていることをすべて! お前の残された意識で!」

 バチバチと音をたて、フュジティヴの頭部が燃えていく。それとともに、ニンジャスレイヤーのニューロンに言葉が流れ込んでくる……サンズ・オブ・ケオス……ネオサイタマの廃墟……トラップマスター……。

「アイエ・アバッ? アイエ・アバッ!? アイアバーッ!?」肉塊が断末魔の叫びをあげた。その体が燃え尽き、灰となって崩れ落ちる。そしてニンジャスレイヤーもまた、崩れ落ちる灰とともに大地へと向かって倒れ込んでいく。

 時間の流れが、泥のように鈍化していった。崩れ落ちる灰が、その身を包んでいく。ゆっくりと雪面が近づいてくる。(これは……)白熱したニューロン。そこに侵食するように、流れ込んでくるものがあった。(なんだ……これは……あの肉塊の……記憶?)それはあり得ざる光景だった。氷に閉ざされた世界。上昇。重力からの解放。星々の大海。孤独な旅。そして、渇き……。異形の……感情。まるで神話。

 ア……イエ……エ……アイ……エエー……

 気がつくと、ニンジャスレイヤーは雪の大地に突っ伏していた。意識が途切れ途切れに薄れていく。

 ア……イエエー……アイエ……エエー……

(これは……現実なのか……?)悲しく渦巻く慟哭が聞こえる。(それとも……)ナラクは沈黙している。慟哭は木霊している。

 アイエ……エ……アイエ……エー……ニンジャスレイヤー=サーン……アイエエ……

 ニンジャスレイヤーは……マスラダ・カイは目を瞑った。もう、力が入らない。

 アイエエ……ニンジャスレイヤー=サーン……アイエ……エー……ニンジャスレイヤー=サーン……

(俺は……こんなところで……)

 ニンジャスレイヤー=サーン……ニンジャスレイヤー=サン……!

 夢と現のあわいの中で、マスラダは、これはどこかで聞いた懐かしい声だな……そんなことを考えていた。そして「帰りましょう」そんな言葉を聞いた気がした。

【アイエエ・マウント・ハッコーダ】終わり

※ 2020年度ニンジャスレイヤー222応募作品です。
2020年8月23日追記!

なんと! シックスゲイツ賞に選ばれました!

その報告と後書きなどはこちらから。

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