死神の仕事 第二話「乙女のショーケーキ」
1
私は恋を知らない。生まれてこのかた、病院で暮らしている。しかも隔離病棟。親にも面会できない。お医者さんや看護師さんにも時々、マスク越しに会うだけ。真っ白な病室でいつも1人。味気ない日々を過ごすだけ。
私の世界はこれだけ。これ以上でもこれ以下でもない。
私はこのまま、この世界以外を何も知らないまま、生きていくのだろうか。
そんなある日のことだった。私の世界に2人が現れたのは。
「メアリさん、貴方の余命は後一カ月です」
2
初めて会った印象は、何も知らなそうなオンナノコ、だった。病室にいる彼女は酷く寂しそうで、現れたオレたちにもポカンとしていた。
繋がれた点滴から絶えず雫が落ちる。
「あの、どなたでしょうか、」
彼女の目が戸惑うように泳ぐ。
「ここは、隔離病棟ですよ？関係者以外立ち入り禁止のはずでは？それにあなた方にも病気がうつってしまいますから、」
おどおどと、言葉を詰まらせながら、申し訳なさそうに言う彼女はオレたちの事を少しも怖がってはいないようだった。
「初めまして。メアリさん。我々は俗に言う死神というものです。貴方の余命をお知らせし、お迎えに参りました」
ヴォルッチはニコリと笑って恭しくお辞儀をする。
「死神？」
「そう、メアリチャンは、後一カ月で亡くなっちゃうンス」
「死ぬ…？」
メアリチャンは目をぱちぱちさせると悟ったように俯いた。
「そう………。やっとお迎えが来たのね」
寂しそうな声で微笑んだ。
「オレはシロ。コイツはクロ。死ぬ前に、アンタの願いを一つ、叶えたげる」
「願い?」
「そ、なんでも一つ」
「それじゃあ私の恋人になってください」
「「恋人？」」
3
「私は生まれてからずっと、この病室から出たことがないのです。恋人は愚か、友達もいたことがありません。けれど、私は1カ月後に死んでしまうらしいじゃないですか。だったら一度だけ、ごっこでも構いません。恋人が欲しいのです」
「そう、言われてもね」
彼女はそう流暢に語る。
恋人、か。
「できないことはないですが、どちらにです？」
「できれば、シロさんに」
「オレ？」
「はい」
シロに。
「まぁ。オレは構わないけど」
「でしたらよろしくお願いします」
「と言ったって、何して欲しいの？」
「恋人を持ったことがないので分かりません。シロさんが教えてください」
「オッケー！」
リヴァイヴはにっこり笑うと、メアリさんの手を取ってキスをした。
嫌にあっさり了承したものだ。俺というものがありながら。一体どういうつもりなんだ。
まぁ、これも仕事、致し方あるまい。
キスをされたメアリさんは驚いたように頬を染めて、恥ずかしがった。
「メアリ、好きだよ。今日も綺麗だね」
リヴァイヴはメアリさんのベッドに座るとメアリさんを褒め称え、髪をとかし始めた。
「俺はその辺でも観光してくるよ。カップルの邪魔をする気はない」
「はーい、またね」
手を振るリヴァイヴを背に俺は病室を後にした。
やけにもやもやする。俺は散歩をするも、景色には目がいかない。
リヴァイヴは根っからの女好きだ。女性が悲しんでいる姿を見るとほっとけないような奴だ。そのハートフルさが、俺の好きなところでもあるが、裏目に出ることもよくある。
嫌、というわけではないが、断るとか躊躇うとかして欲しかった気がする。
仕事なんだから、と自分に言い聞かせてもうまく割り切れなかった。
俺は降り出してきた雨から逃げ出すように街を駆け出した。
4
次の日。リヴァイヴは真っ赤薔薇の花束を抱えて、いそいそと病室に向かった。
「なんだそれ」
「メアリちゃんにあげるの」
「あそう」
俺も貰ったことないのに。
なんだか胸がズキズキ痛む。それでいて、やめて欲しいともいかないでくれとも言えない。俺はどうしようもない奴だ。
俺は柄にもなくタバコを吸ってみることにした。
「ゲホゲホ、ゲホッ」
慣れないタバコは胸に詰まってむせ返った。苦いような、ピリつくような、まるで美味くない味がした。
あいつは美味そうに吸うのに。
5
「愛してるよ、メアリちゃん。具合はどう？」
「今日はだいぶいいんですよ」
「それはよかった」
シロさんは花瓶に真っ赤な薔薇をさすと、私によく見えるように飾ってくれた。
薔薇の花言葉は『愛しています』
キザな人なんだな、と、少し恥ずかしく思う。
シロさんは私の手を取って話をしてくれた。身の上話、外の世界のこと、今まで会った人々のこと。シロさんは楽しそうに、それはもう熱心に、私に話を聞かせてくれた。
目の前に情景が浮かぶようで、何より人と話すのがとても久しぶりで、酷く嬉しかった。
「シロさんはどんな女性がお好き？」
「そうだなあ。優しくて、可憐で、心がまっすぐな人かな。メアリチャンみたいな子はすごく好みだよ」
「あら、ふふふ」
褒められたのがくすぐったくて、思わず笑ってしまう。
「メアリチャンは？」
「私は……」
ふと、考え込む。今まで考えたことがなかった。何より、今まで出会ったことがある男性といえば、お医者さんくらいで、好みがどうとか、どんな人がいいとか頭の端にも思い浮かばなかった。
「私も、優しい人が好きです。優しくて温かい人、こんな私でも、好いてくださる人」
「メアリチャンは魅力的だよ。こんな、だなんて言わないで。髪も綺麗だし、笑顔が可愛いし、言葉遣いも丁寧でとても女性らしいよ。素直で優しくて、オレにはもったいないくらいだよ」
シロさんは慌てて私の頬を撫でる。
自分のことをこんなに慈しんでくれる人など今までいただろうか。親にだってこんなに愛されたことはない。
ごっこだとしても、とても嬉しかった。
「お世辞でも嬉しいです」
「お世辞なんかじゃないよ。本当に思ってるんだから」
シロさんは真剣な目で私をみる。とても酷くドキドキした。
思わず目を逸らしてしまう。
「そらさないで」
シロさんは私の顎に手を添えると、優しくキスをした。
ファーストキスは酷く甘い味がした。
ガタン——、
音をした方を見ると、クロさんが病室の扉を開けたところだった。
「…………、悪い」
クロさんは決まり悪そうに病室を出ていく。なんだか申し訳ない気分だ。
「あちゃー見られちゃったか」
シロさんもしくじったなーというような顔をして私にウインクした。
「アイツ、ヤキモチ焼きだから」
「やきもち？」
「そ、メアリチャンには悪いけど、アイツ俺の恋人なんだ」
「まぁ。じゃあ悪いことをしてしまいましたね」
「いいのいいの。アイツ、ツンデレだから。たまには妬いてほしい時もあるの。それに今はメアリちゃんが恋人だからね」
そういうと、シロさんは昔の話をしてくれた。
6
「オレとクロは小さい頃から一緒の幼馴染だったんだ。でもアイツとはだいぶ環境が違ったけどね」
シロさんはどこか懐かしむような目をした。
「オレは裕福な家庭。アイツは親に捨てられたんだ。不老不死なんて気色悪いだろ？」
「そうかしら。もうすぐ死んでしまう私には魅力的に聞こえます」
「ふふ、案外寂しいもんだよ？捨てられたアイツは悪い奴に拾われちゃってね。物好きな貴族だった。幼いアイツにいろんな仕事を教え込ませて、こき使ったんだ。死なないのをいいことに、そりゃ酷い扱いだったよ。オレは時々手当をしたり食べ物を分けてやったりしたんだ。小さい子供だから、できることも少ないけどね」
シロさんは寂しそうに笑った。きっとそのことを後悔しているのだろう。
「酷い扱いをされているのにアイツは、主人に懐いててね。酷く憧れてるみたいだった。それがなんだか悔しくってね。逃げ出さないかって茶化してみたりしたんだけど、アイツは行かないって聞かなくて。主人のどこがいいんだって、よく喧嘩したもんだよ」
「心配だったんですね」
「うん。今思えばそうなんだろうね。そのうち、俺にもアイツにも恋人ができてね、疎遠になっちゃった」
シロさんは両手を口に当てると、深く考え込むような顔をした。
お二人が羨ましい。私にはそんなふうに思ってくれる人なんていなかった。疎遠になってしまったといえ、自分のことを心配して、本気になって喧嘩してくれる人など。
「こんな話、嫌だった？」
「いえ、聞かせてください。お二人の話、とても興味深いです」
「ありがとね」
シロさんはどこか悲しそうに笑うと、空気を入れ替えよう、と窓を開けてくれた。
春の匂いが、病室に溶け込む。
「オレの恋人も病気で死んじゃったんだ。すごく、悲しかった。そんなオレを支えてくれたのがアイツなんだ」
「まぁ」
「アイツ、オレの自殺を止めたりね、ご飯を食べさせたり、風呂に入れたり。そりゃ甲斐甲斐しく世話してくれたよ。ほっといてもよかったのにね。そん時、気が付いたんだ。ああ、オレ、コイツが好きだなあって」
シロさんは幸せそうな顔をした。
「でも今更さ、ずっと一緒にいるのに告白だなんてさ、照れくさくて。恋人になるのにすごく時間がかかっちゃった。アイツはサラッとOKしてくれてね。酷く拍子抜けしたのを覚えてる。それからこうして、色んな人に会って仕事をしてるけどさ。アイツより好きな奴なんて、出会ったことなくてさ。柄にもないけどベタ惚れなんだよね」
照れくさそうに、顔を赤くして、シロさんは静かに笑った。
2人の絆には敵いそうもない。
「幸せですね。お二人とも」
「うん。すごくね」
春の匂いに混じって、雨の匂いがした。
7
最悪だ。リヴァイヴと、メアリさんがキスするところを見てしまった。
別に逃げなくてもよかったのに。
なんとなく、リヴァイヴが追いかけてきてくれるような気がして、走ってきてしまった。でも、リヴァイヴは追いかけて来なかった。
ほったらかしにされてしまったことにショックで、さっさと拠点に帰った。
コーヒーを淹れるも、火傷をしてしまう。
リヴァイヴはメアリさんに俺たちの関係を話したのだろうか。それとも隠したまま？
どちらにせよ、この扱いは酷いような気がした。ような、ではない。酷い。酷すぎる。
はじめは仕事だと飲み込めたものの、毎日幸せそうに楽しそうに病院に向かうリヴァイヴに酷く嫌気がさして、なんだかリヴァイヴを憎らしく思うようになってしまった。
自分にこんなに醜い感情があるとは。自分でも驚いた。
帰ってきたリヴァイヴはごめんとも、申し訳なかったとも言わずに、そのままケロッとしていた。その様も憎らしい。
「メアリさんの具合はどうだ」
「元気ッスヨ。後数日で死んじゃうなんてウソみたいに」
「そうか。オレらのこと話したのか」
「分かる?」
「まあ。なんて言ってた」
「羨ましいって」
「羨ましい?」
「自分にはそんなふうに思ってくれる人、いないからって」
「ふうん」
メアリさんもメアリさんだ。オレらのことを聞いたんなら、願いをキャンセルしてくれればいいのに。
無垢で、優しいメアリさんが悪女のように思えてくる。
「怒ってんだ？」
リヴァイヴは嬉しそうにオレの頭を撫でてきた。
コイツにはこういうところがある。
「別に」
「怒ってる。いつもより無愛想ッスもん」
「分かってるなら……」
「でも、やめてほしいとは言わないンスね。お人よしなやつ」
「仕事は完うしろよ。サボったら、辛いのはお前だ」
「そんだけ?」
リヴァイヴは探るような目つきでオレを見る。
本当は今すぐにでも辞めてって言いたかった。口から出そうなその言葉を、俺はコーヒーと一緒に飲み込んだ。
酷く苦い、ツンとする味がした。
8
「してほしいことがあるんです」
明くる日、余命幾ばくもないメアリちゃんはオレに真剣な顔をして頼み込んだ。
「なあに？大好きなメアリちゃんのお願いなら、なんでも聞いてあげちゃう」
ニコニコと笑って見せる。残り少ない時間しかないのだから、なんでも叶えてあげたい。これは本心だ。
「SEXを」
「へ。」
メアリちゃんが言うには、このまま何も知らないまま死んでしまうのは嫌だからと。せめて一度だけでもいい、恋人とそういうことをしてみたいらしい。
「こんなこと、頼むなんてはしたないですよね」
メアリちゃんは顔を赤くして、初々しい反応をした。
「いや。誰でも一度はしてみたいと思うよね。別に悪いことじゃないよ。でも、」
「でも、？」
「少し、考えさせて」
「分かりました」
ヴォルッチに聞いてみなくちゃ。
拠点に帰ると、ヴォルッチは本を読んでいた。
最近ずっとこうだ。オレの方をあまりみてくれなくなった。
「ヴォルッチ、話があンの。聞いてくれる？」
オレがそう聞くと、機嫌が悪そう顔を上げた。
「何」
「あのね、メアリちゃんが、オレとエッチがしたいんだって」
ヴォルッチは少し目を見開くと、下唇を噛んで、きゅっと口の中を噛み締めた。
「そんで？お前はなんて返事したんだ」
「考えさせてねって言っておいた」
「……そんなこと俺に言ってどうする。恋人同士なんだろ。好きにすればいい」
ヴォルッチは何にもなかったように本に目線を戻した。
嫌だって言えばいいのに。顔にそのまま文字が書いている。
なのにヴォルッチはそのことを口には出さない。遠慮深い。望みの少ない奴だ。
「いいの?本当に」
「好きにしろよ」
ぶっきらぼうに言葉を投げつける。
「じゃあ。してきちゃおっと」
オレはヴォルッチにわざと選ばせるように言った。
立ち上がって拠点を後にしようとする。
——と、
後ろからぐい、と引っ張られた。
振り向くと、酷く泣きそうな顔をしたヴォルッチがフルフルと唇を震わせていた。オレが振り向いたのに気がつくとパッと手を引っ込めた。
「なに？」
言ってごらんよ。ちゃんと。
「い、やだ。行かないでくれ、」
「なんで」
「やだ、リヴァイヴ、他のやつと、そんなこと、しないで、、俺、我慢できない、他のことなら、いくらでも我慢できる。でも、それは、いやだ、」
ヴォルッチはポロポロと綺麗な顔を濡らした。
「本当は、ずっと嫌だった、お前が、あの子に好きだって、言うのも、愛してるって言うのも、あんなにあっさり、了承したのにも、腹が立ってた、なのに、美味く、言えなくて」
「うん」
オレはヴォルッチの隣に座って背中をさすってやった。
「お前が、たのしそう、に、病室に向かうの
すごく、嫌だった。すごくもやもやして、自分がいやになった、もっと、はや、く、言えばよかった、リヴァイヴ、いやだ、行かないで、」
「我慢してたのが溢れちゃったンスね」
ヴォルッチはしゃくり上げながら一生懸命、言葉を繋いでくれた。
嗚呼、可愛い。
「リヴァイヴは、俺の、なのに、」
ぎゅうっとヴォルッチはオレを抱きしめてきた。強い力。痛い気さえする。
「うんうん。よしよし」
「意地、張ってごめん、」
「いいよ。オレも意地悪だった」
オレはヴォルッチを慰めるようにキスをしてあげた。
やっぱりオレ、ヴォルッチが1番好きだよ
9
「ごめんね」
断られるのは分かっていた。
でも少し、意地悪してみたくなったのだ。シロさんがあんなに幸せそうに、クロさんのことを話すから。
「私からも。申し訳ないです」
クロさんも深く頭を下げる。
「いいんです。答えはなんとなく、分かってましたから」
お似合いの2人だ。仲を引き裂くなんてこと、出会った数日の私にはできない。
「メアリちゃん、お詫びと言ってはなんだけど」
シロさんはそういうと、私に小さな箱を差し出してくれた。
開けてみると中身はペンダントだった。
シロさんと同じ瞳の赤が、笑い返すように輝いていた。
ペンダントをつけてみる。
コロンとしたこの触り心地と輝きに思わずうっとりする。
「ありがとうございます。大切にしますね」
私シロさんにお礼を言うと、少し眠ることにした。酷く、体が軽いような、安心するような、優しい気持ちになった。
10
それから数日後、メアリさんは亡くなった。
眠るように、静かに息を引き取った。
「じゃあね」
と言って、リヴァイヴが魂を刈り取った。
これで仕事はひと段落だ。
「それにしても、泣いちゃうとはね」
リヴァイヴがからかうように俺の顔を覗きこんだ。
「うるさい」
「すーぐツンツンするんだから。少しは素直になりなよ」
「今回はだいぶなった方だ」
「そうねぇ。普段のヴォルッチからしたら大進歩だねぇ」
茶化すようにリヴァイヴは笑って、俺の手を取った。
ちゅ、と優しくキスをする。
「もうしないよこんなこと。約束する」
「ならいい」
俺たちは手を繋いで次の仕事に向かう。
空は朝焼けに赤く光っていた。
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