20年前の父の気持ちと今の僕(文章のみ)
父が、要介護2の認知症になって、丸2年になる。
文字が書けない、時間がわからない、服の着方がわからない。
でも、今も昔も、温和でやさしい父だ。
今から20年前の話。
僕が実家を出た23歳当時。
父はまだ、元気だった。
僕は20年前、悪性腫瘍があった(今は完治)。
手術で取り除いた後は治療を控えており、親にカミングアウトする必要があった。※
ゲイだと、カミングアウトはまず父にした。
父は「まだ女を知らないだけだろう」という反応だったが、最終的には、納得するわけでもなく、なだめるでもなく、話を聞いてくれた。
翌日、父から聞いたらしい母にボコボコにされた(言葉で)。
共同生活が無理だと判断して、僕は実家を出ることにした。
逃げるように1人暮らしを始めたので、当時、父がどんな気持ちだったのか、知る由もない。1人暮らしを決めた横浜まで、父は車で荷物を運んでくれたが、会話は他愛もなかった。
ほとんど、僕が一方的にしゃべっていた気がする。
特に「カミングアウト」関連の話は無かった。
ちなみに、
1人暮らしの理由は、「こんな人間だし、生活力をつけたい。カミングアウトは関係ない。」と伝えた。
(P.S. 自治体負担で精子保存が無償になると分かったのは、カミングアウト後のことである・・・。(結局、治療後は問題なかったので、保存した精子は破棄した))
あれから20年後の最近――
僕が実家を出た当時、母が父に激昂されていた話を聞いた。
「お前(母)が責めたからゆきが実家を出た!」というものだったらしい。
びっくりした。
当時の父から指摘があったなんて。
今の母が語る。
「その時、お前(母)が出ていけ!って言われたのよ」
「人の気持ちが分からないから「出ていけ」などと言える人なのだ」と母は夫を嘆いていた。この件で、当時、半年以上寝込んだらしい。
2022年。
僕がコロナでホテル療養中のため母に電話をすると、母から再度その話になった。
「また言ったのよ「出てけ」って。認知症とかじゃなくて、もともとの性格なのね。」
聞くと、昨日、母が出先から家に戻ると、父は用意しているご飯を見つけられず、何も用意せずに外出されたと勘違いし「出ていけ」と怒鳴ったという。
「当時だって、ゆきが“あれ“(カミングアウトのことと思われる)を、原因に出て行ったわけじゃなかったのに…。勘違いばかり。本当に嫌。無神経な人。」
今や、父は認知症である。
僕は当時23歳。
LGBTという言葉はおろか、ゲイという言葉より、差別的な言葉がお茶の間に浸透していた時代で、理解は難しかったはずだ。
理解不能でも、父なりに考えて、母に激昂したのだ。
何を大事に考えてくれたの?
・・・今となっては、父に真意を聞くことは難しい。
ここ2年、僕がしていること。
それは、父の認知症の病院に付き添い(母も一緒)、その日に実家に帰り数泊することだ。
父に、できるだけ話しかけるようにしている。
しかし、認知症の進行具合が激しい。
ゆき「久しぶり~」
父「・・・。お!どちらさまでしたっけ?(ちゃかすように)」
ゆき「あなたの息子のおユキですよ!(ちゃかしに乗っかるように)」
僕が誰なのか、自信がないのだろう。
父も不安の中で精一杯生きている。
気付かない振りをし、元気に話しかけるのが、今できる僕の親孝行である。
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