見出し画像

【第5回】セーヌ川通信――変わらないパリ、変わりゆくパリ パリ在住50年の翻訳家・吉田恒雄が綴るフランスでの日々

『ブルックリンの少女』『パリのアパルトマン』などギヨーム・ミュッソ作品を翻訳していただいている吉田恒雄さんはパリ在住50年。
今回は、少しずつ活動が再開されはじめたパリの様子などを報告していただきました。

第5回 レジリアンス――たゆたえども沈まず

 前回の連載からだいぶ時間が経ちました。コンフィヌマン(相互隔離令)が緩和されて、8週間ぶりにマルシェ(朝市)まで出かけたのが5月11日のことです。あれからもう3か月近くが経ったのですね。今のパリは、密閉・密接・密集が避けられないホテルとディスコテック、観光業を除き、商業活動がゆっくり動きはじめています。でも目に見えないコロナウイルスと戦うための武器がないため、人々は互いを潜在的な感染者として見るしかありません。つまり、これまでのような間合いでの社会生活が成りたたないわけです。コロナ以前の状態にはもうけっして戻れないと言う人、社会の回復まで少なくとも5年あるいは10年かかると言う人、ずいぶん悲観的な専門家の見立てを耳にしますが、あまり驚かずに(ほんの数か月で3万人以上の死者が出るのに立ち会ったので)それを聞いている自分に啞然とするというのが実情です。いずれにせよワクチンが行きわたる時期が来るまで、そんな話をずっと聞かされるのでしょう。

「コンフィヌマンを決断するよりも、脱コンフィヌマンをお膳立てするほうが遥かに困難である」と予言したのは、先日、総辞職した前首相のエドゥアール・フィリップですが、そのとおりになりつつあります。当地でも専門家たちがそれぞれ異論を唱えるため、人々はある意味で鈍感になっています。もう語り草となっているマスクの要否をめぐる迷走は、まだ記憶に新しいところです。そして、間合い1メートルのはずが、3メートルでも危ないと言う専門家が現れ、ごく最近は飛沫がエアロゾル化して空気感染の可能性も問題にされています。何をするにも準拠すべきものがないに等しく、各自がリスクを負わざるをえないということです。

 せっかく5月11日に再開した行きつけのマルシェですが、7月25日の土曜を最後にバカンスに入ると言われました。春のコンフィヌマンのせいで稼げなかった分、夏の休暇返上で取り戻そうとするに違いないとの予想は見事に外れました。なるほどと、原則に忠実なフランス人気質に感心した次第です。もうひとつあっぱれと思ったのが、去る6月28日に行われたフランス統一地方選でマクロン大統領の中道与党を抑えて躍進を遂げた環境保護派の、何があろうと原則を重視するという姿勢です。環境連帯移行相に就任した環境活動家バルバラ・ポンピリは、保健衛生上の“間合い”遵守で席数が減らされ、歩道もしくは駐車スペースを時限的にテラスとして利用することが許されたばかりのレストランに対し、この冬は猶予するが、来年秋以降の暖房付きテラスは禁止すると発表したのです! 真冬に暖房なしのテラスに座る人などいませんよと、今でさえ青息吐息のカフェとレストランをかばってあげたい気持ちがある一方、吹きさらしに近いスペースを暖めるという背徳的な後ろめたさを誰もが以前から感じていたのは確かなのです。

 そうなると、パリ市長アンヌ・イダルゴの勇ましさも挙げなければいけません。コンフィヌマン緩和と時を同じくして、バスチーユ広場とコンコルド広場を繋ぐ目抜き通り、市内交通の幹線であるリヴォリ通りから、市営バスやタクシー、消防車などを除いた一般車両を閉め出し、自転車天国にしてしまいました。気持ちがいいくらい過激ですね。ただし、反対派にも守るべき原則があるわけですから、問題はそう簡単には収まりません。ドカンとやってしまって、逆風が強く吹けば後戻りするという考えなのでしょうが。この秋のバカンス明けには(反対派や組合員もバカンスに出かけていますので)、『パリのアパルトマン』(集英社文庫刊)冒頭のゼネストの光景が再現されることでしょう。やれやれ。

 今、フランスでは2つの軍事作戦が展開中ですが、ご存じですか? 戦争をしているのかと言うと、答えは私にもよく分かりません。パンデミックとの闘いを戦争と見るか見ないかによるのでしょう。3月16日、マクロン大統領が新型コロナウイルスに対し宣戦布告をし(ほんとうにその言葉を用いたのです)、陸・海・空軍および統合衛生部、そしてジャンダルム(地方警察)を総動員する軍事作戦が開始されました。これは、2015年1月の風刺新聞『シャルリー・エブド』の本社襲撃事件から始まったイスラム過激派による連続テロに対応する軍事作戦〈サンティネル(歩哨)〉と併行して展開されるもので、〈レジリアンス作戦〉と命名されました。英語でレジリエンス、衝撃に対する「強さ」とか「回復能力」、「強靱さ」を意味する言葉ですから、〈復活作戦〉とでも訳せましょうか。もちろん〈サンティネル作戦〉とは違い、武器は用いずに仮設病院の設営や医療船、空軍輸送機を動員するための作戦です。もっともテロの直後、パリの市民たちは「たゆたえども沈まず」というパリの紋章にある標語を広場や街角に掲げました。二つの作戦は、“沈んではならない”というレジリアンスのキーワードで密に繋がっているのです。

 この言葉、今の時期ほど頻繁に使われることはなかったように思います。2年前に拙訳で集英社文庫から刊行された『ブルックリンの少女』の訳者あとがきでも触れましたが、主人公のアンナ・ベッケルは、彼女の高校時代の恩師が「わたくしたちが一生に一度しか出会わないような人間の一人」であり、「自分を再構築しようと願い、かならず成功するのだと決めて」いた少女だったと評した、まさにレジリアンスの模範となるような女性です。重い過去を引きずるアンナが医学生として書いた博士論文のタイトルも『レジリエンス』でした。作者ギヨーム・ミュッソは、運命の過酷な試練にさらされた人たちをcabossés(カボセ、叩かれてでこぼこになった状態)と表現するのですが、それはアンナと同じく『パリのアパルトマン』に登場するガスパール・クタンスとマデリン・グリーンにも当てはまり、生死の瀬戸際に踏みとどまりながら生きつづける彼らの姿が浮き彫りにされます。

 さて、ここでがらっと話題を変え、食べ物の話をしたいと思います。長期バカンスに突入する前日のマルシェで活きのいいサバがあったので買い、捌いて冷凍しました。数日前それを解凍、酢でしめてサバ鮨にしました。じつにおいしかったのですが、アニサキスが怖いサバやサケは生食するときは冷凍にしますよね。ならば冷凍食品の専門店で買ったほうが、コールドチェーン(低温流通体系)が整っているのでより安全ではないのかと思ったのです。確かめるため、近くの専門店まで出かけ冷凍サバを買いました。きれいに三枚に下ろしてある立派な半身が3枚、小振りの半身も3枚、600グラムで7.95ユーロ(およそ990円)、マルシェより少し安い。驚いたのは、そのサバの腹骨がちゃんと削いであったことです。お陰で、安くておいしいサバ鮨が堪能できました。たわいのない話のようですが、じつはこれ、フランス在住の日本人にとっては朗報なのです。なにしろレシピの手順どおり酢じめにし、血合いの骨を抜くだけで、立派なしめサバになるのですから。知り合いの在仏日本人の方々にレシピと併せてお知らせしたら、たいへんに喜ばれました。今晩は、解凍中のサケを漬け丼にするつもりです。

 次回のパリがいったいどうなっているのか分かりませんが、それまでどうぞ皆さまもお元気で!

note5写真1

2017年7月のノートルダム大聖堂
(クジラが座礁? いえ、ベルギーのアーチスト集団の作品です)。

note5写真2-2

レジリアンスのノートルダム
(極度のカボセ状態から復活しようとしています)。

note5写真3

冷凍食品店で買ったサバでつくった鮨。
Photo by Tsuneo Yoshida

吉田恒雄(よしだ・つねお)1947年、千葉県生まれ。市川高校卒、フランス文学翻訳者。1970年からパリ在住。会社勤めを経て翻訳家に。現在の住まいはパリの16区。

今後も不定期で連載予定です。
どうかお楽しみに!

書籍の詳しい情報はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?