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【第6回】セーヌ川通信――変わらないパリ、変わりゆくパリ パリ在住50年の翻訳家・吉田恒雄が綴るフランスでの日々

『ブルックリンの少女』『パリのアパルトマン』などギヨーム・ミュッソ作品を翻訳していただいている吉田恒雄さんはパリ在住50年。
今回は、9月18日に刊行されるミュッソの新作『作家の秘められた人生』(集英社文庫)について語っていただきました。

第6回 ギヨーム・ミュッソ――フランスで最も読まれている作家

 今回は、コロナ禍による春のコンフィヌマン(相互隔離令)期間中にフランスで“いちばん読まれた本”ギヨーム・ミュッソの『作家の秘められた人生』が集英社文庫より拙訳にて刊行されますので、そのご案内です。原題は『La vie secrète des écrivains』(邦題はほぼ同じ意味)。この本は昨年(2019)の4月にフランスの版元カルマン・レヴィ社から発売されましたが、たちまちベストセラーの首位に躍り出るというミュッソ作品ならではの圧倒的な人気ぶりを見せています。昨年をふり返ってみても、ミュッソの作品は作家別の書籍売上部数が2019年の1年間で140万部という驚異的な数字をたたき出し、さらには何と9年連続でフランス書籍売上No.1という快挙も成し遂げました。彼は今フランスで最も読まれている作家なのです。

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『作家の秘められた人生』には、栄光の真っ只中にいながら、突如、断筆宣言をして地中海のボーモン島に隠棲したピューリッツァー賞作家ネイサン・フォウルズが登場します。それから彼を敬慕する作家志望の青年(語り手のひとり)ラファエル、そして作家の謎を探ろうとする美貌のスイス人新聞記者マティルド、この3人が主要な登場人物です。作家という職業とは何かという問いから始まり、インスピレーションはどこから来るのか、なぜフォウルズは断筆したのか、著者は作中の作家と文学青年の会話を借りて文学創作の不思議なプロセスを見せてくれます。伝説の作家の秘密に迫っていくなか、この世の天国のようなそのボーモン島で、若い女性の尋常ではない死体が発見されることになる。島内が大混乱に陥るなか、慧眼の元作家と文学青年、ジャーナリストの3人がひとつひとつ真実を暴いていくかのように見えたと思いきや……。

 本書を評して、『パリのアパルトマン』(集英社文庫刊)以来、打って変わったようにミュッソの応援団に加わったように見える左翼系の〈リベラシオン〉紙は、「スリラーが嫌いなら、ミュッソを読む理由はない」と述べ、「三重構造のプロットは巧みに構成され、フランス随一のベストセラー作家は読者を惹きつけるほかに望みがないようだ」と絶賛しています。私見を述べさせていただくと、わたしはギヨーム・ミュッソが二十一世紀のフランスにおける大衆文学の旗手だと思っています。わたしだけが勝手にそう思っているのではありません。人気の文芸トーク番組〈ラ・グランド・リブレリー(大書店)〉のメインキャスターで文芸評論家のフランソワ・ビュネルも、「わたしはミュッソの小説を読みましたが、とても良い読書の時間を過ごしました。読書するに当たっては、上流気取りという罠、つまり大衆好みとは軽蔑すべきもの、ばかげているものと思い込むような類いの罠にはまってはならないと思います。この作品『作家の秘められた人生』でミュッソは、すべての作家に求められること、すなわち今日の世界についての問題提起をすることですが、彼はある種の揶揄を加えながらそれに答えているのです。(……)大衆文学についてですが、わたしはだれよりもこれを弁護したい。今の世の中には絶対に必要なものであり、わたし自身もデュマやフェヴァル、ゼヴァコなどによる大衆小説から文学を発見したひとりです。彼らは同時代の批評家たちからは散々に批判されていましたけれど」と述べているのです。

 ミュッソについて簡単な紹介をしておきましょう。私生活についてはかなり寡黙です。母親が図書館司書だったこと、弟も小説家、妻は演劇関係の仕事をしており、息子と幼い娘がいること以外はほとんど知られていません。1974年、南仏アンティーブの生まれ(現在、46歳)。以降ずっとアンティーブに暮らし、後にニース大学などで教員資格を取得、ほかにも会計検査官などの資格試験に合格しましたが、教師になる道を選んだとのことです。2001年に最初の小説『スキダマリンク』を発表(長らく絶版でしたが、このほどカルマン・レヴィ社が再版を決定、来る9月30日に発売予定)、2007年からパリに拠点を移して左岸に自宅を、右岸に仕事場を設け、教職を退任して執筆に専念しています。毎日、通勤するように仕事場へ向かうのだそうです。2011年に発表の『L’Appel de l’Ange(天使の呼び声)』が初めてベストセラーの首位となり、以来毎年1冊ずつ発表する作品がどれもベストセラーの首位になるというミュッソブームを生みだしました。

 さて、パリでは先週から屋外でもマスク着用が義務づけられました。感染者の数がふたたび増加しはじめ、重篤化や致死率は大きく減少したと言われるものの、インフルエンザの季節を間近に控えて安心はできません。日本はいくらか当地よりも安全なようすですが、どうか皆さまご自愛ください!

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最も読まれる作家となると駅のキオスクでも特別扱いとなります。

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ボーモン島のモデルの1つとされるポルクロル島。

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ボーモン島に行けない人のセーヌ遊泳、でも水上警察の姿が。罰金ですね。Photo by Tsuneo Yoshida

吉田恒雄(よしだ・つねお)1947年、千葉県生まれ。市川高校卒、フランス文学翻訳者。1970年からパリ在住。会社勤めを経て翻訳家に。現在の住まいはパリの16区。

今後も不定期で連載予定です。
どうかお楽しみに!
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