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「四号警備 新人ボディガード久遠航太と隠れ鬼」試し読み(3)/安田依央

【前回】     【登場人物紹介】

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 ユナイテッド4の中で獅子原班はイロモノ担当という位置づけだ。航太が知るだけでも、ペットの犬が殺人鬼に狙われているから警護して欲しいとか、幽霊による魂の攻撃から護って欲しいとか。なんて? と聞き返したくなるような依頼が多い。
「また、えらい変わった依頼が来たらしいで」
 おどけたように言うのはカエル王子こと奈良なら陽大ひなただ。奈良は航太に格闘技や護身術などを指導してくれている先輩だ。カエルの由来はトレーニングの際、彼が高校時代の鮮やかな緑色の名入りジャージを愛用していることによる。奈良は二十七歳だそうだが、とても若く見えるのでジャージを着ていると本当に高校生のようだ。王子の名はそのルックスから。烈や一色に比べれば目立たないものの、よく見ると奈良も相当なイケメンだ。
 彼のスーツ姿はアメリカントラッドが基調でカジュアル傾向が強いが、爽やかでどこかノーブルなルックスが現代風の王子様のように映るのだ。
 ただし喋ってみると中身はお笑い好きのサイコパスだった。サイコパスというのは本人の弁なのだが、航太より彼をよく知るはずの烈も一色もそうびも、果ては社長さえも異論を唱えない。航太にとっては優しく面倒見のいい先輩なので冗談だろうと思っていたが、時々ぎょっとするような発言を真顔でするので本当かも知れないと思い始めたところだ。
 四階でエレベータを降り、IDカードをかざすと、磨りガラスの自動扉が開く。四階には資料室と装備品を保管する部屋、一番奥に会議室があった。各階にミーティングルームや会議室と名のつく部屋があるが、四階の会議室は大きな木の机を囲む形で、座り心地抜群のゲームチェアがずらりと並んでいる。
 十人は座れる部屋だが、集まったのは班長の烈と一色、浦川そうびに航太と奈良の五人だ。
 机の隅にコーヒーサイフォンが置かれており、部屋中にいい香りが漂っている。もちろん部屋の備品ではない。持ち込んできたのは一色だ。アルコールランプで温められた下のフラスコの水をコーヒー豆の粉を置いた上部のガラス器に向けて吸い上げていく。
 ユナイテッド4に来てから、コーヒーは何度もご馳走になっているが、こうやって一色がサイフォンで淹れる姿を間近に見ることはあまりないのでつい見とれてしまう。
 しんとした部屋の中、空調の音と熱せられこぽこぽと弾ける水が細い管の中を吸い上げられていく音が聞こえる。上部のガラス器に上がってきた湯に押し上げられて、コーヒー粉がぶわりと膨らむ。一色が目を伏せ、手にしたへらで上澄みを丁寧に掻き混ぜている。撫でつけた前髪がぱらりと落ちて、額にかかった。こんな時でも一色は姿勢を崩さない。きちんとしたスーツ姿で背筋をぴんと伸ばし、サイフォン上部のガラス器を傾けている姿は美しい執事のようだ。
 アルコールランプを外すと抽出済みのコーヒーが下のフラスコに向かって流れ落ちる。
 ふと我に返ったように、正面の大型モニターの前に陣取る烈が口を開いた。
「今回のチーム編成はこの五名だ」
 ぐるりと指を回して示され、好き勝手な場所に座っている皆が軽く会釈をする。
 座り方にも各々の性格が出ていた。烈はゆったりと腰かけ長い足を組んでいる。上着は隣の椅子の背もたれに造作なく置き、気怠そうにネクタイを緩める。それだけの仕草なのに男の目から見ても恐ろしく色気があった。
 そうびは今日は現場に出ていたらしく、ちゃんとした格好をしていた。後ろできりりとまとめた髪、ブラウスの胸から覗く小ぶりのネックレス。彼女は腕まくりをしており、華奢にも思える手首にはごつい黒のダイバーズウオッチがはまっている。そうびは椅子に浅く腰かけ、背筋をぴんと伸ばしていた。たとえ三年寝太郎の寝起きのような姿の時でさえ、彼女はとても姿勢がいいのだ。
 対して、航太の一つ隣に座ったカエル王子は椅子の上で膝を抱え、体育座りをしていた。
 といっても椅子の上に足を乗せるような不作法な真似を一色が許すはずもなく、靴を履いた足先は宙に浮いている。もしかすると腹筋の鍛錬をしているのかも知れなかった。
「では今回の概要を発表するとしようか。先に言っておくが、少々風変わりな任務でな」
 烈の言葉に「おっ」と奈良が足を下ろし、好奇心丸出しの顔で身を乗り出した。
「風変わりでない任務の方が珍しい獅子原班で、班長がわざわざそう言いはるとはよっぽどですやん」
 烈が笑う。
「ああ、なかなか難易度が高そうだぜ。俺も経験がない」
「ややこしい事件の総元締めみたいな班長に経験がないとは……」
 奈良がしかつめらしい顔を作り言う。
「ははっ。期待値が上がるってもんだろ?」
 ことりと小さな音がして、烈の前にコーヒーカップが置かれた。銀の盆を持った一色だ。どこまでも優雅な所作で配り終えた彼が着席するのを待って烈が口を開く。
「いいかい諸君? 今回、俺たちが護るのは対象者の『声』だ」
「声?」奈良と二人でハモってしまった。
「そらまたピンポイントやな。もしかして昭和の時代のカセットテープに録音された思い出の声を修復せえとかそんな感じですか?」
「それはそれで楽しそうだが違うぜ。警護対象は生きてる人間だ」
「はあ、生きてる人間の? 声だけ? ほしたら本体の方は護らんでもええんかな。やってほら、仮に手足の二、三本切り落としても生きてる限り声は出ますやん」
「奈良君、サイコパス発言は慎みなさい。そのような餌を撒いては班長が飛びついて脱線なさいます」
 ぴしりと遮ったのは一色だ。ヒエッ、すんませんと奈良が首を竦めた。
「おいおい、君なあ。俺を何だと思ってるんだよ」という烈の抗議に構わず、手にしたノートパソコンを操作しながら一色が続ける。
「手足の二、三本を落とすまでもなく、小さなケガでも痛みがあれば万全の声は出せないでしょう。今回の依頼は常にベストの状態で声が出せるよう、警護対象の身辺を含め警護するというものです。手足はもちろん、身体のどこにも傷をつけさせてはなりません」
 なんだかんだで奈良の発言にきちんと答えを返す辺り一色も律儀な人だなと思う。
「さらにいえば、その方がお風邪を召して声が出なくなったとしてもそれは我々の失点ということになります」
 え、そこまで? と驚く航太を代弁するようにそうびが眉を寄せた。
「風邪なんざ自己管理の問題じゃないのか。それを我々がどうこうするのは警護の本質からかけ離れているように思うが」
「ああ」と頷いたのは烈だ。
「俺もそう思うが、今回の依頼には特殊な背景があってな。どうやらこの警護、依頼主側が仕掛けた宣伝の一環らしいんだ」
 宣伝? どういうことだと首を傾げる。
「さっき資料室の御手洗みたらいさんに聞いたんだが、昭和の時代には、自慢の胸や脚線美に多額の保険金をかけた芸能人が話題になったそうだ。そいつと同じ発想。つまりは声に警護をつけることで注目を集める腹なんだろう」
 後半、烈はコーヒーにミルクを入れながら喋っていた。なるほどなあと懸命にメモを取りつつ、航太もコーヒーに手を伸ばす。よく知らないが声優や歌手の世界ではそういうこともあるのだろう。
 航太のコーヒーの飲み方は定まっていない。その時の気分でミルクや砂糖を入れることもあったが、今日はブラックにした。一口飲んで思わず「うまっ」と呟き、天井の照明を浴びて美しく輝く琥珀色の液体を見直した。サーバーで作る自宅や会社のコーヒーとは味も香りもまったくの別物だ。
「恐れ入ります」
 一色が冗談めかして言い、少し笑った。
「なっ。さすがは水もの魔術師だよなあ」
 こちらに向かって身を乗り出す烈に「その呼称はご辞退申し上げたはずですが」とぴしりと返し、「では班長、お続け下さい」と促す。悪びれた様子もなく、ん、と烈が続ける。
「実際のところ、風邪を引いて声が出なくなったからといって警護の失敗にはならんだろうが、この依頼を引き受けたU4に対する同業他者の風当たりが強くてな。宣伝に利用されるとは警護会社としていかがなものか、というわけだ。やっかみ半分、侮蔑半分ってところか。小さなミスでも針小棒大に吹聴してくれるだろう。無論、言いたいヤツには言わせておけばいいが、良きにつけ悪しきにつけ耳目を集めることは間違いないんでな。できればそこも含めて護り抜きたい」
 そういうことかと思った。世間の注目を集める警護で何かミスがあれば、たちまちユナイテッド4への評価に直結する。普通に暮らしている一般市民とはあまり接点がないだけに、ここで初めて警護、つまりボディガードという仕事の存在を実感する人も多いだろう。マイナスイメージが先行するようなことになってはまずいのだ。実際この依頼を受けるにあたり他社のみならず身内のはずの大園おおぞの班から絶対に失敗するな、ユナイテッド4の恥をさらすなと警告が来ているらしかった。
 オファーがあった当初、営業はおそるおそる大園班に打診したらしい。だが、そんなわけの分からん依頼は獅子原にやらせろと言われ、こちらへ回ってきたものだそうだ。
「そんなん言うんやったら今からでもおっちゃんらが自分でやったらええですやん」
 考えていたのと同じことを奈良が言う。
「まあ、そう言うな。連中、警護対象者の影響力を知らなかったのさ」
 要人は我らが護るという矜持を持つのが大園班だ。
「そんなに有名な人なんですか?」
「詳細は皆さんの端末にお送りしています」
 一色に言われ、タブレットに目を落とした航太はえっと思った。そこにあったのは「きょう」という文字だったからだ。
「警護対象は香さんなんですか?」
「ほらな」と訳知り顔で頷き、烈が一色とそうびを見る。
「二十代前半は知ってたぞ」
「久遠、その香とやらは若者界隈ではそんなに流行ってるのか?」とそうびに訊かれ、航太は首を傾げた。
「い、いや、俺も知らなかったんですけど、この前のエスコート任務の時に浅川社長の娘さんから教えてもらったんです」
 机を叩いて立ち上がったのは奈良だ。
「アカン。それが違うんやて」
「お、どうしたどうした」
 烈がコーヒーを飲みながら興味津々といった様子で奈良を見上げている。
「ええです? 香はそんな若者や子供のためにおるんやないんです。露出が少ない分、SNSから火がついて、確かに今は若年層中心の人気やけども、お子様レベルのもんやと侮らんでいただきたい。香は真のアーティストや。疲れた大人の心にもすうーっと染みる歌声の持ち主なんです。班長に一色はん、浦川班長も。何ぼーっとしてますねん。ほら、早う、心開いて香の世界に飛び込むんや」
 あの一見、人当たりはいいが、その実何事にも無関心なサイコパス関西人の心を掴むとは本当にすごいんだなと、烈とそうびがわけの分からない感心の仕方をしている。
「せやけどそれで分かりましたわ。声を護るって何を寝ぼけたこと言うとんねんと思うたけど、香なら分かる。最高レベルの警護をつけるに相応しいやん。いや、むしろなんで今までなかったんやろ。そっちが不思議や。何しろ香の声は国宝レベルやねんから」
 こほん、と烈が芝居がかった調子で咳払いをした。
「君の話はよく分かった。その上でもう一点、これは機密事項なのでここだけの話にとどめて欲しいんだが、来年春から配信がスタートするアメリカ発の超人気サスペンスドラマ『ムエルテ』の新シーズン、そのエンディングテーマに香の曲が使われることが決まったそうだ。日本だけじゃないぜ? 世界同時配信で彼女の歌声が流れることになる」
「なっ……んやて!?」と奈良が椅子ごと後ろへひっくり返った。が、さすがは体術指導担当の警護員らしく、そのまま一回転して着地している。ガシャンと派手な音がして椅子が机にぶつかったが、その瞬間、事態を予測した全員がカップを持ち上げておりコーヒーが零れることはなかった。さすがにみんな反射神経がすごいなと航太はやや遅れがちだった自分の反応をちょっと情けなく感じる。みなに追いつくのはまだまだ先のことのようだ。
 ちなみに奈良はコーヒーを半分飲んでおり、かろうじて零れずに済んでいた。
「おっわ、あぶね。セーフ、セーフ」とカップを誇示したものの、一色にじろりと睨まれ、しおしおと頭を下げている。
 奈良がお行儀よく座る横で烈が続けた。
「うちへの依頼は来たるべき日に向けての下地作りも兼ねているわけさ」
「兼ねているというのは他にも警護をつけなければならない理由があるということか?」
 そうびの問いに烈と一色が頷く。
「その通りだ。この香という歌手だが」
「アーティストや」
「OK、そのアーティストだが、覆面歌手として活動してるそうだ。その資料にも写真がないだろ? 熾烈なチケット戦争を勝ち抜きライブに参加できた一部の幸運なファンを除いて誰も顔を知らない。奈良を見れば分かるがそのファンたちもみな、何だな、そう、志が高くてな。誰もその素顔を漏らそうとしない。声の情報とダンスが素晴らしかった。感動した程度の感想しか出回らない」
 確かに絵理沙がそんなことを言っていた。
「そうとなりゃ一体どんな人物なのか素顔を見てみたいと思うのが人情だ。知名度が上がれば上がるほどその素顔をすっぱ抜いてやろうと動くヤカラが増えるというわけさ」
「つまり声の警護というのは表向きで、その実パパラッチ連中から護るということか」
「そういうことだな」
 奈良がこぶしを握っている。
「許せんっ、神聖な香の素顔を商売にしようなんて絶対に許せへん」
 怒りに震える奈良の肩を立ち上がった烈が軽く叩いて言う。
「ま、そんなわけで、雑音は色々あるだろうがその戦略とやらに俺たちがいちいち頓着する必要はない。いつも通りで構わない。俺たちは護れと言われたものを護るだけだ」
 各自が応と答え、解散となった。
 (第4回につづく)

プロフィール
安田依央(やすだ・いお)
大阪府生まれ。『たぶらかし』で第23回小説すばる新人賞を受賞。
他の著書に『終活ファッションショー』、『ひと喰い介護』、「人形つかい小梅の事件簿」シリーズ、「出張料理・おりおり堂」シリーズ、『四号警備 新人ボディガード・久遠航太の受難』がある。
ミュージシャン、司法書士など、さまざまな顔を持つ。
イラストレーション/アオジマイコ

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