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【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った

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5月21日に集英社文庫から岩井三四二さんの『鶴は戦火の空を舞った』が発売されます。 近代を舞台にした歴史時代小説の新地平! この日本の戦闘機パイロットの最初期を描いた、胸が熱くな… もっと読む
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【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 9/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 九 「なるほど、初手柄ってわけですな」 「ええ。運よくおなじ中隊のヴォワザンVが偵察にきていましてね、証言してくれたんで、撃墜と認められました」 「うん、めでたい。たとえ『ベベ』に乗っていても、なかなか撃墜はできませんからね」  滋野男爵は、乾杯というようにワインのグラスを近づけたので、英彦はそれに合わせた。ちん、と澄んだ音がした。  十月二十三日、パリの一角に偕行社──日本陸軍の将校・準士官らの親睦・互助組織──が借りている一室で

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 8/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 八  七月になってもさほど気温はあがらず、朝晩などはコートがほしいほどの気候がつづいていた。  その朝、英彦はメカニシアンとともに出撃前の機体の点検をしていた。 「きみがよく面倒を見てくれるから、こいつも調子がいいよ」  と英彦が言うと、メカニシアンは帽子の庇を指ではねあげながら応じる。 「少尉が熱心なんで、こっちも力が入りますよ」 「そうかな。おれは当然のことをしているだけだが」  飛行前の点検、飛行後の整備を入念に行い、気づいた

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 7/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 七  基地の宿舎で寝ていた英彦は、無遠慮に鳴り響く不吉な警報に起こされた。  ベッドから出てカーテンをあけ、目をこすりつつ窓の外を見れば、空は暗くて濃い紺色で、ポールの上の吹き流しは垂れ下がっている。地上を走る人影が、やっと見分けられるほどの薄明かりだ。 「総員起床。搭乗員はただちに集合せよ」  と拡声器が呼ばわる。 「また空襲か」  先日、ドイツ機が昼間にきて爆弾を落としていった。ここに飛行場があると、ドイツ側にばれたらしい。  

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 6/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 六  六月初めの夕刻、軍服姿の英彦はパリの東駅にいた。  入隊以来、二十回の出撃をこなしたご褒美として、三日間の特別休暇を与えられた。そこで早朝に基地を出て、パリ行きの汽車に乗ったのだ。  駅から、教えられていた番号に電話した。  日本商社のパリ支店が出た。ムッシュー・ヤナギダを、と言うと、しばらくしてなつかしい声が聞こえてきた。 「おお、いまパリですか。ちょうどいい。今晩、うちに来ませんか。何もありませんが、別の客もくるので、牛鍋

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 5/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 五  雲の上に太陽が顔を出すと、紫色だった東の空が赤く染まった。  基地を離陸してから一時間あまり。ようやく地上の姿がうっすらと確認できるようになってきた。  英彦はクーディエ中尉をのせて、二機編隊の右側を飛んでいた。こちらは第二小隊で、さらに先を第一小隊の二機が飛んでいる。  先頭を飛ぶ中隊長のメナール大尉は、ここまで磁気コンパスだけを頼りに方角を決めてきたはずだから、地上が見えてさぞほっとしていることだろう。  案の定、進路を修

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 4/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 四  翌日、英彦はまたクーディエ中尉をヴォワザンV型機に乗せて飛び立った。  昨日発見した四十二センチ砲に対しておこなわれた味方の砲撃が、成果をあげたかどうかを観測するためである。  青空は見えているが雲は多い。雲量五、と英彦は見た。とくに東のほうには雲が多いが、雲底は二千メートル程度だ。風は北西微風。天気図を見ると近くに前線はなく、飛行に支障はない。 「よし、このまままっすぐ東だ」  クーディエ中尉が前席から指図する。昨日、砲火を

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 3/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 三  英彦は、高度二千メートルで東に向かっていた。  乗機のヴォワザンV型機の前席にはクーディエ中尉を乗せている。  晴れてはいるが、白い綿雲があちこちに浮いている。いまのところ風は穏やか。危険な積乱雲もない。 「ムーズ川を越える。気をつけろ」  クーディエ中尉がふり返って怒鳴り、手で地上を指さす。背後の発動機──ヴォワザンV型機は機首に偵察・爆撃員席があり、そこに回転式の機関銃を備えている。英彦がすわる操縦者席は後方にあって、さら

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第四章 2/岩井三四二

(第四章 ヴェルダンの吸血ポンプ) 二  翌朝は小雨が降り風も強かった。飛行できるかどうか、ぎりぎりの天候だと思いつつ、英彦は飛行服を着て天幕に入り、機体の点検にかかった。  クーディエ中尉は、ぱんぱんに張った背囊を重そうにもって、ヴォワザンV型機が格納してある天幕にやってきた。 「おあつらえ向きの天気だな」  とにやにやしながら言うと、背囊を機首の偵察員席にどさりとおいた。それも安全ベルトやロープなどで固定せず、おいただけだ。その前面に下手な似顔絵を描いた紙を紐でし

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第三章 5/岩井三四二

(第三章 フランスの青い空) 五  入隊の指示がきたのは一週間後だった。  いそいそと陸軍省に出向くと、まずは伍長として歩兵隊にはいる、同時に陸軍飛行学校へ入校し、免許取得にはげむ。無事に陸軍の飛行免許を取得したら、少尉として飛行隊に配属される、との話だった。 「ムッシュー・ニシキオリは日本の将校ですし、フランス語が話せますから、飛行免許さえとればこちらでも将校として遇します。ただし、すぐには日本での階級だった中尉にはできませんがね」  と担当官は言う。もちろん英彦に異

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第三章 4/岩井三四二

(第三章 フランスの青い空) 四  マルセイユに上陸した英彦は、つづいて夜汽車にのり、パリに向かった。  翌朝パリのリヨン駅に着くと、小雪がちらつく寒風の中で、大きなトランクを抱えて駅前広場を右往左往したのち、タクシーに乗った。フランス語が通じるかどうか心配だったが、タクシーの運転手は英彦の言葉を聞き返すこともなく、すぐに運転をはじめた。  宿は船中の評判を頼りに、日本人が多く寄宿しているというセーヌ川左岸にあるトゥーリエ街の下宿屋に決めていた。  到着した下宿屋でもち

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第三章 3/岩井三四二

(第三章 フランスの青い空) 三  雲の多い空の下、薩摩丸はゆっくりとマルセイユ港に向かっている。  ──着いたか。長かったな。  英彦は、船窓から港の景色を眺めた。  横浜からフランスのマルセイユまでは、日本郵船の定期便が二週に一便の割で出ている。ほぼ一カ月半の航海である。  一万トンを超える大きな貨客船はゆれも少なく、当初は快適な船旅だったが、さすがにインド洋を渡る際の暑さには閉口した。白くそびえるブリッジから船尾へとつづく客室のうち、一階の一室が二等船客である英彦

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第三章 2/岩井三四二

(第三章 フランスの青い空) 二  初夏の日射しに灼かれながら、英彦は演習場を見渡していた。  遠景には、蒼くそびえる富士山。頂上には白いものが見える。  裾野には暗緑色の樹海がひろがり、目先一キロほどまでつづいている。そこから足許まで、黒い土に岩と草がまじる原野になっていた。 「中尉どの!」  兵のひとりが駆け寄ってきて報告する。 「第二区画の掘り方が終わりました。検分を願います」 「おう」  カーキ色の軍服に制帽、膝から下を革ゲートルでかためた英彦は、兵の案内で作業

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第三章 1/岩井三四二

第三章 フランスの青い空 一  大正四(一九一五)年の正月元日に、陸軍臨時飛行隊は所沢へ凱旋した。  町は祝勝ムード一色で、隊員の乗る汽車が駅につくと盛大に花火があがった。隊員たちは小学生の音楽隊に先導され、沿道の家々に提灯が灯される中を飛行場まで行進した。飛行場で町長の祝辞に隊長が答辞を返すあいだにも、旗行列が町を練り歩くという、まさにお祭り騒ぎだった。 「いくさに勝つってのは、いいもんだな」  と隊員たちは言い合ったものだった。  そののち休暇をもらって羽根を休

【刊行直前特別連載!】鶴は戦火の空を舞った 第二章 4/岩井三四二

(第二章 青島空中戦) 四  十月十三日、午前六時。  飛行隊の電話が鳴った。 「了解。すぐ出撃します」  乱暴に受話器をおくと徳川大尉は、 「貴様ら、三機とも出撃だ。ルンプラーがくるぞ」  と隊員たちに怒鳴った。  すでに手はずは聞かされていた。英彦たちは滑走路に駆け出した。  英彦は武田少尉とともにモーリス・ファルマン機に乗った。後席の武田少尉はルイス式軽機関銃を抱えている。ニューポール機には機関銃が据え付けられているし、もう一機のモーリス・ファルマン機は機関銃