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新 戦国太平記 信玄/海道龍一朗

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戦国の雄・武田信玄。緻密な検証から知られざる実像を明らかにしていく歴史巨編!
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新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)12(下)/海道龍一朗

 この軍評定が行われた翌日、十月八日の払暁から、先陣の三増峠の登坂が始まる。  真田信綱と昌輝が先頭を行き、それに馬場信春の本隊が続く。  武藤昌幸は浅利信種が率いる先陣殿軍に同行し、そこには検使として曽根昌世もいた。  山縣昌景が率いる赤備衆は、小幡隊の先導で志田峠を目指して出立している。  信玄の率いる本隊は麓を固め、小田原から追撃に備えた。  先陣第一隊が三増筋を進んで一刻(二時間)ほどが経ち、薄暗かった山中もすっかり陽光に照らされていた。  真田兄弟の先鋒は中腹の辺り

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)12(上)/海道龍一朗

 九十一   永禄十二年(一五六九)正月五日、北条氏政は箱根を越えて伊豆の三島へと出張る。  なんと、四万五千もの軍勢を率いての出陣だった。  これほどの大軍になったのには、理由があった。  武田勢に駿府館を攻められ、今川氏真の正室となった愛娘、早川殿が輿にも乗れず、徒歩で掛川城へ向かったと聞き、北条氏康が激怒したからである。  氏康は「総力をもって武田勢を成敗せよ」と惣領である息子に命じた。  三島に着いた北条氏政は、伊豆の水軍を動かして駿河湾を渡らせ、掛川城に海側から援

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)11/海道龍一朗

 九十  戦いが動いたのは、駿河だけではない。  武田勢の侵攻を知り、徳川(松平)家康も遠江へ侵攻を開始する。  最初に標的としたのは、浜松にある曳馬城だった。  五千の兵で城を囲み、無血での降伏を迫っていた。 「城方からの返答はまだか?」  徳川家康は苛立った様子で訊く。 「まだにござりまする」  酒井忠次が顰面で答える。 「あの寡婦はいつまで意地を張るつもりなのだ。まさか、籠城するつもりではあるまいな」  家康が言った寡婦とは、曳馬城の主だった飯尾連龍の妻、於田鶴の方

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)10/海道龍一朗

 八十九   この身は、織田信長という武将の力能を見損じていたようだ……。  信玄は足利義昭の入洛に供奉した信長の大胆な兵略を知らされ、そのように思わざるを得なかった。  これにより織田家は美濃と北伊勢に加えて、近江を制したも同然だった。  詳細を知れば知るほど、信長の手際が秀逸に思えてくる。  この事態に至る前まで、信玄は公方入洛の件に関して織田家から助力の要請があるかもしれないと思っていた。  その時は一軍を送り、入洛の手助けをするのも一興と考えた。  しかし、信長は一

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)9 (下)/海道龍一朗

 八十八   織田信長が信玄に書状を送る数ヶ月前のことであった。  美濃では見慣れぬ美装の一行が、岐阜城(稲葉山城)の城下へ入っていく。  それはこの日の早朝、越前の一乗谷を出立した細川藤孝と家臣十数名であった。  この足利義昭の側近には、案内役として朝倉家から公方の家臣に鞍替えした明智光秀が付き添っていた。  岐阜城下に到着した細川藤孝は、思わず辺りの様子に眼を見張る。  往来には人が溢れかえっており、遠路をやって来たと思われる商人の姿も少なくない。  山城から続く道は

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)9 (上)/海道龍一朗

  八十七   永禄十年(一五六七)三月、箕輪城の在番を命じていた真田幸隆から朗報がもたらされる。 「先日、われら真田勢で西群馬郡の渋川にあります白井城を落としましてござりまする」  使番となった次男、真田昌輝が信玄に報告した。  渋川には古くから三国街道の宿場町があり、交通の要衝となっている。 「さようか。相変わらず手際がよいな、一徳斎は」 「お誉めの言葉、そのまま父に伝えさせていただきまする。つきましては、次なる標的を厩橋の蒼海城(総社城)と定めまして、かの城を攻略した

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)8 (下)/海道龍一朗

 箕輪城の本丸は御前曲輪とともに最も北側にあり、東側に高い土手を築き、敵からは城内が見えないようにしてある。  この土手は御前曲輪の東側まで続いており、本丸と御前曲輪を隔てる空堀が東側から西側へと深く切り込まれている。  御前曲輪と本丸は一体のように見えながら、ここでも一城別郭の仕組みが採用されていた。  この時、城方の総大将、長野業盛は老家宰の藤井友忠とともに御前曲輪の未申櫓に入っていた。  未申の方角、つまり西南の角に総物見のための櫓が置かれ、その下が石垣で固められている

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)8 (上)/海道龍一朗

 八十六   傅役の保科正俊を伴い、諏訪勝頼が颯爽と躑躅ヶ崎館へ入ってゆく。  申次役の武藤(真田)昌幸が出迎える。 「ご苦労様にござりまする。御屋形様がお待ちになっておられまするゆえ、こちらへどうぞ」  三人は奥の間へ進む。 「御屋形様、勝頼様がお見えになりました」  襖越しに、昌幸が声をかける。 「中へ」  室内から信玄の声が響いてきた。 「失礼いたしまする。勝頼、お呼び立てにより、罷り越しましてござりまする」  諏訪勝頼が一礼してから室内へ入る。 「四郎、これへ」  

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)7 (下)/海道龍一朗

 一方、先に館を出ていた飯富昌景は、元城屋町の屋敷で叔父と対峙していた。 「叔父上、夜分遅くにお訪ねし、申し訳ござりませぬ」 「どうせ、眠れぬ夜を過ごしていたのだ。構わぬ」  飯富虎昌は俯き加減で力なく笑う。 「源四郎、そなたがかような時刻に来たということは、すでに御屋形様へすべてを打ち明けてしまったということであるな?」 「さようにござりまする」  昌景は胸元から何かを取り出し、叔父に差し出す。  錦袋に包まれた短刀だった。 「叔父上、この身を裏切者とお思いになるのならば、

新 戦国太平記 信玄 第七章 新波到来(しんぱとうらい)7 (上)/海道龍一朗

   八十五   三好一派が公方、足利 義輝を弑逆。  その耳を疑うような一報は、躑躅ヶ崎館にも届いていた。  ――義輝殿が三好に御所巻されたか……。  信玄は半眼の相で灯火を見つめながら思案にくれる。  ――新第招待の御教書もこちらに届いており、そろそろ上洛を考える頃合いかと思うていたが、当人の首が落ちてしまったのでは、御披露目どころの騒ぎではあるまい。確か、義輝殿には僧籍にはいった実弟がいたはずだが、無事なのであろうか。ともかく、三好が次に誰を担ぎ上げるつもりかも含め

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皆さんこんにちは。 Web集英社文庫にて連載しておりました、海道龍一朗さん「新 戦国太平記 信玄」がnoteにお引越し! バックナンバーは以前のページでご覧いただけます。 各話へは以下から。 【第一章 初陣立志】 【第一章 初陣立志2】 【第一章 初陣立志3】 【第一章 初陣立志4】 【第一章 初陣立志5】 【第一章 初陣立志6】 【第一章 初陣立志7】 【第一章 初陣立志8】 【第一章 初陣立志9】 【第一章 初陣立志10】 【第一章 初陣立志11】