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【書評】朝井まかて『類』/黄色いセーターの神様─鷗外の末子の物語 評者:早川茉莉(編集者)


明治の文豪の家に生まれた宿命を背負い、何物かであろうともがき続けた
森鷗外の末子、類(るい)。朝井まかてさんの新作は、森類の愛と苦悩に満ちた生涯を鮮やかに描いた感動長編です。

『父と私 恋愛のようなもの』『紅茶と薔薇の日々』など、森茉莉の作品を多数編んでこられた早川茉莉さんによる書評を掲載します。ぜひご一読ください。

【書評】黄色いセーターの神様─鷗外の末子の物語

 主を失い、美しい調和を失った花ざかりの庭からこの物語は始まる。数え年十二の類は、最も愛しい人・パッパを思い、最も大事な言葉を声にする。

「お願いです。パッパ、かえってきて」。

 調和を失ってしまったのは鷗外の遺族も同様だったが、それぞれの心に、無音の音楽のように、パッパの時間が流れていた。だから、途方に暮れて立ちつくすような日々であったとしても、パッパを思えば、天上から黄金色の光が注ぐ。まったく、何という人なのだ、鷗外は。

 鷗外には、於菟、茉莉、不律、杏奴、類の五人の遺児があり、この物語の主人公である類は末子である。それぞれがパッパの思い出を書いているが、類が書いたものには、作中の類の性格と同じく、「すべて本音であるのだけれども、それをさらに上回る正直がひょいと囁くようにつけ加わる」面白さがある。

 とりわけ好きなシーンがある。それは、茉莉との自由で気儘な、高等遊民のような二人暮らしの様子である。離婚した姉と画家を志す弟、それぞれ背負うものはあっただろうが、この頃の二人は本当に楽しかったんだろう。類にすれば、楽しむ才能を持った茉莉の魔法によって、持ち帰りたいと願った巴里留学の日々が蘇ったような気持ちだったのかもしれない。

 さらには、朝井まかてさんのペンが紡ぎ出すディテイル。白磁に薔薇を描いた砂糖壺、小さなレエスが巡らされた茉莉のブラウスの衿、杏奴の白いワンピイス、「茉莉の長い散歩」、あるいは、キャベツ巻きや皇帝風サラド、シュウ・ア・ラ・クレエム、といった食べ物など、鷗外の子どもたちの著作の愛読者なら膝を叩いて喜ぶエピソード満載で、読んでいてうれしくなる。

 終章では、懸命にパッパの姿を追い続け、文筆家となった類の晩年の姿が描かれる。

 パッパの年齢をはるかに超えた類は、「鷗荘」と呼ばれた日在の別荘跡地に建てた家の庭にある古い井戸に向かい、パッパに呼びかける。

「僕はこの日在の家で、暮らしているよ。/何も望まず、何も達しようとせず、質素に、ひっそりと暮らしている。/ペンは手放していない。波音を聞きながら本を読み、時には随筆を、そして娘たちに手紙を書いている」

 そんな類は、長女から、こんな風に言われる。

「こうも綺麗で無邪気な笑顔をする大人っているかしらって、私たちは思うの。で、それを着ているのを見るたび、肘を突き合うのよ。黄色のセーターの神様だ、って」

 庭のシーンで始まったこの物語は、菜花畑の向こうで春の海がたゆたうシーンで終わる。

 月の光に照らされたような黄色いセーターを着た類。そのそばには、「何でもない景色を楽しめる、そんな大人になれ」、幼い類にそう言ったパッパが、「よしよし」と微笑みながら寄り添っているような気がし、胸をつかれた。

(初出:小説すばる2020年9月号)

【評者プロフィール】早川茉莉(はやかわ・まり)編集者。『父と私 恋愛のようなもの』『紅茶と薔薇の日々』など、森茉莉の作品を多数編む。

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