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夢の目撃証言をあつめるひと

亡くなった友だちが夢に出てきたので、なんとなくお参りに行った。数年ぶりに降りた地元の駅はずいぶんきれいになっていた。駅までそのひとのお母さんが迎えに来てくれた。わたしはこのお母さんのことがとても好きだった。友だちに似て、つよくて、やさしいひとだった。忘れないでいてくれてありがとう、とお母さんは言った。忘れるわけないじゃないですか、とわたしは言った。

友だちの部屋はまだそのままになっていた。やっぱり今でもそこに居そうなかんじがした。たくさんお供え物がしてあった。お父さんがやたら買ってくるのと言って、お母さんはちょっと照れくさそうに笑った。愛されているのだと思った。わたしは友だちに向かって手を合わせたあと、伝えようと思っていたいろいろのことについて、心のなかでしばらく話した。

夢に出てきたんです、と、お母さんに伝えた。お母さんは、えっ、本当に?! と言って、目をきらきらさせた。ほんとうに、きらきらさせていた。「どんなだった?……笑っていた?」まるで本当にそのあたりの道で目撃したかのように、わたしは話した。いつも通りでした。笑っていました。でも、時間がないと言っていたので、ゆっくり話すことはできませんでした(わたしは友だちの夢を見たときに、そのことを忘れないよう詳細に書き留めておいていた。この時ばかりはそんな自分を褒めたかった)。お母さんはうれしそうに聞いてくれた。そして遺影のほうを見ながら、あいかわらず忙しくしているのね、と言って微笑んだ。

友だちはいろいろなひとの夢に出てくるのだという。お母さんも、友だちの友だちも、幼馴染も、近所のひとも、夢で友だちに会ったそうだ。生きていた時も忙しい子だったから、たぶんあっちでも忙しいんだわ、とお母さんは言った。「あなたも、あの子が夢に出てきたから、今日、来てくれたんでしょう。きっと、あの子が連れてきてくれたのね」

夢で故人に会うことと、現実で人間に会うことは、いったいどう違うんだろうと思った。たんに会う場所が変わっただけで、会えたことにはなんら変わりないのかもしれない。夢のなかの友だちは、偶像でも妄想でも幻でもなんでもなく、ただ、たしかに、そこに存在していたのだ。たぶん。

「そう思うとね、この世界ってなんなのかなあ、って気がしてくるのよ。なにがほんとうなのかなあって。ほんとうは、今わたしたちが生きているこの世界じゃなくて、亡くなってから行くところとか、夢の中の世界のほうが、ほんとうの世界なんじゃないか、とか……。いやね、さいきん私、自分がいったいどこを生きているのかわからなくなりそうなの」お母さんははにかんだ。その「わからなくなりそう」という響きの切実さに、わたしは胸を痛めた。

たしかに、もうこの世界に友だちの肉体が存在していない以上、わたしが夢のなかに見た友だちのほうが、むしろ今では真実なのかもしれなかった。友だちはもしかすると、この世界よりももっともっと大きな世界に今はいて、そこからこの世界を覗き込むように、みんなの夢を夜な夜な、飛び回っているのかもしれない。そして、わたしのところにも来てくれたのだ。天国は雲の上にあるらしいけど、夢の世界はどこにあるんだろう? その入り口を見つけられたらいつでも会いに行けるのかな。

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