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適応障害になったので仕事やめました

適応障害になった

新卒で入社した会社がいわゆるブラック企業めいていたため、オーバーワークと過度のストレスから今年の春に適応障害を発症し、先日退職しました。

適応障害とは:適応障害は、進学、就職、結婚など新しい環境にうまく適応できずに、うつ状態や不安状態、 攻撃的な行動などの症状が現れて社会生活に支障をきたすことをいいます。(引用元

症状は鬱と似ていますが、鬱っぽくなる原因がはっきりしていることと、その原因から離れていれば元気でいられるというところに違いがあるようです。

この記事は主に自分用の記録として書きましたが、そっか〜そんなことがあったんだね〜うんうんくらいの気持ちで読んでいただけるとうれしいです。なお、記事の一部を別記事で有料にしてあります。有料部分には弊社のブラックめいた側面について記してありますが、まったくもって読まなくても大丈夫です(身バレが怖いので有料にしました。笑)。

発症時の労働環境について

※注 前提として、わたしはもともと精神的に不安定な方で体力もないです。もちろんわたしよりもっと過酷な環境で働いている方もたくさんたくさんいらっしゃると思います。あくまで「わたしにとっては」こういうことがしんどかった、という話なので、その点どうかご容赦くださいませ。。

入社後3ヶ月の研修を経て、わたしはある店舗の店長として勤務していました。月に数回の会議を除いて、日々の勤務はもっぱら現場、つまり店頭で行われていたため、いわゆるオフィスワークではありません。また、シフト制(土日休みではない)+基本は夜勤という世間的にはちょっとイレギュラーな勤務形態でした。

詳細はこちら↓ですが前述の通り読み飛ばしていただいても大丈夫です!

これってヤバいかも?と気づくまで

以上のようにまずまず劣悪な労働環境だったのですが、わたしは仕事自体は好きで・やりがいも感じていたので、どちらかといえば(むしろ)バリバリ働いていました。成績が良くて社内で表彰されたこともあり、上司との関係も良好でした(ハラスメントの類は一切受けたことがないので、その点も恵まれていたと思います)。

ところがある繁忙期を越えたあたりから、とつぜん燃え尽き症候群のようになってしまい、なにもかもやる気がなくなり、気分が落ち込んできて、ついでに体調も崩しました(逆流性食道炎になりました)。繁忙期を越えたとはいえ依然として勤務量も残業も多く、逆流性食道炎になっても休めなくて出勤していました。そんな調子ではなかなか回復しないので、数日間痛みと吐き気と動悸と闘いながら働き、このあたりから((わたしは一体、何をしているのか……?))と思うようになりました。

そんな折、とうとう店舗から「帰る」ということができなくなってしまいました。「仕事中は気を張っているから大丈夫だけど、会社を出た瞬間にどっと疲れがきたり鬱っぽくなる」ってわりとあるある(?)なんじゃないかなと思うのですが、それがもっとひどくなったような感じです。仕事が残っているからとかではなく、帰る「気力」がなくなってしまって帰れない、という感じでした。頭では帰りたいのに体が動かず、もう帰るぞ、と思っても、立ち上がれませんでした。

帰れなくなるという体験
・仕事の流れとして、お客様がいなくなる→アルバイトを全員帰す→店長が帰る、なので、最後はいつも自分ひとりになる。この、ひとりになったところで電池切れを起こしてしまうようになった(人がひとりでも残っていれば、気を張っているので大丈夫だった)。
・脱力症状を起こし、しばしば店舗の床に倒れていた。
・体力的な電池切れのほかに、帰るのが怖い、みたいな気持ちもあった。脳内で会社から家までの道のりをシュミレーションして「遠いな……」とげんなりし、帰るのが嫌になることもよくあった。永遠に家につかないような気がして怖かった(なぜそう思ったのかはわからない)。
・電車通勤していたので、途中で自殺しないかも不安だった。わたしは死にたいみたいな気持ちはあんまりないんだけど、衝動的に死んじゃいかねない気がして、それが怖かった。

うまく「帰る」ことができなくなってからは、たまたま家が近かった先輩にお願いして、なるべく一緒に帰ってもらうようにしていました。人がついていてくれれば落ち着いて帰ることができました。この先輩にはすごく感謝していて、もしこの先輩がいなかったらどこかで線路に飛び込んでいたんじゃないかと思うとすごく怖いです(それくらい追い詰められていました)。

そうやってごまかしごまかしやっていたのですが、ある休日、とうとうこの「帰れない」的な脱力症状を家でも起こすようになり、布団から起き上がれなくなりました。それを見た夫が病院の受診を勧めてくれ、精神科へ行くことになりました。

はじめての精神科

わたしが良かったと思うのは、夫が「病院行きなよ」と行ってくれたことです。夫は子どものころ学校に行っていなかった時期があり、その間に精神科などにもかかっていたようなので、わりと自然な感じで「病院行きなよ」と思ったみたいですが、自分ひとりでは・もしくは実家で暮らしていたら決断できなかったと思います。わたしの実家は様々の事情からあまり精神的な問題をよしとしない傾向にあったため(わたしがそう思い込んでいただけかもしれませんが……)、一度まったく別件で「精神科で診てもらいたい」と訴えたときには取り合ってもらなかった過去があります。

仕事がなかなか休めないので、行くならば今日、という感じで、急遽病院を探して、ある都内の精神科に行きました。待合室にはたくさん人がいました。なんか明らかにやばそうな人もいれば、全くふつうの人もいました。みんないろいろ抱えて生きてるんだなァなどと思いました。自分の番になったら個室に通され、問診のような感じでいろいろ訊かれました。きれいな女医さんに「それはお辛かったですね〜」と言われただけでボロボロ泣いてしまい、自分で自分に若干引きました。

診断としては、オーバーワークによる適応障害でしょう、とのことでした。ただ、精神の病気は複雑なので何回か通ってもらわないと正しい病名は出せない、と言われました。ところがどっこいブラックなので何回も通う時間も休みもないです(白目)。なのでとりあえず休養が必要だよみたいな診断書だけ書いてもらい(診断書は一回行っただけでも書いてもらえる)、翌日それを上司に提出しました。

 病院に行ってよかったと思うこと
・たとえばわたしは熱が38度以上出たら休むけど、心の重症度は数字でわからないので、どこが自分の限界でどうなったら休んでいいかわからなかった。
・お医者さんに「オーバーワークですよ」とか「休んだ方がいいですよ」とか言われて初めて「あ、休んでいいんだ」って思った。
・この「あ、休んでいいんだ」という気持ちを得ただけでも、行った価値があったと思う。自分で自分に「休んでいいんだよ」と言ってあげることは、わたしにはむずかしかった。

すぐに会社へ呼び出され、上司と話し合いをしました。わたしとしては1〜2ヶ月くらいまとめて休みたかったのですが、現実的に今休まれたら人手が足りないし、そういう「休職」みたいなことは制度上できないと言われました(白目)。でも休みは増やしてあげるね、と言われ、休みを増やしてもらうことはできました。ただし、これは「有給使っていいよ」という意味なので本当に休みが増えてるわけではないです。また、週1休みが週2休みになっただけなので、あくまで人並みです……。でも、とりあえずこれで様子見ね、ということになりました。

すぐに辞めればよかったと思っている

結果論ですが、わたしはこの時すぐに辞めるか、意地でも1ヶ月単位の休みをきちんと取得すればよかったと思っています。病院に行くほど追い詰められている人間が、ちょっとやそっと休みが増えたところでよくなるはずがないのです。インフルエンザになったら1週間休むのと同じで、きちんとリカバリーの期間を設けなければいけなかったのです。具合が悪いのにダラダラ働いていても治りませんし、むしろ長引きます。ですがこの時は、えっ休み増やしてくれるの?!という驚き&喜びから、むしろ「あれ、案外いい会社なんじゃ……」と思っていました。今ではわかります。本当にいい会社であればちゃんと休ませます※。

※ 余談
グループ会社(弊社より大きくちゃんとした会社……)のマネージャーさんは、過去鬱になった社員はまず休ませ、本人が一切なんの仕事もしなくていいという状態をつくる→すこしずつできることをやっていこうね、というスタンスで少しずつできることを増やしていくようにしていたそうです。たぶんこれが正解で、まず手持ちの仕事をゼロにする→少しずつ増やすというプロセスがいいのだと思います。わたしのようにダラダラ働くとこの流れが逆になり、手持ちの仕事を少しずつ減らしていく(減らしていかざるを得ない)ことになるので自己肯定感とモチベーションがダダ下がりします。

また、後から知ったのですがわたしのように休職という制度がないブラック企業にいても、会社からではなく保険から傷病手当を受給することができるので、金銭的に補助を受けながら休むこともできます(参考)。いったん退職してしまうと傷病手当をもらうのはかなり面倒になる(というか不可能になるケース多し)ので、何が何でもまずは仕事を休み、とりあえず傷病手当をもらって、その後退職するか復帰するか考えるのでもよかったなと思います。このへんちゃんと調べておくべきだったのですが、心も体もズタボロの人間にそこまでする気力はありませんでした……。もしまた適応障害になったらそうしようと思います、笑

結末として

ここからはもう地獄みたいな感じなのですが、ちょっとやそっと休んだところでよくならない→適応障害の症状が悪化→どんどん仕事に支障が出る→思うように仕事ができないことによる自己肯定感の低下→余計に精神状態が悪くなる→症状悪化→仕事に支障→自己肯定感低下→症状悪化→仕事に支障……という負のループを35周くらいして、もう無理です!!!!!みたいな感じで退職しました。ばっくれなかったことだけは褒めて欲しい。

参考までに、できなくなったことをできなくなった順に書き連ねておきます。終盤はまじで会話も難しい作業も難しいで置物と化していました。

まずできなくなったこと
・複雑なコミュニケーション(クレームや苦手なお客様の対応)
・数的処理(もともと苦手)
・体力的に負担の大きい作業
・笑顔で会話
次にできなくなったこと
・簡単なコミュニケーション(お客様対応全般)
・時間を守る(遅刻しがちになった)
・判断すること(なにも考えられなくなった)
・笑顔であいさつ
最終的にできなくなったこと
・電話対応
・出勤することそれ自体(休みがちになった)
・人間との関わりの全て(人間と同じ空間にいること)

店長がここまで置物化していて店回るんかいという感じですが、まあなんとか回ってはいて、でも最終的になんとかしてくれたのはもちろん会社などではなく、アルバイトの彼ら彼女らでした。彼ら彼女らにどうか幸あれ……。そして店長が毎日死んだ顔している店のアルバイトのみなさん、きっと店長は本当に死にかけなんです!(迫真)どうか優しくしてあげてください……。

というわけで、

以上のような経緯からきれいさっぱり無職になったのですが、めでたく少しずつ元気になってきています!やっぱりちゃんと1ヶ月くらい休まないといけなかったんや。しばらくしたらまた働くのですが、当分はちょっとゆっくり過ごそうかと思います。

まとめに代えて 適応障害かも?と思ったら

適応障害かも?と思ったら

すぐに病院へ行きましょう。精神科は予約が取りづらく、なかなかすぐに行こうと思っても行けないところが多いです。あれ、もしかして……?と思ったその時に、週末なり1週間後なり少し先の予約をしておいて、やっぱり大丈夫と思ったらキャンセルするのでもいいと思います。とにかくまず予約、そして病院です。あなたのようにまじめなひとであれば、自分で自分に「休んでいいよ」と言ってあげるのは困難をきわめると思います。遠慮せず他人に「休んでいいよ」と言ってもらい、安心して休みましょう。

適応障害になったら

あなたの会社にもし休職の制度がある場合、まずは休職しましょう。とにかく休まないことには、何をしても何を考えてもうまく行きません。ダラダラ働くのは治りを遅くするだけです。とにかく潔く休みましょう。あとのことはそれから考えましょう。
転職活動をするにも、きっちり休職していた方がやりやすいと思います。働きながら転職活動をするのはかなりハードですし(経験者)、ゆっくり時間をかけられる環境を整えてから臨んだ方が、質の高い転職活動ができると思います。

あなたの会社にもし休職の制度がない場合でも、まずは休みましょう。強い意志を持ち、休みますと宣言して休みましょう。あなたが休んで誰が困ろうが知ったこっちゃありません。各地で言われていることですが、人が足りないのはあなたのせいではなく会社のせいです。そして傷病手当を受給しましょう。あとのことはそれから考えましょう。

なによりも命と体が大事です。仕事ではなくあなたの身を守ってくださいね。つらいことも多い世の中ですが、お互いなんとか生きていきましょう。

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