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諸子百家ZOOM 第4回 荘子

振り返り
王の力は発揮しないのが理想

荘子
老子以上にぶち上げられない→というよりぶち上がるのを禁止している
老子もそうだったが、道というものを定義できないありのままのもの
釈迦が丁寧に言ったことを、荘子がぶったぎった
認識論、懐疑論を中華風にするとこうなる
自然現象としての命
徒然草の最終段はこんな感じ
疑い続けたら止まるところがあるはず
言語化した時点で負け=そう思ってんならそうなんだろうな…

老荘思想という割にはこの2つ合わないな
老子は世には道というものがあり人は余計なものをするなとは言ってくれた…
老子は道というものがありそれに従うというか他者への非干渉が肝みたいなことを言っていたが、荘子はそれすらない


※釈尊と荘子と戦う相手が、カースト的世界観と「道」というのが違いに見える
※仙人=自然現象としての生
※懐疑論は始点で、荘子は終点


「そう思うんならそうなんだろう お前の中ではな」で無限に帰ってくるレスバの終点

現在を定義する「道」と、未来の「道」を定義する「命」の2軸で
世界の展開が定義される。

荘子に対する戦い方として
「今の人間には『道』を完全に理解することはできない」と置いたうえで、無限に近似を取っていく科学的手法を使って、「道」すべて
を定義できるまで、体形的に論証して「道」すべてを論じ切る
という、悪魔の証明めいたことをする羽目になる。
※「これは道ではない」をすべて消す、ことで道を証明する
この世界すべてを法則の下に落とすことで、荘子の「道」を超えることができるのではないだろうか。


荘子を相手にするの、無限にシャドーボクシングできる。
あーでもない、こーでもないで遊べるインテリのおもちゃではなかろうか。

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