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身体の動きと心の動き

今日は久しぶりに天気アプリの数値がマイナスを示していた。
風もとても強くて、刺さるような寒さなのに私はそれに生を感じる。
雪もちらつく中、新しい仕事探しのため面接に向かった。

私はつくづく、面接に強い人間だなと毎回面接を受けるたびに感じる。
面接で緊張した経験はほとんどない。(でもなぜか舞台にはとても弱い)

面接は約30分ほどだったけれど、なぜかとても長く感じた。
ただ私のよくない癖が面接中にでた。注意散漫。
人の話を聞いているうちに何か違うことが頭の中をよぎると、そっちに脳が引っ張られる。好奇心レベルが赤ちゃんなのか、私は。

でもその間に質問をされていた、なんてことがあるけれどそれを相手に悟られずにうまく乗り切れるのも私の特技かもしれない。「え?なんでしたっけ?」という態度は出したくない。

行動心理学や行動科学を人並み以上に理解しているからかもしれないが、隠すのも見抜くのも得意だし好き。ああ、この人今こうしたいんだなということを容易に感じ取ることができる。人間だけじゃなく、実は動物にもそれを感じ取ることができる時がある。

カフェで外を眺めながら作業をしていたとき、入口付近にリードに繋がれた犬がいた。その犬はカフェから出てくる人全員(入る人には全く注目していなかったのも面白かったポイント)を目で追っていった。私は気になってその犬を観察し続けていたけれど、その犬の過剰な反応で誰が飼い主か分かった。

飼い主は店の中にまだいて、ただガラス越しに見えていただけだから嗅覚で判断したとは考えにくい。その犬からは飼い主に対しての愛情が見えた。尻尾をこれでもかと大きく振り、飼い主が出てきた瞬間飛びついた。まるで遠距離恋愛をしていて、しばらく会えなかった恋人が再会したかのようだった。きっと離れていたのはせいぜい5-10分程度だったのに。

私は時々自分が犬っぽいなと感じる。犬というのは侮辱するときに使われがちな言葉かもしれないけれど、私には理解できない。人に忠実で素直で、何が悪いのか。好きな人に会えたら尻尾を振って喜びたいし、相手が不快そうに見えたら上目遣いで何があったの?と心配させて欲しい。一緒に何かを共有できたらとても嬉しいし、無視をされたら悲しい。

多分私が行動心理学や行動科学を学んだのも、考えすぎな自分を理解しているからだと思う。恐怖や不安は基本的に、何が起こるかわからない状況で発生する感情で、知識さえあれば無敵なのだ。それがコミュニケーションとなると難しい。相手の気持ちなんて相手にしかわからない、何をして何を考えているかが分かったらこんなに悩むことなんてないだろう。まあ、当たり前。

ドラマや映画で第三者として物語を楽しめるのは、あくまで自分が第三者だからだろう。もし当事者なら楽しむ余裕もなく、自分の知らない世界で起こっていることも知らないから、脚本がない世界でうまくいけばもうそれはただの奇跡でしかない。

Netflixの『ブラックミラー:バンダースナッチ』を観たことがあるだろうか。初めてこの作品を見た時、自分が物語を操作していると面白さと、自分の選択によって登場人物の運命が変わってしまうという一種の恐怖のようなものを味わった。でも、空想であり現実であるというところがとても新鮮だった。

どれだけ行動心理学のエキスパートだろうが、FBI捜査官だろうが、相手を完全に理解するなんていうことは一生できないんだろうな。




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