人生を変えたければ時間配分を変えろ

人生を変えたければ時間配分を変える

昨日までと同じ時間配分で生きていれば、昨日までと同じ人生が永遠に続くだけです。人生を変えたければ、何よりもまず、時間配分を変えなければなりません。

世の中には、端から見ていると仕事はサクサクと済ませてしっかりと休みもとっていながら、数千万円、場合によっては数億円の収入を得ている人がいる一方で、クタクタに疲労困憊するまで働いていながら、報酬も名誉も人並み、あるいはそれ以下にしか与えられていない、という人がいます。

後者のような人からすれば、どうして前者はそれほど忙しそうでもないのに、こんな成果を出せるのだろうか、と不思議に思うかも知れません。

これは問いの立て方としてスジが悪いと言わざるをえません。まったく逆で、彼らは重要な仕事だけに絞り込んで労力を集中し、他をスッパリと切り落としているからこそ、あれほどの報酬と名誉を手に入れているのです。

フォーカスを絞り込まずに、機会的にやってきた仕事に打ち込んでいたのでは、ただ会社や社会から便利な歯車として利用され消耗されるだけで、報酬も名誉も得られません。

両者の差が何によって発生しているのか?もちろんその要因は一つではないのですが、見落とされがちな点の一つが時間配分です。

サクサクと成果を出して報酬と名誉を手にしていく人は、スジの良い仕事にフォーカスを絞り込み、他の仕事には手を染めないのです。

彼らはいわば、自分という資源を投入する仕事について、徹底的な選択と集中をしているのです。

一方で、忙しいばかりで芳しい成果が出ていないと嘆く人の多くは、成果や評価に繋がらないスジの悪い仕事に自分の時間を逐次分散的に投入していることが多い。

どうしてそういうことになるかというと、周囲に「時間を奪って自分の利益にしてやろう」という人がたくさんいるからです。

こういう人から自分を守らない限り、あなたの時間配分は相変わらずの逐次分散となり、結果的に昨日までと同じような人生がダラダラと続くことになります。

時間は資本である

自分を一つの事業体として考えてみた場合、投資の元手となる原資は時間しかありません。キャリアのスタートにおいて、皆が等しく持っている資源は時間資本しかないのです。

そして、この時間資本の投資の巧拙によって、人的資本や社会資本への転換の効率が変わり、最終的に金融資本、つまり「お金」の多寡に反映されることになります。

経営戦略の巧拙が最終的には資源配分の巧拙で決まるように、自分という事業の成否もまた時間資本の資源配分で決まります。

「時は金なり」とはよく言われる言葉ですが、これは「時間はお金と同じで無駄遣いしてはいけない」といった浅い意味ではなく「時間という資本の使い方次第で人生は決まる」という意味なのです。

さて「自分の時間はお金と同じで、その配分によって人生は決まる」と考えてみれば、当然ながら、ドブに捨てるように時間を浪費してしまうよりも、人生の豊かさをいや増してくれる素敵な体験や物品に投資したいと思いますね。

しかし、私自身を含めて、多くの人がここに問題意識を持っていると思います。

図1をみてください。

図1

これは、時間資本の投資先を分類したものです。

縦軸は、自分の豊かさに「つながる」か「つながらない」か、横軸は、他者の豊かさに「つながる」か「つながらない」か。ちなみに、ここでいう「豊かさ」とは、経済的なものと非経済的なものをひっくるめたものとしてお考えください。

時間の使い方として、それをやることで自分の人的資本や社会資本が増えるようであれば「豊かさにつながる」使い方でしょうし、楽器や語学を習得して余暇の楽しみが増えるということであれば、それもまた「豊かさにつながる」使い方だということです。

さて、時間をお金と同じようにリターンの大きい領域に投資したいと考えれば、少なくとも投資先は「自分の豊かさにつながる」領域であるべきでしょう。

そしてさらに、それが「他人の豊かさにもつながる」のであれば、なお良いということになります。

後ほど詳細に考察しますが、自分の評価も高まり周囲も喜ぶような「スジの良い仕事」は典型的にこの領域の仕事になりますし、家族や友人との建設的な交流もこの領域に該当します。

逆に、最も悪いのは「自分も他人も豊かにしない」領域に時間を使ってしまうということになります。

そんな時間の使い方があり得るのか?と訝る向きもあるかも知れませんが、この領域の仕事が今の日本企業ではどんどん増えています。

例えば、昨今の日本で横行している企業による偽装や不正が典型です。

こういった不正を組織的に行うには膨大な労力がかかります。おそらく、内部にいた人は書類の改ざんや隠蔽・処分、行政への説明のための辻褄合わせのための資料の作成などに忙殺されていたことでしょう。

こういった業務は典型的な「自分の豊かさにも他者の豊かさにも貢献しない時間」と言えます。

こんな仕事に貴重な人生の数年を投入してしまったら、おそらくその人の人生はもはや回復不可能なほどの負債を抱えてしまうでしょう。

次に、では「他者の豊かさにはつながるけど、自分の豊かさには繋がらない」という領域にはどのような時間の使い方があるのでしょうか?

例えばテレビやSNS等のソーシャルメディア、ゲームなどはその典型としてあげられます。

この点についても後ほど詳細に説明しますが、こういった事業者がやっているのは「ユーザーの時間を奪い、それを他者に売って利益をあげる」ということですから、典型的な「他者の豊かさにはつながるけど、自分の豊かさには繋がらない」活動と言えます。

時間を奪うと富が生まれる

私は、今の日本の、特にビジネスパーソンの時間の使い方は、図2のように「他人の豊かさにつながるけど自分を豊かにしない」領域と「自分も他人も豊かにしない」領域に著しく偏っており、この構成比を大きく変えない限り、自分の人生を防御できないと思っています。

図2ありがちな時間ポートフォリオ

なぜそういうことが起こるのかというと、時間を奪うと富が移動するからです。

人から時間を奪うと、富が移転する。

これから説明する「人生を守るための時間術」を理解する上で、この指摘は最も根本的な考え方なので、ここで肝に銘じてください。

ゼロサムゲームという言葉は聞いたことがありますか?取った分と取られた分を足し合わせると差し引きでゼロになる、という種類のゲームを総称してこう言います。

オセロは典型的なゼロサムゲームですね。白駒が増えれば必ず同数の黒駒が減ります。

そして、これが重要な点なのですが、時間を奪い合うゲームもまたゼロサムゲームということになります。誰にとっても1日は24時間しかなく、時間の総量は変わらないからです。

富=金融資本を生み出すためには時間資本が必要で、その時間をやり取りすれば必ず「取った側」と「取られた側」が発生します。

よく二者の関係について理想的な状況をWIN=WINなどと言ったりしますが、時間に関してはWIN=WINはありえません。

取るか取られるか、Win=Loseだけの関係です。

これはどんなに強調してもしきれないほどに重要な事実なのですが、ほとんどの人は驚くほどこの点について無意識的です。

だからこそ、先ほど示した図のように、自分の時間の多くを無為に「他人の豊かさにつながる領域」に奪われてしまっているのです。

跳梁跋扈する時間泥棒

他人の時間を奪って自分の富にしてやろう、と虎視眈眈としている人物や組織を、本記事では「時間泥棒」と総称します。

時間泥棒には様々な形態があります。

代表的なのはいわゆる従業員から奪った時間を自分の富に変換しているブラック企業ですが、その他にも多くのメディア企業やゲーム企業も時間泥棒ですし、課題な要求やクレームを突きつけて自分の利益を増やそうとする顧客企業やクレーマーもまた時間泥棒と言えます。

また、こう言った組織以外にも、例えば自分のアピールのために他人を利用してやろうとする上司や同僚、あるいは無為な時間の浪費に他人を巻き込んで安心しようとする友人・知人なども時間泥棒として定義されます。

時間泥棒と聞けば、何か物騒な輩を想像するかもしれませんが、実はごく普通にビジネスパーソンとして生活していれば、日常的に接触せざるをえない組織や人こそが時間泥棒なのです。

この点については、よほど意識的になって「しっかりと防御する」という構えを取って、すりよってくる様々な時間泥棒に対処しないと、ハイエナにたかられた動物のように、ありとあらゆる存在から時間を奪われ、その時間が生み出したであろう豊かさは、すべて他者に奪われることになります。

自然状態における人間の有り様を「万人の万人に対する闘争」であると指摘したのは経験論哲学の始祖と言える17世紀イギリスの哲学者、トマス・ホッブズでしたが、いま私たちが生きている世界は「万人の万人に対する時間争奪戦」なのだと考え、意識的にこれを防御するという構えを取らないと、世界から身ぐるみ剥がされて捨てられるだけの存在になります。

一日24時間は皆同じ

一日は24時間しかありません。この有限性から逃れられた人物は歴史上に一人もいないということをまずは改めて意識してください。

これはエジソンにも徳川家康にもピカソにもヘミングウェイにもナポレオンにも、そしてあなたにも同じように課せられた制約なのです。

歴史に名を残すような大きな業績を残した人たちは、この制約の中であれだけのことをやってのけたのです。

一方で、私たちはいつも「時間がない」と感じながら忙しく動き回っているのに、彼らほどの業績を挙げられていません。彼らとわたしたちでは、一体何が違うのでしょうか?

もちろん才能や運といった要素はあるでしょう。しかし、一つだけはっきりしているのは、こういった業績を上げた人たちが、必ずしも私たちと比較して「労働時間が長かった」ということではない、ということです。

アインシュタインは「疲れちゃうんだよね」と一日十時間の睡眠を日課にしていましたし、ヘミングウェイは早朝から朝食までの数時間を執筆に充てるだけで、日が昇ってからの一日は釣りや狩りといった遊びに興じていました。

ヘミングウェイの息子はそんな父を見ていて「一体、いつ本を書いているのだろうといつも不思議だった」と述懐しています。

つまり、偉大な業績を残した人たちは、必ずしもそれだけの「仕事量」をこなしていたわけではないのです。

彼らのライフスタイルや行動を詳細に分析してみて浮かび上がってくるのが「時間配分の違い」という点です。

わかりやすく言えば、彼らは24時間という限られた資源を、業績に繋がるようなスジの良い仕事や余暇に集中的に割り当てており、時間ばかり食って成果に繋がらないようなスジの悪い仕事や余暇を極力避けているのです。

彼らの多くはおそらく天才的な感覚でもって「スジの良い仕事」、「スジの悪い仕事」の仕分けをしていたと思いますが、彼らのような天才的なバランス感覚のない私たちは、意識的にポートフォリオを管理する必要があります。

良い時間ポートフォリオ

世の中には、特に超人的な努力をしているわけでもないのに、サクサクと仕事をこなして飛び抜けた業績を上げて人生をエンジョイしている人がいます。

そういう人の時間ポートフォリオを分析してみると、図3のようになります。

図3 良好な時間ポートフォリオ

まず「仕事」「余暇」「睡眠」のバランスを見てみると、仕事が9時間、余暇が7時間、睡眠時間が8時間となっています。

仕事については、別に短時間というわけではありませんが、特に長時間労働というわけでもない。

また睡眠時間も必要十分なだけ取っていることがわかります。結果として生まれる7時間の余暇についても、それほど際立った特徴はありません。

一方で、特徴的なのが「スジの良し悪し」の構成比です。こう言った人たちのポートフォリオでは、仕事・余暇それぞれに占めるスジの良い活動の比率が非常に高いのです。

スジの良い時間ポートフォリオは自己成長する

ポートフォリオ内の個別の活動は、それぞれに影響しあっていることに注意してください。

スジの悪い無駄な仕事や余暇をバッサリと断捨離することで睡眠時間をしっかりと確保しているために仕事にも余暇にも集中力を維持して打ち込める。

また、スジの良い有意義な仕事、成長実感を伴うやりがいのある仕事に従事しているために、妙なウサ晴らしやストレス解消のために余暇を無為に消費する必要がありませんから、感性や視野の拡大に繋がるような上質でスジの良い余暇に時間を投下できる。

結果として、その余暇活動で得られた感性や視野を、仕事に反映させることでさらに大きな成果を出せる。

成果が出たことで収入が増え、結果としてさらに上質な余暇体験ができるようになる。良いポートフォリオが一度組めれば、ポートフォリオ自体がどんどん自己成長するように進化していくことになります。

悪い時間ポートフォリオ

一方で、忙しいばかりで全然成果が出ない、なんかこの先に未来があると思えないと悩む人の時間ポートフォリオを例示すると図4のようになります。

図4 陥りがちな時間ポートフォリオ

まず「仕事」・「余暇」・「睡眠」のバランスを見てみると、「仕事」が12時間とかなり長めになっている一方で、「睡眠」は6時間と短めです。

結果として生まれる余暇時間は6時間しかありません。

「スジの良いポートフォリオ」と比較すると、仕事時間が2時間長くなった分、睡眠と余暇がそれぞれ1時間ずつ削られているということで、まあそれほど大きな違いとは思えません。

時間術というと、多くの場合「時間の量の構成比」が大きな論点になっていますが、時間は「量」だけでなく「質」も重要です。

こういった人たちのポートフォリオで大きな問題になるのが「スジの良し悪し」の構成比です。

仕事にしても余暇にしても、「スジの悪い」活動の構成比が高すぎるのです。

先述した通り、こういう「スジの悪い」活動とは、その活動によって自分の豊かさが増さない、むしろ他者の豊かさを増す活動ですから、こういう「スジの悪い活動」の構成比が高い時間ポートフォリオを抱えたままでは、どんなに一生懸命働いたところで、自分の豊かさは向上しないのです

こういった「スジの悪い活動」は、それぞれが相互に影響しあってポートフォリオ全体の価値を悪化させます。

まず「スジの悪い仕事」はやりがいも成長実感も得られませから、徒労感ばかりが募ることになります。

結果、どうしても余暇活動はウサ晴らしや一時的なストレス解消が中心となって、自分の感性や視野の拡大につながるような豊かな体験がなかなかできません。

余暇から得られた刺激や人脈を仕事に活用して個性的な成果を出すということが難しくなり、ますます徒労感だけが残るやりがいのない仕事に埋没することになります。

また睡眠時間も相対的に短く、仕事のストレスレベルが高いことから睡眠の質も悪化することになり、結果的に「なんかいつもだるい、かったるい」という状態になり、仕事にも余暇にも集中力を発揮できません。

結果として、仕事はそれなりに頑張ってはいるものの「これぞ!」というような成果を出せるわけでもなく、なんとなく組織や社会に沈殿していくような不安感に苛まれる人生を歩んでいくことになります。

先ほど、「良い時間ポートフォリオは、一度組みあげると自己成長していく」という指摘をしましたが、逆に「悪い時間ポートフォリオは、放っておけばますます悪化していく」ことになります。

このように考えてくると、実はよく言われる「ワーク・ライフ・バランス」というのは、そんなに簡単に整理のつく話ではないということに気づきます。

一般にこの言葉が使われる時、「ワーク=仕事」と「ライフ=余暇」は完全に別れた二つのピースのように考えられがちですが、「ワーク」が充実していれば、ライフの質も向上し、それがまたワークのパフォーマンスを高めるという好循環を生み出すのに対して、「ワーク」が不毛なものになると、ライフの質は悪化し、それがまたワークのパフォーマンスを低下させるという悪循環を生み出すのです。

なぜ「タイパ」は危険なのか?

忙しいのになかなか成果が出せない、と悩む人の多くが考えるのが「時間の効率化」、いわゆる「タイパ」でしょう。

いま、この記事を読んでいる人の中にもそのようなスキルを期待されている方がおられるかもしれません。

しかし残念ながら、もともと「悪い時間ポートフォリオ」を抱えている人が、いくらタイパを図ったところで、自分の人生を時間泥棒から守ることはできません。

なぜか?

理由は実に単純なことで、タイパによって生み出された時間の余裕の多くは他者の富になるからです。

ここは非常に重要な点なので、よく意識してください。

「悪い時間ポートフォリオ」とはつまり、時間の多くを他者の利益のための活動に費やしているということです。

そのようなポートフォリオを持ったまま、効率化を進めたところで自分のための利益は増えません。

極端な例えですが、搾取されている奴隷が仕事の効率化をいくらやったところで自由にはなれません。効率化によって得られた富は、すべて奴隷の雇い主のものになるだけです。

時間ポートフォリオを意識しないままに、いたずらに効率化を図ろうとするのは、むしろ危険なことだと言えます。

タイパこそ非効率

誤解されるといけないのでここは強調しておきたいと思いますが、私は「効率化に意味がない」とは言っているわけではありません。

問題にしているのは効率化の費用対効果と優先順位です。

まず費用対効果について考えみましょうか。

例えば、自分の成長や評価につながる「スジの良い仕事」が20%、その逆である「スジの悪い仕事」が80%という仕事の時間ポートフォリオを持っている人がいたとして、この人が効率化によって生産性を1.2倍に上げたとしましょう。

すると自分の時間ポートフォリオから生み出される自分の富は20%分の0.2倍、つまり4%分増加することになります。生産性が20%も上がったのに、自分に還元されるのはそのうちのたった4%分しかないのです。

一方で、同じことをポートフォリオの切り替えでやろうとしたらどうか?

仕事の時間ポートフォリオの80%を占めている「スジの悪い仕事」のうち、20%を「スジの良い仕事」にシフトできれば、その20%分はそのまま「自分の豊かさ」につながるわけで、元の20%が倍の40%になります。

必死に生産性を上げても、元の20%が24%に向上するだけだったのが、時間のポートフォリオを見直すことで20%が倍の40%にまで改善するわけです。

ポートフォリオをいじらないままに1.2倍の生産性を実現するよりも、ポートフォリオそのものを改変する方がずっと効果が高い。つまり「効率化こそ非効率」だということです。

ここで問題になるのが優先順位ということになります。

悪い時間ポートフォリオを抱えたまま、効率化に工夫してタイパに励んだとしても大した効果は得られず、むしろ時間泥棒を喜ばせるだけになるのです。

効率化を考えるのであれば、まずは時間のポートフォリオを見直して、スジの良い活動の構成比を高める必要があります。

効率化が無駄だとは言いませんが、それはあくまで「良い時間ポートフォリオを持っている」人にとってのみ有効なだけで、他社の富につながる活動に多くの時間を割いている「悪い時間ポートフォリオ」の持ち主が、どんなに仕事の効率化を考えたところで、その効率化によって得られた生産性の向上の多くは、そのまま他社にとっての利益になるだけです。

時間ポートフォリオを改善するための5つの切り口

時間ポートフォリオの構成を改善せずに、単に仕事の効率化だけをしたのでは、時間泥棒にみすみす自分の人生を捧げるようなものだという指摘をしました。

それでは、時間ポートフォリオを改善するためにはどのようにすればいいのでしょうか?

これから、時間ポートフォリオを改善するための5つの切り口について説明していきます。

基本的な考え方は「断捨離」です。つまり、とにかく「時間ポートフォリオ全体におけるスジの悪い活動を止め、スジの良い活動の構成比を高める」ということです。

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