#018 安藤忠雄さんに学ぶ「顧客無視」の大事さ

多くの人がおそらくなんとはなしに感じていることだと思いますが、20世紀の半ば以降にまとめられた経営に関するコンセプトや定石の多くは、今日、人をミスリーディングする混乱の元になりつつあります。

例えば、これは前著「ニュータイプの時代」においても指摘したことですが、安全・快適・便利という価値が強く求められた20世紀の半ばから後半にかけては「役に立つ」という価値は強く求められ、従って大きな価値を生み出したわけですが、しかし、すでに「利便性」が過剰になり、一方で「意味」や「情緒」が希少になっている先進国において、もはや「役に立つ」は大きな経済価値を産まず、むしろ情緒を伴う不便さが高い価値を持つようになっています。昨今は米国でも日本でもLPレコードとターンテーブルがすごい勢いで売れるようになっていますが、こういった現象は、先述した「情緒を伴う不便さ」が求められていることの一つの証左と言えるでしょう。

世の中の状況が変わってしまえば、経営の定石も変わって当たり前なのですが、人間のマインドは非常に保守的なので、なかなかそれを認めることがしできない。結果として「定石通り」にやっているにも関わらず、なぜか上手くいかない、という悲劇がそこかしこで発生しているのが現在の多くの日本企業の状況です。

さて、このような「経営の定石」とされるキーコンセプトの一つに「カスタマーファースト=顧客第一主義」という考え方があります。言うまでもなく、これは「顧客の欲求や要望を立脚点にしてビジネスを考えるべきだ」という思考・行動様式を指している言葉ですね。このコンセプトについて「あなたは賛成ですか、反対ですか」と聞かれて、堂々と「反対です」と表明できる人は、おそらく一人もいないでしょう。

つまり、現在にあっても、このカスタマーファーストという概念は、反論できないある種の「絶対善」のように振りかざされているわけですが、しかし、本当にカスタマーファーストという思考・行動様式は、私たちの競争力を高めてくれるのでしょうか。

この問題を考えるに当たって、好適な材料を提供してくれるのが建築家、安藤忠雄さんの仕事ぶりです。おそらく、2023年現在において、世界で最も名の知られた日本人建築家だと言えるでしょう。よく知られていることですが、安藤忠雄さんはプロのボクサーを経験したのちに、大学に行かずに独学で建築を学び、大手の設計事務所やゼネコンに所属することなく、個人の設計事務所を構えるところからキャリアをスタートさせています。

安藤忠雄さんの仕事ぶりを、自伝やルポなどで読んでいて感じるのが、その徹底した「顧客無視」の姿勢です。とにかく、顧客の要望はまったく聞き入れてもらえません。そのような安藤さんの仕事ぶりが、顧客である施主の立場からつぶさに描かれているのが、平松剛による「光の教会 安藤忠雄の現場」です。


安藤忠雄 光の教会

この教会では祭壇面の壁が大きく十字架の形に切り抜かれており、礼拝堂から祭壇をみると、暗い室内に光の十字架が浮かび上がるようになっています。安藤忠雄さんの仕事を代表する建築で、世界中からの見学者が引きも切らないようですが、このルポルタージュを読むと、その凄まじいばかりの「顧客無視」の仕事ぶりに爽快感すら覚えるはずです。

少し具体的な例を挙げてみましょうか。教会ですからそれほど潤沢な資金があるわけではありません。少ない予算を提示された安藤さんは様々なアイデアを考えますが、なかなか予算内でまとめられる構想が浮かばない。うーん、提案の期日は迫っている、どうするか。

こんなとき、私たちは「顧客のスケジュールを優先しよう、納得いかないアイデアだけど押し切るしかない」と考えてしまいがちです。しかし、安藤さんは徹底的に「すごいアイデア」が浮かぶまで提案しようとしません。結局「いったい、いつになったら提案してくれるのか?」といぶかる施主を二年以上も待たせたある日、安藤さんは「壁に開けられた十字のスリットから光が差し込む」という「光の教会」のアイデアを閃きます。来たーこれだ!

顧客の希望する建て替え時期などおかまい無し、とにかく自分が「これだ!」と思えるアイデアを思いつくまでは待たせる。「カスタマーファースト」もへったくれもない、まさに「オレファースト」です。

しかし、この「オレファースト」の姿勢が、安藤さんを世界的建築家に押し上げた一つの要因なのだ、と思うのですね。なぜならカスタマーファーストでやっている限り、カスタマーの器以上の仕事はできないからです。そのカスタマーが抜きん出た存在であればまだしも、ウダツが上がらないフツーのカスタマーを相手にしてカスタマーファーストを実践すれば、自分の仕事もまたウダツの上がらないフツーの出来になるのは当然のことですよね。

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