#020 成功する起業家ほど慎重という話

あなたのところにビジネススクールに通う若い起業志望者がやってきたと想像してみてください。タイミングは夏休みの直前です。

「友だち3人とメガネのオンライン販売を始めたいんです」
「いいねえ、じゃあ今年の夏はその立ち上げで大忙しだね」
「いえ、失敗すると困るので、コンサルのインターンシップに行きます」
「え、そうか。じゃあ卒業してから立ち上げに専念するのかな?」
「いえ、念のために、いったんは全員別の仕事に就きます」
「あ、そうなの?じゃあ、どうやって立ち上げは進めるの?」
「本業の合間と土日を使って・・・という感じですね」
「ふーん・・・・」
「ところで、出資をお願いしたいのですけれども」

さて、ここで質問。あなたは、上記のような出資依頼を受けて、その依頼を引き受けるだろうか。おそらく、ほとんどの人が「どうも本気度が感じられないな、このプロジェクトは離陸しないだろう」と考えて断るのではないでしょうか?

実は、これは米国の著名な組織心理学研究者で著作家でもあるアダム・グラントに実際に起きたことでした。彼は、まさにこのようなやりとりの末に「どうも彼らにはスピード感がないな・・・リスクを取ろうという気概も感じられない」と考え、出資を断ることにします。しかして、この企業はその後、どうなったか?

彼らが興した企業「ワービー・パーカー」は、この出来事の半年後の2010年に創業し、11年後の2021年にはNASDAQ市場に上場、時価総額80億ドルに達します。ビジネス誌「ファスト・カンパニー」が実施したランキング「世界で最も革新的な企業」では一位に選ばれ・・・つまりは大成功したわけです。

大きな科学的発見の契機は常に「小さな違和感」があります。このケースも同様で、科学者であるアダム・グラントは「この会社には見込みがない」と直感した理由をリバースエンジニアリングして言語化し、その命題の何が間違っていたのか?を科学的に検証する、ということを始めます。

グラントが「この会社には見込みがない」と直感した理由を言語化すれば、次の二つに収斂します。

1:スピード感がない(夏休みも卒業後も本業を持ちながらやる)
2:リスクを取ってない(失敗を嫌って本業を続けながら立ち上げる)

まず1について。スピード感をもって一番乗りになるのが成功の秘訣だと考える人は多いですし、実際にそのアプローチが戦略としても有効だと解く本は少なくありません。マーケティング領域で30年に渡って売れ続けている伝説の名著「マーケティング22の法則」の第一法則はその名も「一番手の法則」で、市場に一番乗りすることの有利さを強く訴えています。

また、筆者の古巣であるボストン・コンサルティング・グループも1990年代に「タイムベース競争戦略」や「ファースト・ムーバー・アドバンテージ」といった経営コンセプトを打ち出して「速さ」が競争優位につながるという主張を展開しました。

ということで、多くの起業家は先発企業になりたがるわけですが、しかし実際に調べてみると、先発企業と後発企業とで先発企業の方がどうも業績が悪いのですね。

例えば、
起業の失敗確率は、先発企業の47%に対して後発企業は8%
市場占有率は、先発企業の平均10%に対して後発企業が平均28%

つまり、先発企業は後発企業よりも失敗率が6倍高く、生き残ってもシェアは3分の1に留まるということが研究から明らかになっているわけです。

確かに、近年の支配的な事例を思い返してみれば、例えばGoogleは最初の検索エンジンではなかったですし、動画共有プラットフォームはYoutube以前にもたくさんありました。では、なぜ彼らが市場の一番手になれたのか?

タイミングが良かったから、というのがその答えになると思います。起業で必要なのはいちばん乗りになることではなく、市場を形成するさまざまな要因の足並みが整うのを待つことなのです。

例えば、iPhoneもまた、タッチパネルを用いた携帯電話の先発企業ではなかったわけですが、タッチパネルの精度、通信回線の速度、CPUの発熱量・サイズ・計算能力といった要素が一定のレベルに達して、初めて一つのまとまった商品として世に出すことが可能になったプロダクトフォーマットなのだったと考えられます。2000年代の前半であの製品を出そうとしても技術的に無理筋だったわけですね。

しかし、地に足をつけて考えてみれば、成功する確率は後発のほうが高いというのは、言ってみれば当たり前の話でもあります。先発者は未知の分野で試行錯誤して学ぶ必要があるうえに、市場参入時期が早すぎると失敗する。後発企業は先発者が試行錯誤した結果を学べるし、タイミングも見計らえる。

市場に一番乗りをすることにこだわる経営者も知っていますが、マーケットにはライフサイクルが働いており、先行者が獲得できるのは5%程度しかいない変わり者のイノベーターや少数派のアーリーアダプターでしかない。市場の趨勢はあくまでアーリー・マジョリティを押さえられるかどうかで決まるわけですから、強迫的にスピード感を求めるのは考えものだということです。

ワービーパーカーのケースはどうだったか。一番乗りとなることを何より重視するのであれば「メガネのオンライン販売は誰もやっていない。先を越されないうちにすぐやろう」と考えてしまうわけですが、4人の創業者は焦らずじっくり時間をかけて何度も話し合いを重ね、アイデアを熟成させてリスクを下げることを選びました。

結論から言えば、上記の命題1は研究から否定されたわけです。つまり、

起業で必要なのはいちばん乗りになることではない

、ということです。

さて、ではここで二つ目のポイント「リスクを取っていない」という点について考察してみましょう。グラントがワービーパーカーへの出資を断った理由のひとつが

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