#008 新型コロナウィルスがもたらした都市への影響とライフスタイルの多様化について


新型コロナウィルスの影響によって発生する大きな社会的変化の一つに「仮想空間へのシフト」があります。すでに都市部では大多数の人々がリモートワークを経験し「もう後には戻れない」と感じている人が多いのではないでしょうか。

これまでリモートワークの導入は、およそ一割程度の普及率を踊り場にしてなかなか進みませんでしたが、今回のパンデミックにより、半ば強制的な社会実験としてほぼ全ての企業に導入された結果、多くの人々が「もう元に戻れない」と感じていることが報じられています。

マーケティングにおけるライフサイクルカーブのコンセプトを当てはめて考えれば、一般に「ここを越えれば一挙に普及が進むというライン=キャズム」は普及率16〜18%と言われていますから、今回はこのラインを一気に突き抜けるようにして通過してしまったことになります。

しかし、大きな混乱もなく、世界がこのように急激に変わってしまった現在の状況を直視すれば、毎日、何百万人という人々が「通勤地獄」と海外の国から揶揄されるような苦行に耐えながら飽きることもなく物理的に集まることに執着していたかつての労働習慣について、なぜ誰も「こんなことをしているのはちょっとバカなんじゃないか?」と言い出さなかったのか、不思議でなりません。

特にインターネットとメールが仕事上の通信手段としてスタンダードになった90年代後半以降は、オフィスという物理的な空間に集まる合理性は希薄になっていました。であるにもかかわらず、デスクに着席するやいなや、机上のパソコンから仮想空間に入ってメールやらスラックなどでコミュニケーションをとり、パワーポイントやキーノートでアウトプットを作成する、つまり「コストと時間をかけてわざわざ物理的に集まってから再び仮想空間に入って仕事をする」ということをやっていたわけです。

さらに指摘すれば、東京に代表されるような都市というのは、もともと非常に仮想空間シフトに向いていたということもできます。パンデミックによって強制されたとはいえ、なぜこれほどまでにスムーズに仮想空間へのシフトが進んでしまったかというと、それはもともと私たちが仕事をしていた「都市のオフィス」というものが、非常に仮想空間的だったからです。

都市というのはもともと人間の意識が作り出したモノです。よく「脳化された都市」という言い方がされますが 、この表現は本来逆のはずで、もともとは頭の中で考えた仮想が物化されているのですから、本来は「都市化された脳」なのです。

これはまた「都市の創造性」が脳と同じようにそのネットワークのノードの数と紐帯となるパスの密度と太さによって決まるということでもあるのですが、ここではその点には踏み込まず、さらに先に進めましょう。

都市そのものは脳が生み出したものです。そして都市を構成するビルも、その中のオフィスの調度品や器具も、そのデスクの上に乗っているパソコンも電話機も、すべて人間の意識が作り出したモノです。これはつまり、何を言っているかというと、都市というのは、もともと人間が仮想空間で構想したものを物化させた空間に過ぎないということです。もともと仮想空間で考えたものを物化して、それをまた仮想空間に戻そうとしているというのが今回の仮想空間シフトですから、馴染みが良いのは当たり前のことなのです。

いま本稿を読まれている読者の多くは情報材を扱う、いわゆるホワイトカラーの仕事に従事されていることだろうと思いますが、そもそもホワイトカラーの仕事は「情報の製造業」だと考えてみると、これまでいかに異常で非生産的なことをやっていたのかがわかります。

情報の製造業においては脳が工場になり、情報が資材と生産物になります。製造業では基本的に工場を動かさずに資材と生産物を動かします。なぜならこれらは工場よりもずっと軽いので、工場は一箇所に固定して動かさず、資材を動かしたほうが生産性は高いからです。

ところが、情報の製造業であるホワイトカラーの仕事では長いこと、これとは逆に資材である情報を動かさずに、工場である脳を動かすということをやってきました。なぜなら、物理的な距離が増えてしまうとやりとりする情報の量が減ってしまい、脳の生産性が低下するからです。

情報には「量=リッチネス」と「到達距離=リーチ」のトレードオフがあります。情報のリッチネスを上げようとすればリーチが犠牲になり、情報のリーチを上げようとすればリッチネスが犠牲になる。このトレードオフは、物理的に離れた人とのコミュニケーションを電話と手紙に頼る以外になかった1980年代以前においては特に顕著で、だからこそ当時の人々はリッチな情報をやりとりするために「本社ビル」などの物理的な空間を設え、そこに人々を集めて協働させる、つまり、脳という工場を物理的に集積させるということをやってきたのです。これが19世紀から20世紀にかけて、世界の各地で都市化が進んだ要因です。

ところが1990年代の後半になってインターネットが急速に普及すると、このトレードオフは急速に解消されていくことになります。遠く離れた人と、それまでのテクノロジーでは考えられなかったほどに密度の濃い情報をやりとりすることが、ほとんどコストゼロでできるようになったのです。しかしその一方で、物理的に一箇所に集まって働くという、二百年間に渡って続けられた働き方の慣行は、ほとんど省みられることもなく「働くというのはそのようなモノだ」という暗黙の了解のもと、テクノロジーの進歩の影響を大きく受けることなく、ここまで来てしまいました。

それが今回、「物理的に集まることができない」という制約を強制的に突きつけられた結果、意外にも、多くの社会活動を仮想空間で完結できることが明らかになったことで、あらためて「物理的に集まることの意味ってなんだっけ?」ということを皆が考えざるを得ない状況に陥っているわけです。

これはそのまま「都市とは、一体何なのか?」という問いへと接続されることになります。すでに読者のみなさんも皮膚感覚で感じられていると思いますが、私たちはもう後戻りのできない世界へと到達してしまっています。

では仮想空間へのシフトがどのような変化を引き起こすのでしょうか。二つあると思います。

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