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海外で長期的に活動する時に日本語だけで乗り切ることはおそらくないと思う。少なからず英語や現地の言語を学ぶ必要がある。しかし、人によっては外国語の習得に苦手意識を持っている人もいる。なにを隠そう、私もその一人だった。
このnoteでは外国語が苦手だった若手トレーナーがどのようにして言語の壁と向き合ったのかをお話する。
あくまでも一例であるということを念頭に置いて見て頂けると嬉しい。
そして、先に言いたいことがある。それは、今回のnoteは“外国語の勉強方法”ではない。勉強法を知りたい方は後日noteにそれについても書く予定なので少し待っていただきたい。



前書き

まず前提として『中谷は外国語が得意、もしくはペラペラだったのだろう』という幻想を打ち砕く2つの話をする。
1つ目、日本の義務療育で英語は必須教科だ。中谷も例に漏れず勉強はした。成績は下の下、期末テストで最下位を取ったこともある。(その成績表は今も実家に眠っている。)
2つ目、イタリアに来る前に覚えていたイタリアはCiao、Buongiorno、Grazie 3つだけだった。イタリア文法をまったく知らなかったといっても差し支えないだろう。
以上の2つのことからまったく話せない状況で渡伊した。その直後、Lazio A5で研修を開始させた。通訳者が来たのは初日の1時間だけ、まだ選手のケアをしている途中で「じゃあ、私は帰るから!中谷君、帰りは自分でどうにかしてね。」といわれて知らぬ土地で置き去りにされことはあまりにも強烈で一生忘れることはできないだろう。
こんな波乱の幕開けだった研修でどのように“外国語の壁”との向き合ったのか。私には4つのステップがあった。

①    あったのは情熱だけ

言語がまったくわからなかったが、痛みは選手の表情で分かったし、身振り手振りで何とか意思疎通を図った。当時、あったのは「ここに縋り付いてやろう」という情熱と野心だけだった。

②    興味を持つ

研修開始通日後、初めて覚えたのは「male(悪い)」という言葉だった。選手たちは私に「Mi fa male.(この体の部分が私を悪くする)=ここ痛い」という言葉と指差しをマッサージの前にしきりにしていた。相手への興味とリスペクトを込めて覚えた言葉をすぐに使った。

③    慢心と幻想

長期研修は2019年2月末から5月中旬までだった。この中で女子セリエAプレイオフ2位や公式戦の帯同など様々なことを体験した。チームの勝利に貢献している自負もあった。だからこそ言語の壁から目を背けた。「治療技術が高かったらそれでいいだろう、そうであってくれ。」こんな幼稚な慢心と甘い幻想は同年6月末の契約更新の電話で打ち砕かれた。

④    現実から目を背けるのをやめた

「シュン(私)が翌シーズンの時期もイタリアにいるならチームの正式なスタッフにならないか?」という連絡が通訳の方を通じてチームのオーナーからきた。6月末のことだった。
この時オーナーは「もし、メンバーになるならもう少しイタリア語を頑張ってもらわないと。」ということも言っていたこともあり、腹をくくって本格的に勉強を始めた。
腹をくくれた要因はここでの情熱とこのチャンスをものにしてやろうという野心だった。

まとめ

以上が私の言語の壁との向き合い方である。
やりたいこと(この挑戦)のためなら嫌いなことにも向き合えた。もともと私は嫌いなことから逃げるような性格だった。しかし、それ以上に好きなことはやりたがる性格だった。この挑戦を持続するのであれば遅かれ早かれ勉強しなくてはいけないことは目に見えていた。時にチャンスが舞い降り、それをつかむために必死に足掻いた。
あなたは好きなことのためならどこまで頑張れる?

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