スープカレーと僕と僕の胃袋と

散歩の途中スープカレー専門店があったので入ってみた。
バーのようなモダンな室内で、BGMにくるりだかサカナクションだかの意識高い系サウンドが流れていた。

僕はカウンター席の奥から二番目の席に座り、メニューを見て少し考えた後、土日限定のベーコンのスープカレーを頼んだ。
店主はカレー屋というよりラーメン屋が似合いそうな風体だった。

そういえば僕はきちんとしたスープカレーというものを食べたことがない。もちろん母親が水の量を誤ったためにとろみが消えたカレーなら食べたことはある。しかしそれはスープカレーというよりカレースープだった。カレー温水と言った方が近いかもしれない。とにかく酷い代物だった。

そんなわけでほとんど初めて食べるスープカレーだった。意外と味はしっかりついており、野菜の一つ一つに甘みがあった。
悪くない。
悪くはないが、例えばこのスープカレーと普通のカレーが並んでいたら、カレーの方を高い頻度で選ぶことだろう。

一体なぜわざわざスープカレーなんて作ろうと思うのだろう。コストが安いのだろうか(あまりそうは思えない)。
百歩譲って例えばココイチの横に作り、足繁く通うココイチフリークの中から「たまにはスープカレーでも食ってみるか」なんて客を狙うならまだわかる。ココイチフリークなどという人種が本当にいればの話だけれど。

スープカレーは北海道の発祥だと聞く。北海道ではソウルフードなのだとか。
僕はかねてから北海道の雄大な自然に憧れ、将来住んでみたいとさえ思っている。でも例えば免許証の更新の際、申請書類に「ソウルフード」の欄があったら「スープカレー」と書かなくてはならないのだろうか。嫌だ。

誤解の無いように言うがスープカレーは悪くなかった。むしろ美味しいと感じた。
ただランキングで言うとミネストローネよりは僅かに上だがコーンスープには届かないくらいである。ましてや本家カレーライスと比べるのは原付とハーレー・ダビットソンを比べるようなものである(汎用性という意味ではむしろ原付の方がカレーライスなのかもしれない。例えば上司からハーレー・ダビットソンでの出社を命じられたらそれはパワハラでありモラハラだと私は感じる。ハーレー・ハラスメントもしくはハラスメント・ダビットソンだ。私は断固として戦う)。

スープカレーをハーレー・ダビットソン的見地、つまりカーレー・ダビットソンとして捉えるとやはりそれらを選ぶのは変わり者と言っていいかもしれない。
ただ、ハーレー・ダビットソンとスープカレーのいずれも土地性という共通点がある。ハーレー・ダビットソンはアメリカの荒野で乗り回すなら絵になる。京都で神社仏閣の間を縫って走ることに違和感があるだけだ。同じようにスープカレーも北海道で食べるならもう少し違った印象なのかもしれない。

あるいはいずれも人を選ぶ。アーノルド・シュワルツェネッガーが「ターミネーター2」の中でそうしていたように、ライフルを片手に乗るなら様になる。同じようにスープカレーも大泉洋が食べるなら勝手に食ってろといったところだ。

総括すると、スープカレーと僕の間には依然としてそびえる厚い壁があり、今回僕はその壁を乗り越えることができなかった。いずれは壁が取りさられ、東西ドイツが一つになったように、僕とスープカレーも融和することがあるのだろうか。

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