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193.

22:13。

「 ──── すみません。もっと早く解散して投宿する予定が、すっかり遅くなってしまって」
「いや、大丈夫。ていうか、コータはいつも謝ってるな?」
「すみません ──── って、何かもう口癖みたいになっちゃってまして」
「石嶺さんがいつも言ってるけど、ファンサービスって大事だからね。ボクは打ち上げ大歓迎派」後部座席のシートに凭れ、ディーデはくすくす笑う。「そういうのでもないと、地元の方々と直接交流出来る機会なんて、滅多にないしね」
「久し振りにディーさんと演奏出来て楽しかったよ。まさかこんなに早く、一緒にツアーすることになるなんてな?」
「ほんとにね?ついこの前まで、アコルヂスのスタジオで顔を合わせてたのに」大勢の観光客で賑わう春吉橋と、その向こうに広がる美しい夜景を眺めながら、彼は微笑んだ。「ボクとジョシュさんがプロとして復帰出来たのも、石嶺さんやグレンみたいなビッグ・ネームと組ませて貰えるようになったのも、全て、銘くんのお陰だよ」
「ほんとにな。銘には感謝してもしきれない」
「ちゃんと連絡取ってるんでしょ?」
「10月まではな」助手席のジョシュアは、肩を竦める。「今月からやめたよ」
「えっ?どうして?」
「俺が日本にいる間、銘が異常にナーヴァスになってるらしいから。刺激しないようにしたんだ」
「ああ、そっか」ディーデは、眉をひそめる。「この前マコちゃんが様子見ついでにRiotに顔出してくれたんだけど、一応元気そうにはしてたって。ただ、元々細い人なのに、さらに痩せてたから、それが心配だって言ってたね」
「ベース弾いてる時は最強なんだが、それ以外では割と脆いからな、銘は」ジョシュアは、溜め息をつく。「だから離れたくなかったんだ」
「難しいところだよねぇ。銘くんはジョシュさんのことを思って突き放したんだろうし。ジョシュさんも銘くんの気持ちを思うと、断る訳にもいかなかっただろうし」
「そこなんだよな。お陰で、あれからずっとコンフリクトしてるよ」
「ほんとに申し訳ありません」レンタカーのステアリングを握りながら、航太は頭を下げる。「最終日の東京で、何とか時間作れないか調整してるんですが ──── 」
「0:30のLAX行きに乗るから、どうやっても無理だろ?今回は諦めるよ」
「前日が札幌泊じゃなければねぇ」と、ディーデ。「マークがどうしてもすすきの行きたいって言うから」
「あの人は日本の歓楽街が大好きだからな。今日もプロモーターとファンに連れられて中洲で2次会だし」
「御大はグレンと同い年だから、もう73になるしね。今は元気だけど、今度いつ日本へ来れるかどうかわからないって言ってたし。観光したくなる気持ちもわかるよ」
「それであんなパワフルなドラム叩くんだから、参るよな?」ジョシュアはiPhoneを取り出し、苦笑する。「年も年だし、正直舐めてたからな。リハの1曲目で震えあがったぞ?」
「ジュリーニョの同期で親友だから、ちょっと底の知れない部分があるよね。今回のツアーはkidsと一緒だから、最高に楽しい!って喜んでたよ?」
「kidsねえ。まあ、ディーさんは孫でもおかしくない年だが」
「何言ってるの?ジョシュさんとボク、2歳しか違わないでしょ?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。ジョシュさんが1987年で、ボクが1989 ──── 」
「あ、すみません」航太は、カーオーディオを操作する。「ちょっとラジオつけていいですか?Sorteソルチの特集があるそうなので」
「へえ?あいつらもう、ラジオに出演するようになったのか?」
「生演奏じゃないですけど。前回のライブの音源を使ってくれるみたいです」

航太がボリュームを上げると、観客の拍手とバンドの演奏に包まれて、伸びやかな歌声が聴こえてきた。それを耳にしたディーデは、思わず身を乗り出す。

「 ──── あ、これがソルチか!最近あちこちでかかってるよね?」
「そう。彼等も銘が、六本木で発掘したんだ」
「そうなんだ、凄い!ヴォーカルとベースの2人は勿論だけど、バンドも滅茶苦茶上手いね?」
「そうなんですよ。アコルヂスと赤坂エージェンシーの若手が参加されてます」航太はミラー越しにディーデと視線を合わせ、微笑んだ。「ガートくんは日系ブラジル人で、セントくんは日本人で。どちらもまだ20代前半です」
「あ、ガートくんか!道理で聴いたことある声だと思った!前にソレイユからデビューした子でしょ?」
「ですです。ソレイユに在籍してた頃は無理難題押し付けられて、早々に潰されてしまったので、その時の教訓を生かして、今回は、ガートくんの好きなようにやって貰おうってことになったんです」
「それで、ブラジル色を前面に押し出してるんだな?」
「そうです。彼の持ち味が一番生かせるからって、社長が」
「ブラジルの音楽は奥が深いからねぇ。日本だとボサノヴァとサンバぐらいしか知られてないけど、凄いアーティストがいっぱいいるし、ジャズとも関わりが深いし。もっとみんな聴けばいいのにって、ボクも思ってたよ」
「確かにな。銘の音楽的素養はジュリーニョの影響を受けてるから、聴く耳もあったんだろう」
「そうだね。良さんも仰ってたけど、銘くんはミュージシャンとしても一流な上に、人の本質を見抜く力があるから。彼と関わった人はみんな、上昇気流に乗せられちゃうんだよ」
「そうかもしれない」ジョシュアは、LINEアプリを立ち上げる。「でも、俺は、銘には最後までベーシストとして、最前線で戦っていて欲しいよ。それが彼の本懐だからな」

言いつつ、ジョシュアはiPhoneの画面に視線を落とす。May your heart always be at peace ──── 10月31日、最後に送ったメッセージも既読にはなっておらず、彼はまた溜め息をつく。俺と銘が離れて暮らすようになってから、オスカーやおふくろは勿論、ボスや薫さんや、日本にいる皆にも散々気を遣わせて、いい加減心苦しくなってきたよ。なあ、銘 ──── 俺はそろそろあんたを解放してやった方がいいんだろうか?それともこれは単なるポーズで、ひょっとしたらあんたは、痩せ我慢してるんじゃないか?本当は俺に会いたくて、話したくて仕方ないのに、その気持ちに向き合うと日常が崩壊してしまいそうになるから。だからなるべく、俺のことを考えないようにしておきたいって、そう思ってるんじゃないのか?あんたにとって俺はまだ、ホットな話題のままだろうから。
それならわかるよ。誰にも言えないけど、俺もあの朝からずっとそんな状態だから。オスカーやコータに無理を言って、分刻みでスケジュールをぶち込んで貰って、余計なことを考えられないようにしてるんだ。あんたが命懸けで与えてくれたチャンスを、無駄にしないように ────









22:45。

田町駅を出てエスカレーターで地上へ降り、重い機材を背負ったまま新芝橋を渡る。すっきりと晴れた夜空とやや膨らみ始めた半月、滔々と流れる運河と遊歩道に点々と並んだガス灯の光が美しかったが、Riotへ近付くにつれ、瞬はどんどん気が塞いでくる。銘さんへの想いは以前と少しも変わっていないけど、あんなことがあったあと、どういう顔をして会ったらいいのかわからない。俺にとっては殆どが、生まれて初めての経験だから ──── そう思いながら交差点を右折すると、前方からいきなり名前を呼ばれた。



「 ──── おっ!瞬くんじゃん!」
「あ、ほんとだ!お疲れ!」

聞き覚えのある声に顔を上げると、ももよ通りの向こう側から西と西村ヨシが並んで歩いてくるのが見えた。瞬はその場で足を止め、2人に向かって一礼する。

「お疲れさまです。こんな時間までいらしたんですか?」
「うん。ていうか、22:00までセッション延長したからね」Vネックシャツにジャケット、細身のジーンズという格好の西は、にこやかに答える。「今日は祝日なせいか、参加者が滅茶苦茶多くて。和哉くんが苦労してたよ」
「学生とか旅行者とか、若者でぎっしりでさぁ」ポロシャツの上にブレザーを羽織り、グレーのスラックスを穿いたヨシは、隣にいる長身のドラマーを見上げる。「おじさん達はずっとカウンターで飲んでたよ」
「せっかく行ったのに?勿体ないですね」
「銘が気を遣って、1曲ずつ回してくれたけど。ヨシもオレも、しゃばる年でもないしね。な?」
「そういうこと。ドラマーもめっちゃ多かったから、迷うところよ?」
「そうなんだよな。参考にしてくれればいいなって気持ちで叩かせて貰う時もあるけど、セッションに来るドラマーって別に、聴きに来てる訳じゃないからね」
「そそ、叩きたい奴か、ナンパしたい奴が殆どだよ」
「ナンパ?」
「自分と相性のいいメンバーを探して、スカウトするってこと」西は、肩を竦めた。「EVIDENCEやRiotは老舗だからちゃんとしてるけど、それ以外のセッションなんてほぼほぼ出会いの場だよな?」
「でも、腕の立つ人はすでにどっかで活躍してるから、なかなかカップル成立って訳にはいかないのよ」ヨシは、遠い目をする。「婚活で、性格のいい美男美女から先に売れてくのと一緒!」
「なるほど、わかりやすいです」
「で、どうだった?初めての現場は」
「いや、まあ、撮影の方はまだよかったんですが」瞬はたちまち、表情を曇らせる。「終わってからペニンシュラ東京のダイニング連れてかれて、ずうっと話し相手させられて。そっちのがきつかったです」
「あー、やっぱ!安西さん、瞬のことめっちゃ気に入ってるからなぁ?」
「安西さんって?」西は、首を傾げる。「写真関連の人?」
「銀座に幾つか画廊持ってるくらいの富裕層なんだけど、自称芸術家というか、パフォーマーというか。着てるドレスびりびりに破いてくとことか、床にペンキぶち撒けてるところを若い奴に撮らせるのが好きでさ」
「ああ、いるよね、そういうの。ドレスってことは、女性なのかな?」
「女性、 ──── はい、女性です」瞬は、溜め息をつく。「でも、かなりその、エキセントリックというか、アナーキーな方でして」
「その分報酬が破格だから、いいお客さんだよ。政界とか芸能界とかのコネもめっちゃあるし。食えない連中には、それ目当てで枕営業したのもいるくらいで ──── 」
「えっ?マジで?」西は、ぎょっとして彼を見る。「ヨシが?」
「ちょっと、西!やめてよぉ!あたし、芸は売っても体は売らないからねぇ?」
「ああ、安西さん、ヨシさんの写真は大好きだと仰ってました ──── いてっ!」
「そういう余計な報告やめてくれる?」ヨシはぷりぷりしながら、新芝橋へ向かう。「どうせ俺はチビで、バツイチで、ブサイクなアラフォーで!写真とドラム以外何にもいいとこないですよぉ!」
「えっ?」叩かれた頭を押さえながら、瞬は振り返る。「ヨシさん、何か嫌なことでも?」
「最近ずっとあんな感じでさ。ひがみっぽいっていうか、拗ねやすいっていうか」西は、声を潜めて言う。「銘くんもオレも、そんなことないってずっと宥めてたんだよ」
「ですよね。ヨシさん元々目鼻立ちぱりっとされてますし、体さえ絞れば、坂口さん系のイケメンになるって誰かが ──── いてっ!」
「うっさいよ、瞬!」
「褒めてるのに、わざわざ戻ってきて叩くことないじゃないですか?」
「ふん!お前みたいなイケメンに、あたしの何がわかるのよぉ!」
「こら、ヨシ!愛弟子を虐めるんじゃないよ!」
「ていうか、今日、かなり飲まれてます?」
「でもないよ。ボトル1本ぐらいかな?」
「西、さっさと来なさいよ!置いてくよ!」
「はいはい」西は苦笑いしながら、瞬に笑顔を向ける。「335行くんだろ?」
「行かない」
「はっ?何で?」
「あそこは当分いいや」
「前は時間さえあれば顔出してたのに、どうしたんだよ?」西は首を捻りながら、彼に続く。「さえと喧嘩でもしたの?」
「そういう訳じゃないよ ──── あ、瞬!」
「はい」
シズルくんはあくまでイレギュラーで預かってるだけで、誰が何と言おうと、俺の直弟子はお前だけだからね?覚えておきなさいよ?」
「あ、はい」
「あとお前、仕事選び過ぎ!ある程度カバーはしてあげるから、難しい仕事も大きい仕事も、自分の名前でちゃんと受けなさい!」
「ああ、はい」瞬は申し訳なさそうに、頭を下げる。「すみません」
「それと、銘くんに入れ込み過ぎないように。手の届く位置にいるとついつい錯覚しちゃうけど、銘くんは俺等とは別な次元に住んでる人なんだから。勘違いしないようにね?」
「はい、わかりました」
「説教は以上!」ヨシは憮然とした表情で宣言し、きびすを返して右手を振る。「明日は9:00発だから、遅れないように!」
「了解しました」瞬は真剣な表情で、一礼する。「お疲れさまでした」






田町駅に向かって歩いている途中、西は気になって訊いてみる。

「ていうか、銘がどうしたって?」
「あいつ最近、Riotに入り浸ってんのよ」
「いや、でも、銘くんに撮影頼まれてんだろ?だったら別に問題ないじゃん?」
「それだけだといいけどね。ずっと泊めて貰ってるみたいで」
「えっ、そうなの?プライベートでも一緒なんだ!」
「そう。そこがちょっと心配で」
「でも銘にはジョシュくんがいるし、瞬くんはゲイじゃないって話だし。もしゲイだとしても、その手の下心で動くような子じゃないだろ?」
「そうなんだけど、その分ちょっと、危なっかしいからさ」
「危なっかしいって?」
「俺の時もそうだったけど、ああいう育ちなせいか、誰かに一度忠誠を誓うと、自分の限界超えてまで滅私奉公しちゃうような部分があんのよ」ヨシは軽く洟を啜り、スクランブル交差点を渡る。「他人に尽くす前に、自分のメンタルと生活を安定させなさいって、いつも言ってんだけどね?」
「まあなぁ。自分自身の基盤がしっかり出来てないうちに、下手に他人と関わると、引き摺られたり流されたりするし」両手をポケットに突っ込んで彼に続きながら、西は夜空を見上げる。「まあ、でも、相手が銘なら大丈夫な気もするけどな?あいつは他人につけ入るタイプじゃないから」
「銘くんはね?」ヨシはエスカレーターの左側に乗り込み、振り返る。「あの人はああ見えて百戦錬磨で、ほっといても自力で立ち直れるだけの強さも持ってるし、今の状態も一過性のものだって俺は思ってるけど。瞬は下手に人がいい分、その辺の判断を見誤って、一方的に依存してるような気がするんだよ」



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