健やかなる時も② 139
僕が予想した通り。
成田空港は、相変わらず混み合っていた。
スーツケースを引き、リュックを背負った旅行客の中で。
整った顔立ちと長身のせいもあってか。
147の姿は、やけに目立った。
「ここでいいぞ。午後から、予定があるんだろう?」
「ああ。異動の件で、お偉いさんと話し合わなきゃならないんだ」
「なるほど。それでその格好だったのか」彼は、腕組みして言う。「てっきり、サービスかと思ったら」
「あのなぁ。こんな場所まで来て、何で君にサービスしなきゃいけないんだ?」
「まあ、そう言うな。最後なんだから」
「今回はな」と、訂正して。「無事に着いたら連絡くれよ?」
「そうするよ」
「じゃあ、大佐とレイチェルに宜しく」
「せっかく忘れてたのに」彼は、顔を顰める。「何で今ここで、その名前を口にする?」
「言わなかったか?彼女は盟友なんだ」
「筋金入り同士、サディスト同盟でも結んだのか?」
「何だよそれ?人聞き悪いな?」
「向こうではSキャラ全開だったじゃないか?今回はあまり苛められなかったけどな」
「そうなんだよ。再会の喜びにかまけて、すっかりそれを忘れてた」
「まあいいさ。軍に戻ったら、またドS路線に戻るだろうし」
「そうかもな」
「うちの甥っ子達に、宜しく言っておいてくれ」
「了解」
「あと何か言うことは?」
「特にないな」
「随分冷たいな?」彼は、呆れたようだった。「2ヶ月半振りに再会して、また離れ離れになるところなんだぞ?」
「心配要らない。すぐに会えるさ」僕は、微笑んでみせる。「期待しててくれ」
「本当だな?」
「多分ね」
「ほら見ろ。君はやっぱり嘘付きだ」
「嘘じゃないさ。間に合えば、来月半ばにはイスラマバードだ」
「本当に?」
「そう願うよ」
ひっきりなしに聞こえてくるアナウンスの中。
ふと、言葉が途絶えた。
彼の背後に見える大きなデジタル時計は、1145を指しているから。
もうそろそろ、戻らなければならない。
そう思った時。
僕は半ば無意識に、足を踏み出していた。
賑やかな人混みに紛れ。
僕は彼を、しっかりと抱き締める。
次に会うのは、いつになるのか。
僕にはまるで見当がつかなかった。
でも。
何となく、確信はあった。
これが最後ではないと。
僕等はまた、会えるだろうと。
こうして、抱き締め合うことが出来るだろうと。
それも、近いうちに。
彼には言わなかったけれど。
そんな予感があったからこそ。
僕は比較的、冷静でいられたのだ。
「 ──── 147」
「うん」
「さっきの台詞は、何からの引用だ?」
「バレたか」彼は、くすくす笑った。「来る途中、機内で見たんだ」
「"P.S. I Love You"だろう?」
「そう。よく覚えてるな?」
「中2の時、両親に連れられて。一緒に観に行ったんだ」
「へえ」
「映画の内容は殆ど覚えてないのに、その台詞だけは強力に覚えてる。おふくろが、よく口にしてたからな」
「……」
「まさか、自分が言われるとは思わなかったけどね」
「興醒めかい?」
「そうじゃなくて。同じ台詞を、返しておくよ」
「……」
「与えられた生を、存分に生きてくれ。この先、離れるようなことがあったとしても」
「……」
「また会えるよ。いや、 ──── また、会おう」
言い終えるのとほぼ同時に。
彼の唇が、重なってくる。
5秒足らずの口付けは、酷く苦しくて。
少しだけ後ろめたかったけれど。
僕は目を閉じて、それを受け入れる。
これが最後だ。
そう、思ったから。
キスを終えてからも。
147はしばらく、僕を離そうとはしなかった。
その腕に、きつく抱かれている間。
速まった鼓動だけが、耳元で鳴っている。
締め上げられるような胸の痛みと、彼の熱を感じながら。
僕は、何と切り出していいのか判らずにいたけれど。
先に口を開いたのは、彼の方だった。
「 ──── じゃあな」
「ああ。気を付けて」
「ありがとう。君もな」
そう言うと。
彼はゆっくりと、僕から離れ。
踵を返し、真っ直ぐに歩いていく。
セキュリティ・チェックの入り口に向かって。
その背中を。
僕は黙って見送った。
9月の朝と同じように。
居並ぶ人々に、半ば隠されながらも。
彼は一度だけ振り返り、手を振ってくる。
いつものように微笑みながら。
だから。
僕も、手を振り返す。
彼の姿が、人の波に消え。
完全に見えなくなるまで。
そして、1週間振りに。
僕はまた、1人になった。
147を見送ったあと。
成田エクスプレスで、東京駅まで戻り。
半蔵門線に乗り換えて、池尻大橋で下車する。
陸軍衛生学校へ出頭するためだ。
土曜日だったせいか。
三宿駐屯地内は、いつになく閑散としていたけれど。
澤口将補は校長室で、僕を待っていてくれた。
「すみません。お休みなのに」
「構わんよ。小此木くんから、話は聞いていたし」
白いカバーが敷かれたソファーの上に、促されて腰を下ろすと。
彼は僕の前に座り、長い指を組み。
穏やかな口調で、こう切り出した。
「それで ──── 覚悟は決まったのかね?」
「はい。いろいろご迷惑おかけしましたが」
「助かるよ。いつからなら動ける?」
「気持ちとしては、今すぐにとお答えしたいところなのですが。芝浦の方の都合もあるでしょうから」
「なるほど。その件は、神谷と話を煮詰めておこう」
「はい。ありがとうございます」
「それにしても。よく戻る気になってくれたな」
「河辺将補の件を含め、逡巡はありましたが。やはり、任務を全うするべきだと。そういう結論に達しました」
「相手は相当手強いぞ。しかも、君の派遣先は、最悪の状況下だ。それでもいいのか?」
澤口将補に、そう問い掛けられた時。
一瞬、ブルの顔を思い浮かべたけれど。
僕はもう、自分がなすべきことを知っていて。
果たすべき役割を自覚していたから。
誰の元で、何をすることになろうとも。
もう二度と、心が揺らぐことはなかった。
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