健やかなる時も② 135
「 ──── それにしても。あれは反則ですよ?」
「まあ、そう言わないで。兄貴の心遣いだから」
「なかなか立派なスピーチだったぞ」と、147。「自分のことは殆ど話さなかったじゃないか?」
「話さないというか。咄嗟のことで、何も思い付かなかったんだ」
都内を進む車の中。
革張りのシートに並んで座りながら。
147は、僕の右手を捉えてくる。
いつもなら、ひっぱたくところだが。
彼にとって運のいいことに。
心地良い酩酊が、それを許していた。
宴がはねたのは、2300を回ったあたり。
僕はその時間の殆どを、挨拶回りに費やしていたから。
手持ちの名刺も、すぐに底をついてしまった。
けれど。
彼の親族は、存外に友好的で。
本当の身内のように、温かく僕を迎えてくれたので。
僕も147も、勧められる杯を断れず。
ついつい、飲み過ぎる羽目になったのだ。
「本当は、おふくろも出席したがってたんですが。さすがに容態が心配で」
「無理することないだろう。明日、病室に顔を出して行くよ」
「そうして貰えると助かります」室谷医師は、振り返って言う。「いつも、ちゃーちゃんは?と訊かれるので」
「あの状態だと。姉貴と会えるのは、これが最後になるかもしれないしな」
「そうですね」と、同意して。「でも、穂積くんに来て貰えて良かった。大伯父も喜んでくれたし」
「大伯父?」
「最初に拍手してくれた爺さんだよ」147は、僕に耳打ちする「車椅子に座ってた」
「ああ、あの方が」僕は、すぐに思い出す。「学校法人の名誉会長と伺っていたけど」
「彼は親父の兄貴で、昔は理事長だったな」147は、僕の手に唇を付ける。「しかしまあ、よく生きてたよ」
「最後に会ったのはいつなんだ?」
「婆さんの3回忌の時かな。確か、ニューヨークへ発つ直前だ」
「1982年か。ロング・ストーリーだな」
「すぐ年代が出てくるなんて。随分と詳しいな?」
「言いたかないけどね。僕は多分、君の素性と経歴に世界一詳しい人間だよ」
「違いないな、それ」助手席の乗った室谷医師は、くすくす笑う。「さて、そろそろ着くよ」
生まれて初めて乗せられた、運転手付きのリムジン。
後部座席のドアは、室谷医師が開けてくれる。
「じゃあ、気を付けて」彼は、147とハグをする。「本当なら、空港まで送って行きたかったんですが」
「構わないさ。仕事の方が大事だ」
「先生、学会でしたっけ?」
「ああ、うん。今回ちょっと遠いんだよ」
「夜、カバーに入りましょうか?」
「そうして貰えると助かるけど。大丈夫かい?」
「ええ。明日は彼を送って、そのあと三宿へ出頭するだけなので」
「そうか。じゃあ遠慮なくスケジュールに載せておくよ」
「はい」
「澤口先生に、宜しく言っておいて」
「そうします」
「いつでもご連絡下さい」と、147に向かって。「またお会い出来る日を、楽しみにしています」
「こちらこそ。君達には今回、本当に世話になったな」
「いえ。身内ですから。当然のことですよ」
「あ、そうだ。仁には手を出すなよ?」
「えっ?」
「はっ?」
「ちょっと待て」僕は、さすがに慌てた。「何言ってるんだよ?」
「君は浮気者だからな」と、僕を横目で睨んで。「釘を刺しておかないと」
「まさか。出せませんよ」室谷医師は、くすくす笑っている。「お2人の熱愛振りは、充分理解していますから」
「そうだよ。誰が浮気者だ?」
「そうだろう?わたしのいない間に、ちゃっかり河 ──── 」
「うわっ!」僕は反射的に、その口を押さえた。「ここで、そんな話するなよ!」
「河辺のことでしょう?」と、室谷医師。「あれはアクシデントですよ。あと一歩でODでしたから」
「えっ、そうだったのか?」
「そうだよ。新薬の実験に付き合わされたんだ」
「なので、穂積くんの本意じゃありませんよ」
「まあいいや。続きはベッドの中で聞こうか?」
「こら。室谷先生の前で、そんな言い方するな!」
「仲良きことはうつくしきかな」彼は後部座席に乗り込んで、敬礼する。「ご馳走様です!」
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