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オススメしたいステキマガジン

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スキのストリームに埋もれさせるにはもったいない、沢村の備忘録的マガジン。読んで「これはためになる~」「はぁーええ話や…」と感じた記事をまとめさせていただいています。
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#エッセイ

「警察に行けばいい」とかみな言うが、警察署にはガチャ性がある

「警察に行けばいい」はどこまで現実的か諸々の出来事から派生して、「何かあったらすぐに警察に行けばいい」という意見をよく見かけるようになった。そういう考え方は、どこまで現実的なんだろう。 この記事では「事件後に被害者は心的トラウマから事件を正当化しようとするから〜」みたいな、心理学的ケアの話はしない。そういうのはちゃんとした本を読んでくれ。 もっとずっとわかりやすく、警察署そのものにまつわる話である。 個人的な経験として、警察署にはガチャ性がある。確実にある。あっちゃいけ

新幹線が運休した日に、なんとしてでも上京したかった人間の記録

 その日は、東京でラジオの収録だった。 映像ディレクターの高橋弘樹さんの番組で。2時間近くもみっちりトークできるってことで、そりゃもう、ワクワクしてたわけ。 前夜、即入眠。 今朝、即起床。ガバ起き。 昭和の戦後間もない映像かなってぐらい、テキパキ動きまくって、支度した。わたしにしちゃ順調すぎて。 全日本早起き選手権大会、二位以下に大差をつけ、余裕の表情で新大阪駅行きの電車に乗った。優雅にスマホを見た。 『東海道新幹線、始発から運転を見合わせ』 なんですって? 名

落とした指輪を出品されて警察沙汰になった話

亡くなってしまった父は数年に一度、母の誕生日になると、給料をはたいて、シルバーのアクセサリーを贈っていた。 わたしがまだ小学生だったときも、神戸からはるばる東京の表参道まで、父がCOACHのブレスレットを買うのに付き合わされた。 買っている姿をわたしに見られるのが恥ずかしかったようで、 「俺は用事があるから、お前はここで待っとけ!なっ!」 ジュースを渡され、小学生なのに、表参道の人混みで置き去りにされた。マジでとんでもねえ父である。 ただ、母はそれをたいそう喜んでい

母に駆け寄ってくれたのは小籔さんだった時のこと

2019年のお話だけど、ちょうどこの間、吉本新喜劇の人と話していて「小籔兄さんのアレって岸田さんのお母さんやったんですか!?」って驚かれ、思い出したので。 あの日は、仕事で東京に行っている母から電話がきたのだった。 「聞いて。さっきな、助けてもらった」 母は、車いすに乗ってるので、 人にはよく助けられる方だ。 「だれに助けられたと思う?」 知らんがな。 母は興奮気味に、説明してくれた。 品川駅で母は、タクシー乗り場へと舞い降りた。 腰から下がまったく動かない母

あの日の質問に今なら答えられる気がする

まだ以前の施設に在籍していた時、夜勤中に届いた質問がある。それは私と同業の介護職の女の子からで、最近資格を取得して施設で働き始めたらしい。全文は思い出せないが、書き出しが「暗く、出口が見つかりそうもない、質問とも呼べないかもしれない質問でごめんなさい」だったのは覚えている。何故なら日記にメモを取っているからだ。いつか、いつの日にか、この子の質問に答えようと思ってメモを取っていた。うっかりあの日から数年経ての返答になるのだが、もう手遅れだろうか。間に合っただろうか。分からないま

1年生日記(12日目)

実はここ数日、ずっと 「朝ウッチャンを送り支援級の担任の先生か支援員さんにその日の体調のことなどを申し送り、しばらく様子を見て帰宅、昼ごろ給食をめがけて再び学校に行き2.0vの酸素ボンベを1.1vのものと交換し服薬を確認して帰宅、5時間目の終わりごろに再びウッチャンのお迎えのために学校へ」 この3往復形式が果たして本当に正しいのかということを考えていた。一度は「まあしゃあないよね」と思ったこれを始めて数日後、我が家でちょっとした事件が起きたものだから。 さて、うちの夫と

1年生日記(8日目)

4月17日 小学校ではひらがなを、あいうえおの『あ』から習う。 わたしもかつて小学生だったうんと昔そうだったので、特に新鮮な驚きというものはそこにはないのだけれど、よくよく考えてみると一体何なのだろうかあの『あいうえお』って。 朝、ウッチャンと一緒に登校して1時間目のおわりか、2時間目の途中頃まで廊下でそっと立って(椅子も用意していただけたけど、座るとウッチャンが視界に入らない)ウッチャンの口唇の色、手指の血色、それから次第に姿勢が傾いて机に突っ伏したりしていないかを見

1年生日記(2日目)

桜散らす大雨の朝。 雨が降って初めて気がついた、わたしときたら雨の日の車椅子移動の際の雨具というか、装備は一体なにが最適解なのか、ぜんぜん考えていなかった。 そもそも車椅子という乗り物は悪路や悪天候で使用されることを想定していない(ですよね?)。ウッチャンの電動車椅子はバッテリーとフレームがYAMAHAで、座面は別会社のセミオーダー品。長時間座っていても疲れないように、そして夏場に蒸れないように、身体のカーブに沿った形に作られたメッシュ素材で中身が多分ウレタンスポンジのシ

1年生日記(1日目)

4月8日 朝、電動車椅子に乗ったウッチャンと、集団登校の集合場所に行き、その日初めてお顔を合わせた登校班の班長さんとご挨拶。利発そうな眼鏡の彼女は、ぺこんと頭を下げたわたしとウッチャンの姿を見て 「えっ?」 という顔をしたものの、わたしが「こういう事情のある子なので朝は親が付き添うし、電動車椅子はそれほどスピードが出る設定にしていなくて段差を迂回することも必要で、隊列には遅れがちなのでどうぞ他の子たちを連れて先に行ってね」と伝えると少しだけホッとした顔をしていた、ごめん

1年生に、なれるかな(9)

3月を舐めていた。 今年の3月という季節が巡って来るまでわたしは 「世界で一番なことは子の手術入院」 と思っていたし、実際にあの長い病棟での攻防は、手術を受ける本人も、それに付き添う親も、家でただ待つことになるきょうだいも、そしてその子達のために実家から呼び出される老親も、皆不便があり苦労があり、あれこそが精神的にも体力的にも金銭的にも、とにかく全方向すべてを削り取られる人生で一番辛い行事であるよと思っていた。 だから「中学卒業と小学校卒業と幼稚園卒園、間に高校受験

一週間休んだら、二週間倒れた人間の話

こう、なんか、しんどいなーとか、さぼったろかなーとか、ダラダラしたくなって「そこんとこ、あともう一押し!ちょうだい!」ってときに、いつもこっそり、読んでるものがあり。 そこに突如として己が出現したときの、おどろきったら!恐れ入るような喜ばしいような恥ずかしいような! や、休んでよかった〜〜〜〜! 尊敬するしいたけ占いのしいたけ.さんが、休みについて本気で考えてらしたので、わたしも本気で休みについて振り返ろうかと思います。 えっとですね。 一週間休んで、二週間しんどく

物書きになる人生と、物書きにならない人生

20代前半の頃、僕は「物書きになりそうな奴ら」と遊んでいた。全員いけすかない奴らだった。全員が変な服を着ていた。そして全員が見た目ほど変な奴じゃなかった。温かい、優しさとかのある奴ら。ただ変な服を着ていて、とっつきにくいだけの奴ら。ケレン味とハッタリとしゃらくささで生きてる奴ら。僕は彼らが大好きだった。 どいつもこいつもブログをやっていた。みんな気ままな日記や随筆、映画や文学の評論、詩や戯曲や小説などを書いていた。ご多分に漏れず、僕もブログをやっていた。僕は自分の書く文章が

ぼくたちはなんだかすべて忘れてしまうね

カレンダーを見たら、幼稚園の新学期を1日間違えていた。 去年の12月に買ったRollbahnの手帳にも、家族5人分の予定が別個に記入できるカレンダーにも、ちゃんと1月10日の欄に『6歳新学期』と書いてあるのにも関わらず、一体どういうことなの、大丈夫なのか自分。 今日の昼過ぎ、大学病院に6歳のさまざまに問題だらけの心臓の定期健診に行き、そこで2時間半もレントゲン撮影を待って(どうやら6台だか5台あるうちのひとつが故障していたらしい)、ここ最近は半分ほど世間話になっている診察

「違うよ涙腺、そうじゃない」 犬派の私を揺るがす奈良市役所LINE、その後を聞いてくれ

最後まで報告したいなと思ったので、noteに残します。嬉しいことが次々に起きたので、そのいきおいで書いています。 まずはこの、一見なんでもない写真を見てください。 実はヤバいものが写り込んでる、とかじゃなくて。私にとっては、だいぶと涙腺を潤してくる写真でして。 話は、数日前に遡ります。 9月25日。こんな投稿をした。 埋め込みだと、文章が途中で切れると思うので転載(誤字は修正済)。 画像も貼る。 左上から、画像1、2。下いって3、4。 たくさんの反応があり、それ