環境問題の認識に新しい視点を与えてくれた『人新世の「資本論」』

中央公論新社が主催する「新書大賞2021」の大賞となった本。
本屋さんでも平積みにされていて、とても気になったので読んでみました。350ページほどあるのですが、構成も分かりやすく、主張とそれを支える論理も理解しやすかったです。明確なポジションをとるために、他の主張と比較がなされている点も良かったです。

資本主義・気候危機について、関心を向けるきっかけを与えてくれた一冊でした。私の世界の見方に影響を与えたことは間違いなさそうです。

以下、引用とコメント。

人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(ひとしんせい)」(Anthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆い尽くした年代という意味である。

人新世の読み方は、「じんしんせい」なのか「ひとしんせい」なのか。本書では「ひとしんせい」となっています。
タイトルとなっているだけあって、この本を読むにあたって鍵となるワードです。最初に意味をしっかり抑えておくことが、本書の理解を深めることにつながると感じました。

資本主義がどれだけうまく回っているように見えても、究極的には、地球は有限である。外部化の余地がなくなった結果、採取主義の拡張がもたらす否定的帰結は、ついに先進国へと回帰するようになる。
ここには、資本の力では克服できない限界が存在する。資本は無限の価値増殖を目指すが、地球は有限である。外部を使い尽くすと、今までのやり方はうまくいかなくなる。危機が始まるのだ。これが「人新世」の危機の本質である。

資本主義は外部化の上に成り立っていた。今の時代になって、いよいよ目を背けることができなくなってきている真実。

ここにダメ押しのデータがある。IEAによれば、二◯四◯年までに、電気自動車は現在の二◯◯万台から、二億八◯◯◯万台にまで伸びるという。ところが、それで削減される世界の二酸化炭素排出量は、わずか1%と推計されているのだ。

雰囲気でエコだと受け入れないこと。しっかりと自分の頭で考えることが大事だと教えてくれる例だと思いました。

資本主義とは、価値増殖と資本蓄積のために、さらなる市場を絶えず開拓していくシステムである。そして、その過程では、環境への負荷を外部へ転嫁しながら、自然と人間からの収奪を行ってきた。この過程は、マルクスが言うように、「際限のない」運動である。利潤を増やすための経済成長をけっして止めることができないのが、資本主義の本質なのだ。

そのシステムに乗っかっている限り、止めることができない運動。ちょっと恐ろしくもあります。普段は考える機会の少ない「資本主義」について、立ち止まって考えるきっかけになりました。

「自然的物質代謝」は、本来、資本から独立した形で存在しているエコロジカルな過程である。それが、資本の都合に合わせて、どんどん変容させられていく。ところが、最終的には、価値増殖のための資本の無限の運動と自然サイクルが相容れないことが判明する。
その帰結が「人新世」であり、現代の気候危機の根本的な原因もここにある。

資本主義が気候危機を招く理由。止まらない資本主義のシステムは、地球が壊れても走り続けるのかもしれません。

他人を犠牲にして私腹を肥やすような行為が正当化されるとは、にわかには考え難いが、それこそまさに、ローダデールの目前で行われていた行為だったのだ。いや、これこそが資本主義の本質だ。そして、この問題は現在まで続いている。

外部化=誰かを犠牲にしてきたということ。行き場を失った「負」は、ついには自分たちの身にも降り掛かってくるようになりました。これが気候危機の事実なのだと理解しました。

私たちは経済成長からの恩恵を求めて、一生懸命に働きすぎた。一生懸命に働くのは、資本にとって非常に都合がいい。だが、希少性を本質にする資本主義の枠内で、豊かになることを目指しても、全員が豊かになることは不可能である。

私たちは、資本という存在に働かされていたのでしょうか?いつからかシステムに操られていたかのように思わされる一節です。

繰り返しになるが、『資本論』によれば、自然と人間の物質代謝に走った亀裂を修復する唯一の方法は、自然の環境に合わせた生産が可能になるよう、労働を抜本的に変革していくことであった。人間と自然は労働を媒介としてつながっている。だからこそ、労働の形を変えることが、環境危機を乗り越えるためには、決定的に重要なのである。

労働と生産の変革。

つまり、晩年のエコロジー・共同体研究の意義をしっかりと押さえることではじめて、浮かび上がってくる『資本論』に秘められた真の構想があるのだ。そして、その真の構想こそが現代で役立つ武器になるのである。
この構想は、大きく五点にまとめられる。「使用価値経済への転換」「労働時間の短縮」「画一的な分業の廃止」「生産過程の民主化」そして「エッセンシャル・ワークの重視」である。

経済成長が減速する分だけ、持続可能な経済への移行が促進される。
脱成長コミュニズムへの跳躍に向けて、私たちがなすべきこと。

晩年のマルクスが提唱していたのは、生産を「使用価値」重視のものに切り替え、無駄な「価値」の創出につながる生産を減らして、労働時間を短縮することであった。労働者の創造性を奪う分業も減らしていく。それと同時に進めるべきなのが、生産過程の民主化だ。労働者は、生産にまつわる意思決定を民主的に行う。意思決定に時間がかかってもかわまない。また、社会にとって有用で、環境負荷の低いエッセンシャル・ワークの社会評価を高めていくべきである。
その結果は、経済の減速である。たしかに、資本主義のもとでの競争社会に染まっていると、減速などという事態は受け入れにくい発想だろう。
しかし、利潤最大化と経済成長を無限に追い求める資本主義では、地球環境は守れない。人間も自然も、どちらも資本主義は収奪の対象にしてしまう。そのうえ、人工的希少性によって、資本主義は多くの人々を困窮させるだけである。
それよりも、減速した経済社会をもたらす脱成長コミュニズムの方が、人間の欲求を満たしながら、環境問題に配慮する余地を拡大することができる。生産の民主化と減速によって、人間と自然の物質代謝の「亀裂」を修復していくのだ。

本書の大事な部分。自分にはなかった視点、本書を読まなければ到達することはなかった視点=自分にとっての「新しさ」という点で、学びが大きかったです。

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