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サッカーパラドックス

足が先か頭が先か


イングランドサッカー、カラバオ杯準々決勝。
サウサンプトン対マンチェスターシティの試合は、現時点(1/12木曜日)でプレミアリーグ最下位のサウサンプトンが2-0で勝利。ジャイアントキリング成功となった。

前回の試合でシティはチェルシー相手に4-0という結果だった。
今回は強いチームゆえの難しさ、格下相手のメンタルマネージメントの難しさが分かりやすく露呈していた。
内容は全体的に悪くない出来だったが、プレーに細かいずれが生じていた。
最終ラインやサイドでのパス回しミスから、サウサンプトンの積極的な守備に後手を踏んでしまう形が多かったのは残念だった。

これまでのシティのサッカーを見ていると、レベルの高さにもはや笑うしかないが、サッカーをやっている人から見ても、憧れるプレイスタイルの一つだ。

パスの受け手と出し手のタイミングがあれほど絶妙だと、相手がスローモーションに感じるのではないか。
そう思わせられるほど、プレスとボール運びがはまっているサッカーを披露している。

監督にとっても、最高に気持ちいいに違いない。
なにせゲームでプレイしているかのように、選手が思ったとおりに動くのだから。
とはいえ、選手は「自分自身」が大好きだ。
彼らにとって主役は監督ではない。

この試合を見ている中で、日本代表のことが頭に浮かんできた。
それは、シティのGKを見ていた時だった。
 

緊張感ましまし


Gkの質と価値が上がり続けている

前半16分、シティがボールを保持していた場面(画像参照)でのことだった。
ディフェンスラインがセンターサークル付近でボールを回していたところ、パスカットされてしまう。
このパスカットされたこぼれ球を拾ったのがシティのGKなのだが、この時の彼のポジションに唸った。
これはもはやディフェンダーといえるポジションで、もしパスカットされたボールがそのまま相手チームにわたっていたら、即失点が目に見えている。
何気なく見ていたのだが、これが実践でできるなら攻撃の形をかなりアグレッシブにすることができる。
一方で、ここまでやらないと相手を圧倒できないのかと思うと、プレミアリーグは恐ろしいところだ。
こういった攻撃的なサッカーは、グアルディオラ監督がバイエルンにいたころから続いている。

サッカーにリスクはない



このようなサッカーが日本代表にできるだろうか。他の国ではどうか。
できないし、やらないだろう。
マンチェスターシティのようなサッカーを展開する代表チームは世界中見渡してもいない。
カタールワールド杯で決勝に進んだアルゼンチンとフランスも、世界トップレベルのクラブチームとは違うサッカーを展開している。
しかし、一方でチームカラーは確立されている。
「プレイスタイル=その国」だと連想できるものがあった。

チームの構築には時間がかかる。クラブチームでさえ3年は必要と言われるのだから、代表チームで戦術を煮詰めるのは至難のわざなのだ。

つまり代表のサッカーには時代のトレンド追求とは別の、軸になる「哲学」を植え付けることが先に必要なのだ。

日本代表はこの理想と現実のギャップが埋められていない。

カタールワールド杯で個人的に好きなサッカーはクロアチアとエクアドルだったが、では日本のサッカーが好きかと問われてイエスと言えるだろうか。
日本の戦いは素晴らしかったとさまざまな所で賞賛された。でも好きかというと、どうも違う。「良かった」という域を出ない。

私はいろんな国をつまみ食いした「良いとこ取りサッカー」が日本だと思っている。
日本サッカーは「ヤタガラス」というより「ぬえ」がふさわしい。正体がはっきりしないさまをした妖怪なのだ。


 

勝ち負けで満足できない時代


カタールワールド杯で日本はドイツとスペインに勝った。
しかしあの試合のサッカーは、後出しジャンケンのような奇策だ。
再現性が低い。


ワールド杯までの4年間で見せたことないようなサッカーを、突然本番で出されて戸惑うのは、見ている我々だけか。
これが「積み重ねた結果」といえるだろうか。
もしくはここから積み重ねていければいい、ということなのだろうか。

試合自体は面白く、興奮を誘うものだったが、素直に祝えない事実がある。
日本のサッカー界はワールド杯のために4年間でいかほどのお金を費やしたのだろう。

選手達は各クラブでしのぎを削りながら理想を追求し続けている。
その結果、実績・実力ともに成長を見せている。
しかし日本代表という組織はどうなのだろうか。
理想をなんとなく追い求めた結果、理想とは違う形で結果を出した日本代表は、次のワールド杯までこれまでの継続路線を踏襲するという。
 
好調な三笘選手や鎌田選手を軸に据えるのは良いとして、では日本のサッカーは何かというと、決まっていない。大体がシステムやインテンシティの話になる。
そして大会直前に方向転換する。
これは日本代表がW杯で何度も繰り返してきた失敗例ではないのか。
世界中の選手と国民が、クラブと代表とのギャップに向き合わなければならない。



ここはあえて、「個」に特化した応援スタイルをお勧めしたい。
出すべきクオリティの選手が出場しなければ、ブーイングすればいい。それを繰り返せばとりあえず一つの積み重ねは継続できる。
 
日本は、出し惜しみするようなチームに位置しているとは思わない。
W杯のルールも変わり、日本はアジアのトップではない。
時代は結果だけでなく、そこに至る物語をも欲するようになってきている。
メッシを試合から外していればアルゼンチンの監督はとんでもない目に遭っていただろう。
選手たちに課せられるものがまた一つ増えた気がする。
 
余談だが、ここ数年、左利きの選手の活躍が目覚ましい。
これもなにかの時代なのだろうか。新しい物語がすでに始まっている。

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