見出し画像

年頭初感

この駄文がWebに晒されているということは自分は無事に2024年を迎えているんだろうと思う。


90年代は2024年は未来だった。「将来の夢」の「将来」の範疇だった。当時のある日、テレビに映った故・志村けんさんのテロップが「志村けん(40)」となっているのみて、『えー志村けんって40のおっさんなんだー!』と記憶した記憶がある。そして『◯◯君の家にインターネットっていうすげえ装置があるぜ!』と騒いだ過ぎ去りし日も記憶にある。今はもう志村けんさんには先立たれ、◯◯君の家だけにあったインターネットは一家に一台を超え一人●台の域に達している。

けど、なかなか変わってないところもある。

車はまだ空を飛んでいないし、タイムマシンも完成していないし、魔法文明の復刻・復元にも至ってない。俺といえば、悲願のサイボーグにはなれていないし、その前に生命倫理やら法整備やらまだまだ産業革命が必要なんだと思う。老いたり肥えたり病んだり安らいだりを繰り返すこの日々は、生命や本能の惰性なんだろうか、はたまた自他いずれかの意志により観測・定義(決定)されているのだろうか。

考えることは好きな方なんだろうけど、考えすぎたり興味がなかったりすると疲れてしまう。
ただ、好きな人と好きな時に好きな場所で過ごしたいという本心だけは血や骨の髄に通っているのを感じる。そんな日々は贅沢なのか当然の権利なのかのジャッジさえも誰もできない。

いま、目の前の画面で90年代から2024年もバリバリ活躍するミュージシャンが「Tomorrow never knows」と歌っていた。俺も、心のまま誰も知ることのない明日に向かって歌いたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?