見出し画像

朝礼で「う◯こ」って言える日が来てこれって革命

「えー、連絡事項ですが、明日からの連休、ポイントアップがあります。まぁいつも通りなんで今更ですが……雑誌と書籍が2倍、文房具は5倍──」

あぁ、外はあんなに晴れているのに。店長の後ろ、自動ドアの向こうに見える四角い外界に目をやる。
もうすぐ桜が咲くな。
お花見したいなあ。
したことないけど。
人混み嫌いだしな。
でもなんか、春だねぇ。
最近眠くてしょうがないのも、朝礼の連絡事項がその大小に関わらず右から左に流れていくのも、全部全部、春のせいだねぇ。

「それから、レジで渡してもらう特典物がまたまた増えまして、コミックをお買い上げのお客様にしおりを──」

朝礼の冒頭、たった数分前、店長は「今月の全体目標は〝笑顔〟です」と言った気がしたけれど、そう言った本人の目は死んでいる。疲れてるんだろうな。店長っていくつだろう……40、いってるのか? 知らんけど、どうでもいいけど。

「あと最後に……注意事項というか……。えー、先日ですね、お客様の方からご意見というか、ミニクレームというか、ありまして」

朝礼に参加する10人弱、そのあっちこっちに向いていた視線が、「クレーム」の一言によりパッと店長に集まった、のが気配でわかる。現に私も、もう寝てやろうかなと思っていたのにちょっと目が覚めた。

「勤務中に飴を舐めているスタッフがいた、という……まぁ、その、ご指摘? みたいなのがありましたので、えーと、まぁあんまりそういうこともないかとは思いますけど、皆さんご注意くださいということで、飴は舐めないで頂きたいということで」

内容のしょうもなさに、皆の注目がさっと引いた、のも気配でわかった。だけど私だけは完全に目が覚めた。隣の隣の隣に立つ野々口さんに、こっそり視線を送る。ちらりと見えた野々口さんは、だけどまっすぐ前を向いたまま、山みたいにじっとしていた。

「それでは今日も一日、元気に明るく頑張りましょう」

店長の棒読みに対し、「よろしくお願いします」皆で声を合わせて一礼。

***

「ちょっと、野々口さん!」

朝礼後、散り散りになってそれぞれの持ち場へと消えていくスタッフの中から、まだ明りの点いていない店の暗部へと吸い込まれていく野々口さんを捕まえた。

「……何?」

振り返った野々口さんの目はアンドロイドみたい。最近気づいたけれど、朝礼後が特にアンドロイド。無の極致、みたいな。これから開店なのにすごいな。

「さっきの話、私たちのことですよ、絶対に!」

「…………え?」

「『え?』 じゃなくて。朝礼の、店長の、クレームあったって話。飴舐めてたヤツがいるって」

「あー……」

「もしかして……一文字たりとも聞いてなかった?」

長い沈黙ではない、何も答えないつもりだ。黙ったままの野々口さんにそう確信して、
「寝てました?」
そう聞くと、ごくごくわずかに顎が動いた。頷こうとしてやめた、といった感じだ。図星かよ。

「店長の真正面にいたのにすごいですね」

「寝てはないわよ。意識がなかっただけ」

「どこいってたんですか、意識」

「外よ、店の外。春だなーって」

「ああ……それは、わかりますけど」

「ねえ、『春眠暁を覚えず』とか『春はあけぼの』って、めちゃくちゃいいわよね? 春だなーって感じ」

「確かに……春っぽいですね」

「ね。なんかほよよ~んとしてて。あったかいんだなぁって。春って昔からそういう季節なのね」

この会話自体が春って感じだ。

「あ、でも、店長が『ミニクレープ』って言ったのは聞いてたわ」

「ミニ……クレープ?」

「そう。いきなり甘い物の話を始めてどうしたのかしらって。それで意識を泣く泣くこちらに戻したんだけど、全然クレープの話しないから、なんだどうでもいい話じゃないってまた外に」

いや、わかるけど。〝クレーム〟と〝クレープ〟ならイントネーションが違って聞き間違えないのに、店長が謎に「ミニ」と付けたから。頭ん中が春でいっぱいになってたらそりゃあ、スイーツの方に変換されるわな。わかるよ、野々口さん、わかるけどさあ。

「春ですねぇ、なんか。ぜーんぶひっくるめて」

「そうよね、春よね」

パッと頭上の明かりが点き、有線放送がオンになる。開店1分前を知らせる合図だ。歩き出す野々口さんに、私もなんとなくついていく。
正面出入口とは反対にある西側の出入口にやって来ると、野々口さんはすぐそばの掃除用具庫から箒を取り出し、慣れた手つきで自動ドアのスイッチを入れた。

ドアの上部にあるそのスイッチは、何か長い棒状のもので点けるしかなく、他のスタッフはフロアモップを使ったりする。理由は単純に、フロアモップは買ったばかりで見た目がキレイだから。だけど野々口さんは箒派。何年使ってるんだ、もうとっくに箒としての寿命を終えてるんだから許してやれよ、と言いたくなるくらいの、ボロボロの箒。

「その箒……やりにくくないですか?」

「ううん。一番やりやすいわよ」

野々口さんは自信満々に言った。

「柄の先がほら、削れて尖ってるでしょ。だからピンポイントでスイッチが押せるの」

確かに、箒の柄とは思えないほど先端が鋭く尖っている。単純に危ない。捨てろよ、そんなことなってる掃除用具。

「ねえ、店長のクレープを聞いてて思ったんだけど」

自動ドアを開けて、売り場へと戻る野々口さんの後ろを、私は飼い犬みたいについていく。

「『急に何?』って思われることでも、言った本人の中では筋が通っている、ってことがあるでしょ?」

「……急になんですか?」

「小学生の頃にね、話の長い友達がいたの。機関銃のようにしゃべるのよ。あまりにも長いから、いつしかその子が話している間は頭の中でCMごっこをやるようになったの。CMごっこっていうのはまぁ……頭の中でCMのナレーションをすらすらと読み上げる、途中で躓いたら失格っていう遊びなんだけど。ペットの餌のCMを頭の中で演じているときにいきなり友達が『どう思う?』って。初めてよ。機関銃が質問してくるなんてこと。
それで動揺して、『いいと思う』と言おうとして『ペディグリーチャム』って言っちゃって。どんな同意の言葉よ。ごまかしようがないわよ。おかしな空気をどうにかしよとして、『ペディグリーチャムのチャムってなんだと思う? そんなこと言ったらペディグリーも何?』って、必要以上に深刻な顔で言ってさらにおかしな空気を作ったことがあったわ。隣で遊んでたクラスメイトが、『猫まっしぐらを英語で言ったらペディグリーチャムだよ』ってフォローしてくれて……思えば彼は優しい子だった」

フォローなんだろうか。阿呆なだけな気もするけれど。でも、野々口さんが優しい子だって思ったってことを絶対に否定したくなくて、黙っておいた。
というか、え? なんの話?

「ねぇ、私なんの話してたのかしら?」

「……人間なんてみんな狂ってるって話ですかね」

「あら、そんな話してた?」

「強いて言うなら」

「狂ってると言えば、祖父の葬式で、祖母の兄のおじいさんが、お焼香の順番が来た瞬間いきなり立ち上がって『朝鮮人参!』って叫んだこともあったわ。」

「健康食品のCMの夢を見ていたんですかね」

「火葬場へ行くバスに乗り込むとき、そのおじいさんの後ろ姿を見たんだけど。『PRADA』って書いたシャカシャカジャンパーを着てて、それもすごかった」

すれ違うお客さんに、「いらっしゃいませ」と小さく挨拶する野々口さんの横顔をちらりと見る。どうしてそんな普通の店員の顔をしてられるんだろう。

「あと……昔いた店長でね、〝文庫〟って言おうとして……ごめんなさいね汚いけど、〝うんこ〟って言った人がいたの。今よりもずっと店が忙しくて、スタッフも多い時代にね、朝礼で、大勢のスタッフの前で」

「それは辛いですね」

「絶対に出てこない言葉でしょう、本屋の朝礼では。〝文庫〟の発音での〝うんこ〟だから、文庫と言い間違えたんだって全員が気づいたはずだけど、関西弁だったら成立するわ、ってしなくていい納得をしたり、店長もしかしてお腹の調子が悪いのかしら、とか色々考えちゃって」

「それで、どうなったんですか?」

「特に何も起きず。現実なんてそんなものよ」

「へー」

「その後、その店長、会社のお金を勝手に使ってたことがバレてクビになったんだけどね」

「急にスキャンダラスですね。そっちのほうが詳しく聞きたいです」

この店にかつてそんな店長が在籍していたなんて、なんだか信じられない。野々口さんの顔をのぞきこんで続きを促すけれど、お客さんに声をかけられた野々口さんは私を置いて行ってしまった。
それにしても今のお客さん、「アロワナの飼い方の本ありますか」って言った気がするけど……気のせいかな。

山のように積まれたクロスワード雑誌の新刊を棚にぎゅうぎゅうと押し込んでみる。パートの田淵さんがやって来て、「もうすぐ棚が破裂するんじゃない? パズルの本が多すぎて」と言い残して去っていく。
クロスワードの本ばかり買っていく老人はたくさんいるので、需要に供給を合わせようとするとこれくらいのペースで新刊を出さなければいけないのはわかる。でも田淵さんの言う通り、本屋の棚は勝手に増えてはくれないので、このままいくと本当に破裂しそう。
散らばったパズル雑誌に群がる老人たちの姿を想像してなんとも言えない気持ちになっていると、視界の端に野々口さんの姿を捉えた。

「パズルの棚がヤバいです」

どこへ行こうとしていたのかわからない背中に声をかけると、野々口さんはくるりと方向転換し、パズル雑誌の新刊を出し始めた。もうどこにも入る余地がないと思っていた新刊たちが、するすると棚に収まっていく。その隣で私も黙々と手を動かす。

「……『うんこドリル』ってあるじゃない?」

野々口さんが沈黙を破る、うんこドリルで。

「はい……え?」

「あれが売れに売れて、毎日毎日、朝礼でね、『うんこドリル、昨日売り切れました!』とか『本日、うんこドリル入荷あります!』とか、『うんこドリルフェアをやります!』とか。当たり前みたいに、朝礼で『うんこ』という単語が飛び交うようになったのよ。革命だって思ったわよね。ヘルプ野々口入りま~す」

インカムの呼び出しに返事してレジへと吸い込まれていく背中を眺める。野々口さんの向こうに見える自動ドアに春が映っている。なんだか今の会話全部、蜃気楼かよってくらいぼやぼやしてたな。朝から一体何の話を、私たちは……。

「すみません」

「あっ、はい!」

振り返ると子ども連れの女性が立っていた。

「いらっしゃいませ!」

「あの、うんこドリルってどこにありますか?」

「うっ……んこドリルですね、ご案内いたします」

確かに革命だよなぁ。
うんこドリルまでの長い道を歩きながら、野々口さんの言葉が、丸ごとすんなり腑に落ちた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?