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幸せは"どこに"あるのか?

 2009年に撮影・放映された加藤周一のドキュメンタリー、『加藤 幽霊と語る』の中において、戦死した彼の親友である中西は、今では幽霊となり加藤と言葉を交わすのだと、加藤自身が述べている。『私は死を目前にして、友人たちや家族の幸せや無事を祈った、戦争には反対する―』中西は変わらない立場から言葉でない言葉を加藤にずっと語りかけている。さらに広島での体験も手伝い、加藤は未来を約束された道から外れ、比較文学の世界へと進み、日本を医学からではなくその精神から治療することを試みた。彼の素晴らしい著作の数々、鋭い視点にはそういった背景が深く関係している。しかし、ある視点では彼は、自分で選んだ血液学の道をそのまま続ける道もあったはずである。また現代社会では、個人が非常に尊重されているように見えるが、公然の秘密としてそれはむしろ非個人化、空気を読むことに長けた人間がそうではない人間を排除する社会だ。人間は数タイプの中から『自分』のコードを選び、それを実装して生きている。また非常に細分化された組織は曖昧模糊で、問題が起きた場合、まるでガンの様に原因は組織から摘出されてしまう。個人で選択することや、個人で責任を取ることというのはマイナスなものとして、好まれない。日本には「長いものには巻かれろ」ということわざがあるが、意味は「強い権力を持つ者や、強大な勢力を持つ者には、敵対せず傘下に入って従っておいたほうがよい、といった処世術を表す言い回し」というものである。長いものに巻かれなかった加藤は、自分自身で中西の声を聞き続け、彼の声を伝えることが彼の人生の大きな目標となった。自分自身のために生きるのではなく、幽霊たちと対話し、彼の作品の中でその言葉を書き留め私たちの中に幽霊たちを出現させ、声を聞かせるといったことのために生きた。加藤はそれを生き残ったものの義務だとさえ考えていた。ふと加藤の言葉を聞きながら、それとは関係なしに彼は『幸せ』だったのだろうか、という疑問が頭をよぎった。彼をきっかけに現代の私たちの周りの幸せというものについて少し考えてみようと思う。1つは加藤周一の人生と彼の思想を、もう1つとして世界で最も美しい本と呼ばれているアランの幸福論の2つを比較して、幸せについて考え、その後に自分の幸せについて述べようと思う。その中で加藤やアランの背景にある大きなイデオロギーである戦争についても考えたい。戦争を体験した彼らと、体験したことのない私/私たちについて。まず加藤周一の功績と彼の背景を見ることから始める。

 加藤周一は思想家、哲学者であり、様々な論評により有名である。生涯を通じて憲法9条の問題に関わり、彼の死の間際までその活動は続いた。彼の比較文学の視点の根底には変わらないものを比較するというルールがある。彼にとっての変わらないものは幽霊の言葉、つまりは中西の死であった。ドキュメンタリーの中で、生きている人間は歳をとる毎にその意見が変化すると述べており、語らないことも1つの意思表示だと続く。幽霊たちの声を聞き、絶えず変化する世界において、定点から世界を観測し、処方する術を探求した。そして憲法9条の改正というのは、中西たちの声とは大きく外れるものであった。そのため加藤は9条の保護についての言説を各地で精力的に行い続けたのであった。それは日本社会に対しての彼の最後の処方となった。また彼の有名な概念として、『今/ここ』というものがある。農耕民族である日本では特に円環的に時間の概念が捉えられており、対して西洋などの狩猟民族は方向を持った線的、つまりはベクトルとして時間の概念が捉えられている。しかし、加藤が説いたのはいずれとも違う視点であった。彼は時間は点であると捉えた。方向や、形などを描くものではない、今/ここしかないものなのだ、という考えであった。非常に革新的なこの時間と空間の捉え方は加藤を代表するものとなった。文学界で成功を納めた彼は元は東京大学の血液学を専攻する医学生であり、彼の父親も医者であった。将来は父親を納得させるために医学の道へと進むことに決めていた矢先、第一次世界大戦があった。広島、続いて長崎に原子爆弾が落とされ、日本は焼け野原となった。加藤はアメリカ軍の要請により、ともに広島へと研究の補助として調査に行く。そこで見た風景、またその二ヶ月前に流れた玉音放送に何の反応も示さない周囲の人間を見て、彼は医者として一人一人を診察することよりも、社会自体の構造/歴史について考えた方が良い、と人文学の道へと進む決心をしたのであった。これが加藤の人生を大きく変える決断となった。その中でも戦争から考える比較文学の論評として、大岡昇平の野火に対しての論評がある。野火の物語は兵士田村という男が主人公であり、戦時中の極限状態である彼の心情について繊細に表現されたものである。死を目前にし、彼は今まで見向きもしなかった些細なことや、日常の出来事の中に幸せを見つけ、新しい意識が芽生え世界が変化していく。これは戦争文学ではなく人間の極限状態を描い物語であると、続く。極限状態になり、視点の転換が行われれば日常の中からでも幸せを見つけることができるのである。

 幸福についての本で最も有名であろうアランの幸福論は、日本でも広く知られており、様々な出版社から翻訳が出ている。アランことエミール=オーギュスト・シャルティエは、フランスのノルマンディー地方出身であり、哲学者として有名である。彼の著書、幸福論は1925年に刊行された。プロポと呼ばれる短い寓話のようなものから構成されている。最初のプロポが新聞に掲載されたのは1914年、世界は第一次世界大戦やロシア革命、ファシストの台頭など、激動の始まりであった。人々は不安に怯えながら毎日を暮らしていた。ある人は国のためだといい、またある人はその行動に疑問すら持たずに、大きな渦へと飲み込まれていく、そういった時代であった。そういった時代の中でアランは高校の哲学教師であり、生涯にわたりそうであった。また自ら志願して第一次世界大戦に従軍するなどして、戦争を憎みながらも積極的に人間の偉大さをその中から見つけようとしたのである。しかし、この本には直接的に、こうすればあなたは幸せになる、とか、これが不幸せの原因である、幸せはあそこにあります、といった内容のことは語られず、暗喩的に馬や赤ん坊の話が書かれている。
ならば、幸せというものはどこに存在しているのか?
結論から述べるなら幸せはどこにもない。また目的にすべきものではない、とアランは述べている。
「幸せはすでに存在していて、幸福という山によじ登り摑み取れ」
「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」
幸福論の中でのこういった言葉からもわかるように、自分の能動的な態度や、努力して楽観主義でいることがまずは自分の幸せを叶えることであり、そういった人間が増えると社会全体が幸せになるのだと説いた。彼が世間から非常に高い評価を受けながらも、生涯高校の哲学教師であり続けたのは、教育から第一次世界大戦の影響から人々や社会を救おうと考えたからであった。そういった意味で、加藤やアランは個人個人にだけではなく、もっと大きな社会に対する医者や教師であり続けた。

 彼らが鋭い視点を得る大きなきっかけは戦争であった。戦争は自分の力ではどうにもできないほど大きな抑圧する力であり、また戦争に巻き込まれた自分自身や周りの人々の境遇などは、自分一人の力ではどうすることもできなかったものであったに違いない。加藤周一の今/ここという時間認識感覚の概念や、アランの幸福への思想、大岡昇平の描いた村田の心情といったものは、その中から生まれた。三者三様ともに残された人々や帰ってきた人々がやるせない過去に縛られず、死者を想い生者が強く幸せに生きるための視点の変換を伝えようとしたのではないかと想像できる。そして当時の社会がいかに疲弊していたのかも、同様に想像できる。個人が自分の意思で活動すること、自由に生きることすら社会や時代に抑圧されており、またそうやって制限することで人々の思想までをも統一しようとした。領土などの形のあるものならまだしも、思想だけは自分たちの持ち物であり、形に落とし込むことのできない最も崇高なものなのである。私たちの良心の自由だけは誰にも制限できるものではない。
 戦争からもうすぐ80年経とうとしている。当時とは比べ物にならないほど豊かになり、人々は民主主義の絶対条件である移動の自由も担保されており、どこへ行っても構わないし、ましてや誰かの許可を取る必要など全くない。社会主義などを経て、現代社会は、資本が最も力を持つ資本主義の時代が長く続いている。何でも資本の対象になりうる。その中で今は『幸せ』までもが資本主義に飲み込まれており、幸せを掲げた商品や、「これをすれば幸せになれる」、「あなたは今幸せですか?」などといった文句が掲げられる。あたかも幸せがどこかにあって、皆がそれを探し求めるーまたは探し求めなければならないーことに、誰一人疑問を持たない。最も豊かで自由である時代のはずなのに、何かに追われ、窮屈に感じている。なぜだろうか?資本主義というシステムの中で、消費を加速させるコピー/広告が私たちの周りに蔓延しているからではないだろうか。いうなれば目の前に人参を垂らされた馬のように、私たちは人参を自分たち自身の思考だと信じ、遠ざかる人参を追いかける。本当は違うことがしたいのかもしれない、眠りたい、人参ではないものが食べたい…しかし垂らされた人参が進む限り私たちもともに進む。そこに疲弊しているのだろう、私たち現代人は。アランや加藤たち幽霊が語るのは、それはまやかしの幸せだということである。なぜなら、幸せはすでにそこに存在しているのである。どこかにあるなどという考えこそがまやかしである。さらにアランは幸福論の中でこう述べている。『幸せは義務であり、楽観主義でいることは努力である』つまり、幸せはすでにそこに存在しているだけではなく、それを得るためには能動的でなければならない。彼らの時代は戦争というものが大きく人生に降りかかった。彼らはそれに対抗するために、自身の思想を自由に生かすことで強く幸せを得ていった。では戦争といった大きなものが背景にない私たちはどうすればいいのだろう?私は現代は巧妙な抑圧ではないかと感じる。私たちは自由が担保されているように感じているが、非常に大きな檻の中にいるだけなのではないだろうか?私たちを無思考にし、得をする人間がいるはずだ、なぜなら資本主義なのだから。若者が選挙にいかないのも、流行を追いかけて何かから目がそらされるのも、共感というものに資本が支払われるのも、すべて巧妙な抑圧ではないか。私たちにはこういった抑圧が背景にあるにも関わらず、大抵の人間には気づかれていないのではないだろうか。日本の特に若者にどことなく漂う無気力感や、根拠のないー空回りといっても良いだろうー能天気さは、巧妙な抑圧の象徴なのではないだろうか。
 私たちが本当に幸せになりたいのなら、まず幸せはどこにもないと知ることである。なぜならすでにあるものだから。まやかしを見つめるのではなく、自分自身で考えること。自分で能動的に選び取っていくこと。そしてそれを続けることが、幸せへの道である。


探し求めることはない、幸せはすでに"ここに"あるのだ。

参考文献:『幸福論』著:アラン/訳:白井健三郎/集英社出版
『しかし それだけではない。加藤 幽霊と語る』監督:鎌倉英也/プロデューサー:桜井均/配給:スタジオジブリ/2009年
『日本文化における時間と空間』著:加藤周一/岩波書店
『羊の歌』著:加藤周一/岩波新書
『加藤周一における理性と精神性 死の意識から人間主義的思想へ』著:ジュリーブロック
『加藤周一 歴史としての20世紀を語る(4)』NHKオンデマンド/2000年
『100分de名著 名著07アラン 幸福論』NHKオンデマンド/2011年


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