見出し画像

推しとビデオ通話して「あ、はい」しか言えなかった話

私には推しがいる。

なんか恥ずかしいから誰かは伏せるし、
表題の事件からだいぶ時が経ったのでここに書いておこうと思う。
以前推しがグッズを販売した際、5〜6種類から特典を選べた。

その特典の中にはグッズお渡し会や
生放送イベントの観覧権等があった。

その他に、1on1でお話ができる!
みたいな特典があり、消去法的にそれを選ぶしかなかった。

というのも、まず生放送イベントは遠方なので赴くのは難しいし、何より私はウルトラスーパーグレイテストアルティメットブリリアントスパーキングサンシャインハイパー推しに認知されたくないタイプのオタクなので、リアルに面会するのは以っての外。

各特典には先着の限りがあり、せっかく受け取った特典を利用しないぐらいなら他の誰かにその席を譲った方がよっぽどいい。
というかそうしなければ他の同士に失礼である。

なのでビデオ通話の特典を選ばざるを得なかった。
グッズを購入した数日後、購入時に入力したアドレスに一通のメールが届く。そこにはビデオ通話用のURLが記載されていた。
この日のこの時間に入室してください、と。

良くない事だと思いながら、私は最初から特典を利用する気はなかった。
”その日”が近づくにつれても、私は頑として考えは変えなかった。
前述の通り、自分みたいな者が推しの目に触れてはいけないと考えているからだ。

好きだからこそ慎ましく、謙虚な気持ちで応援しなければならない。
物理的な意味も含めて、推しとお近づきになろうだなんてそんな烏滸がましい考えなんて持ってはならない。

それを信条にして今までオタクとして生きていた。
そしてそれはこれからも変わらない。
これが私のオタクアイデンティティなのである。

…そう思っていた。
会社の後輩に背中を押されるまでは。

会社の後輩は私とは違うタイプのオタクで、
寧ろガンガン推しと接したいと考える人だ。
”その日”の二日前、華の金曜日。
ふと休憩時間にこの件を後輩に話した。

「え! もったいない! 絶対参加した方がいいですよ!」

絶対こう返ってくるだろうなとは思いつつ、
実際にこの言葉が出てきたのでゲンナリとした表情で
「いや、でも推しの目を汚したくないし…」
「推しが嫌に思う訳ないじゃないですか! 皆と会いたいからお渡し会も生放送への招待も行ってる筈ですし、リアルに会えなくてもこうやってビデオ通話の機会すら設けたんだと思いますよ! リアルの人たちに席を譲らなきゃ失礼と思うなら、ビデオ通話をしない事こそ失礼ですよ!」

当たり前である。
そんな事言われなくても分かっている。
当然推しの気持ちを否定したい訳ではない。
ただ、私は私の正義を貫きたいだけなんだ。

彼の熱弁も虚しく、私はあーだこーだと屁理屈をこねて参加しない理由を説明した。
休憩時間も終わりに近づきこの話を切り上げた時、彼はとても残念そうな顔をしていた。
ごめんな、こんな先輩で…。

そして翌日。何も予定がない土曜の昼下がり。
私はずっと考え続けていた。


明日、”その日”を迎える。
昨日、彼は悲しそうな瞳をしていた。
彼の期待に応えたい訳ではない。
推しの顔を見たくない訳ではない。
自分の考えを変えたくはない。
でも、これを機に一旦自分の正義に逆らってみてもいいかもしれない。
経験していない事を否定するなんてそれこそ私の正義に反する。
どうせ自分を裏切るなら。どうせ恥ずかしい思いをするのであれば。
私は、推しと会話して打ち砕けたい。


そして決意をし、動き出す。
まずは床屋へ。

ボサボサの頭を整える。
「眉は整えますか?」「ワックスは付けますか?」
極力会話をしたくなく、さっさと出ていきたいが為に必ず断ってきたこの言葉を初めて受け入れらた気がする。

明日通話するのに今ワックスつける意味ねぇじゃんと気付いたのは店を後にした直後だった。

次に薬局でなんかいい感じの洗顔料と髭剃りを探す。
ついでに塗るコンディショナーとやらも買ってみる。
なるべく肌ツヤ・髪ツヤの状態で臨みたかった。

なんやかんやで日は暮れていく。
夕飯を済ませ、早めに床に就く。
何を話せばいいか分からないので、
考えつく限りの話題をノートに箇条書きにした。
ドキドキして眠れない。
人生で初めて、初デート前の中学生みたいな休日を過ごした。

そして。
”その日”を迎える。

通話ルームへの入室時間は30分間設けられており、その間にURLへアクセスしなければならない。
入室開始時間から随時アクセスしてきた人と通話が始まるようだ。

この期に及んで、私は逡巡した。
及び腰になり、恐怖に震え出した。

たった1クリック、このURLへアクセスするだけなのに。
囚人のジレンマの様な心情だった。

残り1分。残り50秒。残り40秒。
リミットが刻々と迫る。
残り30秒に差し掛かった時、私は観念してURLをクリックした。
折角洗顔とかしたのに素顔を見られるのが急に恥ずかしくなって室内なのにマスクをした。

ビデオ通話ツールが開く。
待機ルームの画面が現れる。
このまま待っていればいずれ画面が切り替わり、
推しが目の前に現れるのだ。

そして2時間程の時が過ぎた。

先着順なので、最後の最後、ギリのギリで入室した私はかなりの時間待たなければならなかったのだ。
いつ画面が切り替わるかも分からないので
ろくにトイレにも行けない。
モニターの前で待っている間にパブサを行う。
メールには一人当たりの通話時間は記載していなかったので、誰か書いていないかと確認したかった。
どうやら持ち時間は30秒らしい。
もう長いのか短いのか分からない。

え、マジで何話せばいいんだ?

人と人が30秒で成立する会話って何?
天気の話?健康の話?朝飯何食ったかだけ報告しとこうか?
敢えて時間の短さをネタにして
30秒だとドーラ船長のあのセリフより短いっすねハハッ
とでも言っておけばいいのか?

分からん。分からんよ私には。
そうこうしている内に、突如画面が切り替わる。

まずはスタッフの方が画面に映り、
持ち時間や通話のルールなど説明してくれた。

「では、お繋ぎしますね」

ご対面である。
嘘みたいだ、推しが目の前にいる。
そして自分も写っている。

「こんにちは〜」
推しは朗らかな笑顔で挨拶してくれた。

「コ、コンチワ…」
蚊の羽音の方がまだでかいぐらいの眇眇たる声量で挨拶を返す。
恥ずかしくて画面を見ることが出来ない。

あかん、何話せばいいかわからへん。

手元に用意した箇条書きの話題は何の役にも立たない。

5秒程沈黙が続いた後、推しが気を遣ってくれたのかグッズについて話しを始めてくれた。

「こちら、もうご覧になられました?」
「あ、はい」
「今回かなりこだわった作りで、私自身も色々案を出したんですよ〜」
「あ、はい」
「特典にもこだわって、出来るだけ皆さんと触れ合いたくて」
「あ、はい」
「今回はビデオ通話ですけど、次があるなら是非実際のイベントにもお越し頂きたいです!」
「あ、はい」
「今回のグッズも楽しんで頂けたら幸いです」
「あ、はい」
「それでは、ありがとうございました〜」
「あ、ありがとうございました。」

完敗だった。
別に勝負のつもりで臨んだ訳じゃなかったし、
何が勝ちで何が負けなのかも分からないが
とにかく完敗だった。

そりゃ今までこういう事を避けてきた自分がいきなり相手を見て流暢に軽快にトークをかませる訳でもない。

ただせめて、
「応援してます」だの「頑張ってください」だの一言ぐらいは伝えられた筈だ。実際、何も言えなくてもそれぐらいは言うつもりだった。

しかし意を決して自分の正義に逆らった男の末路は、挨拶・相槌・お礼を発するだけのbotと化しただけだった。

自分の殻を破ったつもりが抜け殻みたいになっちまったってな、ガハハ!

30分間放心状態で頭の中に過った言葉はこのぐらいだった。

ただ、事態は好転することになる

数日後、折りを見て後輩に特典を利用した事を報告した。
彼は嬉しそうな顔で、「え! 通話したんですね! どうでした?!」
キラキラしている。眩しい。これが陽のオタクのエネルギーなのか。

「結果から言うと、『あ、はい』しか言えなかった」
「え、そうなんですか…。因みに時間はどれくらいだったんですか?」
「30秒だったんだけど、」
「え! 30秒! 長ーい!」

こいつの感覚どうなってんの?

いや、これが当たり前なのか?
今までこういう経験がなかったから、相場が分からん。
もしかしたら普段推しに会っている人たちは30秒以下の更に限られた時間で想いを伝えたりしているのかもしれない。
そう考えるとすごいな、その姿勢は見習いたいなと感じる。
と同時に、推しに認知されたくないという気持ちが薄れていた事に気付いたのだ。

もし可能なら、リベンジをしたい。
次こそはもっと上手に話してみせる。
なんならリアルイベントにも参加しにいくぜ!
ぐらいの気概だ。

今回は始めてのことだらけだったので自分の主観でしか語れなかったが、もしかしたら推しに対して「あ、はい」しか言えなかった人は思ったより多いかもしれない。

そんな人たちの中にもし「もっと推しと話したい、想いを伝えたい」と思う人がいれば、私は全力で応援したいと思う。

以上。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?