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"一方的にパーソナリティを把握されている"という違和感 / 推しからの認知

数ヶ月前、推しとビデオ通話して「あ、はい」しか言えなかった話を書いた。

要約すると「推しに認知されるのが死ぬ程嫌だったけど勇気を出したらなんとなく克服できた」みたいな内容で、認知されたくない理由として「オタクたるもの慎ましくあるべきだ」という心持ちがそうさせると記事の中では書いている。

なんか最近になってもっと別の本質的な理由があるんじゃないかと気付き始めた。上述の理由は間違ってはいないんだが、そもそもはこの「認知される」という行為自体に抵抗がある気がする。

何故こう思い始めたかというと、暫く放ったらかしにしていた前の名義のアカウント(諸事情あって鍵垢)を色々と整理している内に「鍵垢」というシステムに対してふと違和感が生じたことが発端だった。

向こうからは見られないのにこちらから一方的に情報を閲覧できるの、怖くね? マジックミラーかよ。

まぁ要は一方的に誰かの情報を得続ける行為がなーんか気持ち悪く感じたのだ。

例えば前名義の鍵垢時代にフォローしていた人を今の公開アカウントでフォローして、割と会話をするような仲になったとする。
そうなると「初めまして」の状態なのに既に自分は相手の事を割と知っているという異質な関係性が生じてしまう。

これを推し*とファンの関係に置き換えると、
(*ここでいう"推し"とはアイドルとか声優とか、そういう芸能やネットで有名な方々だと思ってほしい)

推しからしたら相手は「ファン」という情報しか知らないのに、ファンからしたら「推し」のパーソナリティはかなり詳しく知っている状態である。

なぁ、どこの誰かも知らん奴に自分のことをめちゃくちゃ知られてるの怖くね?

いや、そりゃあ推しからしたらその職業や立場だからこそ自分の情報を公開して、伝えて続けていってるのは分かる。というかそうじゃなきゃおかしいし。

仮に自分がアイドルかなんかで、芸能活動を頑張って続けた故にファンになてくれた人が自分の事を詳しく知ってくれているのはとても嬉しいと思う。
感謝しかないし、それで頑張れることもあるだろう。
決してファンの事を「自分の知らない奴が自分の事をかなり知っていて気持ち悪い」なんて思わない。思うはずがない。

しかし、そういった前提をしっかり重々かなりウルトラスーパー分かって承知している上で私はその違和感を感じてしまった。

自分が推しに認知されたくないという心理の本質は「自分だけが相手の事を知っている状態で接触する」という行為を行う自分自身に対して気持ち悪さを感じていたからなのではないか?

「オタクたるもの慎ましくあるべきだ」という持論も嘘ではない。嘘ではないんだが、やはりそれはかなり表層的な理由でしかない。
自分の行為を自分で許す事が出来なかったんだろう。

そう思うとすっげーーー腹落ちした。

推しとのビデオ通話を終えて、敗北感に苛まされつつも「認知されたくない」という意識が薄らいだのは、会話する事によって自分が「許された」と感じたからではなかろうか。なんとなくそう思う。

今回の話を見ている方にもし「認知されたくない」と思っている方がおられたら、ひょっとしたら上述の心理が作用しているのかもしれない。
それに気付いて心が少しでもスッキリされたなら幸いです。









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