結婚式が苦手な話

人生で計4回程しか出席した事がないが、結婚式が苦手だ。
友人や親族を祝う事自体は問題ない。寧ろ仲が良かったり、幸せになって欲しい人ほど祝いたいとすら思っている。
ただ、正確に述べると披露宴のシステムが苦手なのだ。

なんか、あんなキラキラしたものしかない世界、この世にあるのか?あっていいのか?と思ってしまう。
新郎新婦の馴れ初めや、親への手紙、友人達の精一杯の余興など、とても綺麗な世界過ぎる。

自分みたいな人間がこの空間にいても良いのかと思ったりするし、物事を美化しすぎなのでは?と疑念を抱いてしまったりする。

披露宴の演出や構成などは、一生に一度あるかないかの晴れ舞台にこれから共に伴侶となる者同士やプランナーの方が一生懸命考えて、悩んで、どうやったら出席者に楽しんでもらえるだろうか、どうやって日頃の感謝を伝えようかという理想を形にしたものだとは重々承知している。
苦手とは言えど、私はその気持ち自体を決して否定したくはない。
だから私は私なりにお祝いをしようと思って出席をしている。
苦手という意識を持ってるなら招待状の「はい」の欄に丸を付けてんじゃねぇよって話だからだ。

しかし、私が披露宴に対して苦手意識を持っている事は事実である。
これから先また誰かの結婚式に出席する為、精一杯祝う為、この気持ちに折り合いをつけたいとも思っているが、どうしても綺麗すぎる世界を心が受け付けてくれない。

例えば、新郎新婦同士で日頃の不満をラップにてぶつけ合いディスり合うフリースタイルバトルなどをやってもらえたらとても好感が持てるし、いいぞもっとやれという気持ちになる。
ブーケトスをする際、ブーケの中にドローンを仕込んでおいて、誰かがキャッチする直前に上方に飛んでいき、「ブーケに頼るな! 自分で幸せを掴め!」と新婦が叱咤する演出をするなら最高だ。

そんなのてめぇが捻くれて拗らせてるから考えちまってるだけだろと言われたらそれまでだが、なんかなぁ。100%の幸福なんてないと思っているので、人はどこかしら誰かに対して悩みや不満を抱えているだろうし、それこそこういった場でこそ発散するのが許されるのでは?

要は式が行われるまでに発生したであろう当人達にとって良くない事を完全に端折って良きと思われる事だけを表現している演出に違和感を持っているのだと思う。
清濁併せ吞んでこその人生だと思っているので、清い部分だけを出すのは濁った部分を否定してしまっているのではないか?

神父さんにも言われるじゃん、病める時も健やかなる時も、って。
しかし披露宴は健やか成分でしか構成されていないので、もっと滅茶苦茶にやって欲しい。
別に招待はされど、私の為の式ではないと分かっている。別に私が苦手に思っていても、当人達が幸せならそれはそれでいい筈だし。

この先私が結婚するかは分からない。
しかしもしそうなったとして、式を挙げる運びになった際は、エンタメ感覚で滅茶苦茶なものにしてやろうと考えている。
その方がすっきりしたものになると思うので。

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