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二・二六事件を考える⑥決行命令を受けた下士官たちの反応

「二・二六事件を考える」記事


https://note.com/shreenine/n/n7a28a276c41d


二・二六事件の前夜である2月25日夜、蹶起部隊の中核となった歩兵第一連隊所属の栗原中尉は、大量の弾薬を入手すべく、兵器係の下士官をたばかって兵器庫から武器弾薬をかすめ取ることに成功する。

蹶起将校らを裁いた特設軍事法廷裁判の判決文にはこうある。

十一時頃、連隊兵器委員助手歩兵曹石堂信久を銃隊室に招致し、林八郎(少尉・決行メンバーの一人)とともに拳銃を擬して同人を脅迫し、よって小銃、機関銃および拳銃各実包を弾薬庫より搬出し……

拳銃で脅され、致し方なく兵器庫の弾薬を反乱軍の手に渡した石堂軍曹は、後にピストル自殺を遂げている(自決の原因は不明)。

二・二六事件の実行計画が本格的に立ち上がったのは、2月22日。この段階では大尉クラスの首脳陣しか知らない。26日に歩兵戦力を率いて重臣らを襲撃する計画を実行役となる中尉・少尉クラスの将校に伝えたのが、23~25日の深夜にかけてであった。秘密保持のためギリギリまで打ち明けなかったのである。

蹶起では千五百名近くの下士官兵を引き連れてゆくことになる。将校たちは、兵を束ねる下士官をまず味方につける必要があった。とくに、兵の大半を占める初年兵(その年に入営したばかりの新人兵。一月十日入営だから、まだ一か月しか経っていない)の教育係である上等兵の掌握が不可欠であった。

上等兵らに対しては、昭和維新の精神訓話を通して常日頃から革新思想の注入に励んできたものの、同志とまではいかなかった。だから、重臣殺害計画を打ち明けたところで彼らがついてきてくれるかどうかは微妙であった。

栗原中尉の命令で首相官邸の襲撃作戦に参加した銃隊の倉友音吉上等兵の手記にはこうある。

「倉友上等兵参りました」そういうと、栗原中尉は瞬間ためらっていた様子だったが、「倉友上等兵、教官(栗原のこと)と一緒に死んでくれ」といった。突然のことなので驚いたもののすぐ「ハイ死にます」と答えた。

上官に突然「一緒に死んでくれ」といわれ、すぐ「ハイ死にます」と答えられるところなど、民間人にはまったく想像も及ばない軍隊ならではの特色があらわれていて興味深い。現代のわれわれにとってもまったく理解しかねるが、軍隊とはそのような世界であった。

同じく蹶起部隊の主戦力となった歩兵第三連隊でも、安藤輝三大尉ら中隊長が下士官の掌握に腐心した。これまた決行直前になって伍長や上等兵らにすべてを打ち明けて従軍させるわけだから、どっちに転ぶかわからない。

25日午後8時の点呼後に安藤中隊長に下士官が呼ばれたときのことを語った奥山灸治軍曹の言葉を紹介する。

安藤中隊長は、いつもと違った緊張した顔つきで、おもむろにいった。
「明二十六日早朝、午前五時を期し、皇国の将来を憂え、昭和維新を断行する。ついては、要路の顕官、重臣を襲撃に他の中隊も出動するが、当六中隊は侍従長鈴木貫太郎閣下の襲撃を担当する」
中隊長の命令は詳細な作戦計画に移っていった。異見や不服を申し出る下士官は一人もいなかった。
いよいよくるときがきたと私は思った。きびしい軍律のもとで、集団生活を営んでいるのだ、命令を拒み、不参加の意志を表明することなど、とうてい不可能だと判断した。一人として不服を申し出るもののない下士官たちは夜を徹して準備をすすめた

※松本清張『二・二六事件』より引用

安藤大尉といえば、土壇場になって決行の決意表明をした思慮深い将校として知られる。自分の給料の一部を兵隊に分け与え、困窮する実家に送金させていたというから、人情に厚く多くの部下に慕われる徳望家でもあった。そのような人格者だから、共鳴してついてくる下士官も多かったのだろう。

計画の中身を全部打ち明けて賛同を乞うた安藤大尉とは対照的に、一中隊の坂井直中尉(中隊長代理)は、策を弄して下士官兵を蹶起軍へ引っ張ろうとした。

以下は、第一中隊木部正義伍長の談話。

坂井中尉はわれわれ下士官にいった。ー三宅坂付近に暴動が起こった。部隊は暴徒鎮圧のために出動する。これには歩三だけでなく。歩一、近歩三(近衛歩兵第三連隊)など在京部隊が全部出る。わが一中隊は斎藤内大臣の私邸を警備に行くー。
私たち下士官の任務は、すべての斎藤内府邸内外の警備で、私の任務は、同邸に近い省線ガード上の警備であった。
この話が終わってから、坂井中尉は、このことは矢野中隊長にも報告するといっていた。だから私たちは、中隊長もあとから来るものと思っていた

※松本清張『二・二六事件』より引用

「暴徒鎮圧」という軍命令が出たとなれば、下士官兵は従うしかない。しかし実際には命令内容とは真逆の軍事テロに参加させられることになった。

反乱将校に共鳴して従う者、何となく事情を察して同行する者、純粋に軍命令だと信じ込んだ者。決行に加わった下士官の行動原理はさまざまであった。










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