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近現代史で大事な、「知識」より「常識」

近現代史の理解で「知識」が重要なのはもちろんですが、「常識」的な感覚が働くかどうかも大きなウェイトを占めると考えています。

一般常識に照らして「おかしい」と感じ取る感覚がどれだけ働くか? ということです。 

いわゆる「通説」にぶつかったとき、「何かおかしい」と感じるか、それともすんなり受け入れられるか、この感覚の違いで、近現代史の門をくぐった先に広がる風景がまったく違ったものに見えてくる、そんな気がします。

前回、「歴史修正主義批判」について思うところを述べました。

「歴史修正主義者」というのは、通説に対して「何かおかしい」と異を唱える人たちのことだと思っています。

その「おかしい」は、とても素朴な感覚から発せられるもので、学問や知識の有無は関係ありません。

第二次世界大戦後の「戦勝国史観」を否定するような論調は「歴史修正主義者」の烙印を押される可能性があります。つまり、「戦勝国の公式見解」が絶対であり、敗戦国の立場を少しでも弁護しようものなら「侵略戦争を肯定する危険人物」とみなされ激しく排撃されるという、そんな多様性なき言論状況が戦後長く続いてきました。

「歴史修正主義」なる歴史観はどのような背景から生まれたのか。この言葉がさかんに使われるようになるのは、ルーズベルト大統領がなくなって第二次世界大戦も終わった1946年以降、アメリカ歴史学界において開戦決断とその経緯を巡る論争が加熱するようになってからです。

「ルーズベルトは日本軍の真珠湾攻撃を知っていたのではないか」とする噂が戦中のアメリカ国内で広まるようになり、戦後まもなくアメリカ議会はこの問題を調査するための委員会設置を決定。共和党と民主党からそれぞれ複数の調査委員が任命され、党派を超えての合同調査が実施されました。

調査結果では、「日本の外交暗号の解読成功により、アメリカ政府は日本側の外交方針や軍事行動を予測できる状況にあったこと」「日本軍が真珠湾に並々ならぬ関心を寄せていた事実をアメリカ政府や軍首脳は把握していたこと」「日本が交渉を打ち切り、戦争準備に入った情報が、日本側の外交電報暗号を傍受した11月27日時点でホワイトハウスに届いていたこと」といった事実が公表され、ルーズベルト政権(当時)の好戦的な対日強硬姿勢や真珠湾攻撃への対応のまずさが露見されたのです。

ルーズベルト政権は、日本軍による真珠湾攻撃を事前に察知していた。にもかかわらず、キンメルらハワイ防衛の司令官たちに何ら警告しなかった。そしてわざわざ彼らを危地に陥れ、犠牲者が三千名も出る災禍を招いてしまった。

なぜ、ルーズベルト政権は日本軍の攻撃を察知しながら、前線の指揮官に何も知らせなかったのか? 軍事行動を予見してから攻撃まで日数はあったのに、なぜ対処らしい動きを一つも見せずみすみす攻撃を許すような事態を招いたのか?

このような当然すぎる疑問が歴史学者たちを突き動かし、ルーズベルト政権の政策や外交に関する研究調査が活発に行われました。その結果、戦前戦中には多くの国民が知らされなかった新事実が次々と明るみになってゆきます。その中には、「戦勝国アメリカ」にとって都合の悪い情報も少なからず含まれていました。

ただ、ルーズベルトが政権ぐるみで日本を戦争に追いやったとする「ルーズベルト開戦責任論」は、決してアメリカ国内の歴史学界の主流になることはありませんでした。学会で主流を占めるのは「アメリカは枢軸国であるドイツ・日本を打倒し、世界に平和と安定をもたらした」とする通説です。そんな「正統派歴史学者」たちから、ルーズベルトの開戦責任を追及する歴史学者は「リビジョニスト(修正主義者)」と呼ばれ、激しく非難されました。「悪意に満ちた陰謀史観」と切り捨てられ、出版の妨害や個人の評判を貶めるような人格攻撃を受けるなど、その冷遇や排撃のありさまはひどいものだったようです。

戦勝国史観は、戦後アメリカの国際的地位を支える論理でもあるため、それは強固な岩盤そのものです。ルーズベルト政権の開戦責任を問う学者たちが舌鋒鋭く批判しても、それは縫い針で岩盤に穴を開けるような無謀な試みだったのかもしれません。

「日本軍の行動を察知しながらハワイ防衛の司令官に警告をしなかったのはおかしい」と考えて真相究明に動くのは、ごく素朴な感覚であり、常識的な感覚から起こったものではないかと思います。

戦後のアメリカで「歴史修正主義者」とののしられた人たちも、みなアメリカ人です。自分たちが発表する学説や研究成果がいかに母国に都合が悪いか、祖国の顔に泥を塗ることになるか、想像できなかったわけじゃないでしょう。それでも、一学者として見過ごせない事実に突き当たったからこそ、動かないわけにはいかなかった。その行為が、たとえ愛する母国に弓を引く「告発」になったとしても。

歴史修正主義者と罵倒されても、その論が異説・邪説だと非難されても、おかしいことはおかしいと言う。日本やドイツには確かにおかしなところがたくさんあった。けれど、それはアメリカにもあったし、イギリスや中国、ソ連に対しても同様のことが言えた。戦勝国側にあったおかしい部分を指摘するのは、何も自国の過剰弁護や無反省からくる態度ではないし、侵略や戦争を肯定したいからでもない。一般常識に照らしておかしいからおかしいと言っているのです。

戦勝国史観による制約は敗戦国日本においても強烈です。歴史学界の主流を占める学説もそれに沿ったものになりますし、これに反すれば歴史修正主義のレッテルを貼られ、冷や飯を食わされる憂き目にも遭うんじゃないでしょうか。もちろん恐れず言論活動や著述活動を展開する学者もいますが、「おかしい」と感じながらも、学閥や学会などの手前、公の言論や著述では出さないようにしている学者もいるのではないかと想像されます。主流からはみ出して日の当たる生活をするのが難しくなるのは、どの世界にもある話ですし、学会やジャーナリズムの世界も例外ではないでしょう。

「おかしい」と思っても言えない。立場のある歴史学者や文化人、ジャーナリスト、政治家などはそのもっともたる存在です。だから、立場もしがらみもなく自由に発言できるはずの国民に私は期待したいわけです。まあ「変な人」扱いされることはあるかもしれませんが、多様性の時代だからいいのではないでしょうか。市井の人間一人ひとりが自分なりに調べて自分なりの歴史観を持ち、各々発信していくのが当たり前の状況になれば、風向きは変わります。政治の世界は言うに及ばず、学会だって世論の影響は受けるはず(こんなこと言うと学者さんから怒られるかもしれませんが、そんなものだと思います)。一人ひとりの「おかしい」が集まって世の中が動くのは民主主義のかたちとして理想だといえます。そのためにはまず「知る」ことですね。知る機会が本当に少ないから、こうした場が少しでも力になればいいと思っています。

「おもしろい」「受けたい」ばかりがもてはやされる現代ニッポンですが、「おかしい」ともちゃんと向き合う世の中になればいいと願いつつ、これからも発信してゆきます。
























  


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