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「戦争責任」は問題にして「敗戦責任」は問わない日本人とは何なのか

どの言葉が好んで用いられているか。その場所から、日本人の「美学」がみえてくる。

いや、これを美学と呼んでいいのかわからない問題はあれど、私たち日本民族の安住の地がそこにあるような気がしてならない。

先の大戦についてのことである。

世界のいろんな国を敵に回して戦った、父祖たちの戦争について、今を生きる私たちが語るとき、やたらと幅を利かすのが「戦争責任」という言葉。

日本人はこの「戦争責任」が大好きだ。好んでこれを用いる。あと「加害責任」も大好きだし、「不戦」「非戦」もいっぱい持ち出してくる。

これらのワードがことのほか重大視されるのは、間違った判断をした昔の指導者たちの責任を追及する姿勢があり、二度のあのような悲惨な過去は繰り返さないことを誓う反省の意思表示になって、いずれも戦後日本を支える基盤となる価値観だからだろう。

「戦争責任」は戦後の言論空間をと日本人の思考を占拠した。それが行き過ぎるあまり、もう一つの大事な反省軸が失われてしまったことに気づかないだろうか。

そのもう一つの反省軸とは、「敗戦責任」だ。

「敗戦責任」を口にする人は、極端に少ない。

なぜ、戦争に敗けたのか? なぜ、負けるような戦になったのか? どうすれば勝ち戦にできたのか? どこをどうすれば、あのような悲惨な負け方にならずに済んだのか?

この議論は不思議なほど盛り上がらない。一番本質的な問題で、その後の日本に欠かせない課題だったと思うのだが、残念ながら日本人の繊細な感性はそこへ向かおうとしない。

よく考えてみると、当たり前のことかもしれない。なぜ戦争に敗けたのかの議論は、危うくすると戦争した判断と行為そのものについては肯定することにつながるからだ。

「何だい君は? 勝てばよかったというのかい? 敗けなければよかったというのかい? そんなこと考えるのは次の戦争に向けた準備かい? 『いつか来た道』に戻ってしまうぞ。そういうところだぞ」みたいな、反戦論者のお叱りを受ける絵が浮かぶ。

「敗戦責任論」は、平和論や反戦論に押しのけられるように片隅で縮こまり、いつの間にか消え失せてしまった。それが戦後日本の言論空間で起きた現象だった。

戦争責任を他国に対しての責任と言うなら、敗戦責任は自国民に対しての責任をどう取るかの問題なのだ。これを蔑ろにしてよいわけはない。

勝つためにはどうすればよかったのか? これを口にするだけで戦争肯定・戦争賛美のレッテルを貼られかねない。戦争責任一色の戦後空間はここまで硬直している。

戦争したのがそもそもの間違いなので、そこを否定さえすればよく、勝ったか敗けたかなどは埒外でいい。

これが戦後日本人の多くが真面目に貫く「正義」になっている。

「戦争責任」に重きを置くのは日本人の美徳なのかもしれない。日本人は謝罪を愛する。反省を愛する。そして責任者を永久追放して、「禊」ができたと固く信じる。いや、無意識に思い込んでいる。

謝罪をした、反省したという儀式が重要なのであって、その中身や、謝罪や反省をした後のことなどどうでもよい、とする国民性がもともとあるのかもしれない。

戦争責任だけを声高に叫ぶのは、いろいろな面で都合がよい。まず戦争を全否定する姿が、道義的で潔く、りりしい。自分は絶対正義の側にいると陶酔できる。

そして何より、否定しているだけのほうが圧倒的に「楽」なのも大きい。戦争悪うござんしたという考えに対して誰も反論してこない。その言葉さえ口にしていれば何もかも成立してしまう。

戦争はなぜ起きてしまったのか、本当に防げなかったのか、そこに至るプロセスにどんな間違いがあったのか、戦争突入はやむなかったとしても、どうすれば勝てたのか、そして、同じ過ちを繰り返さないための方策には何があるか、これらをしっかり考え、合理的科学的な結論を導き出し、実践までもっていくのは、正直くそ面倒である。

見たくない現実には蓋をして、楽なほう楽なほうへと流れ続けた結果、今の落ちぶれた日本があるという現実も直視したほうがいい。

大国同士が角逐する世界規模の戦争は、第二次世界大戦以降起きていない。不戦の誓いを立てた日本も当然ながら戦争せず今日まできた。確かにミサイルやら魚雷やらを打ち込んで派手に殺し合う「軍事戦争」な鳴りをひそめた。けれど国家間の競争はなくならない。限られた富と資源を分け合う生存環境のなかで、異なる文化圏の国同士がひしめき合う以上、搾取と争いはあり続ける。血を流す戦争さえなければ平和だと思い込み、「経済戦争」や「情報戦争」に衣を変えた戦いの渦中にある自覚もなく、悲劇や犠牲者が生まれ続けている問題は間違いなくありながら、いまだ目覚めない日本人とはいったい何なのか。

コロナの感染者は減ったが、緊急事態宣言は本当に効果あったのか、そもそもコロナ騒動とは一体何だったのか、何の検証もないまま、もう飲みに行けるからいいやみたいな雰囲気になっている。そういうところだぞ。




 










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