わたしたち日本人の祖先は、大きな戦争をすると決め、戦った②「瀬戸内海のさざ波、太平洋の波濤」

海に囲まれた日本は、国の守りを考えた場合、強い海軍力を持たなければなりません。海軍の軍港は日本の海岸の要所に点在しましたが、なかでも瀬戸内海の柱島には、連合艦隊の船が停泊する大きな港がありました。

そこには、大砲を持った戦かんや、護衛の役目を持つ巡洋かん、小回りの利く駆逐かんなど、大小さまざまな船が出入りして、日本の守りを固めています。重厚に装備された軍かんの一群が、整然と規律正しく航行する姿は、威容があり、勇壮に満ちています。その連合艦隊の代表をつとめる戦かんが、明治のころより活躍してきた『長門』です。

昭和15年の9月末、ひんやりとした空気が潮風に混ざるころ、長門のデッキ上には、険しい表情を浮かべた山本五十六司令長官が立っていました。

長官の心境は、目の前のおだやかな波間とは対照的に、ひどくざわついています。それもそのはず、山本長官はじめ、海軍があれだけ強く反対した三国同盟の成立を、政府が認めてしまったのです。

いまヨーロッパで激しく戦争しているドイツ、イタリアと同盟を結ぶ。これらの国は、イギリスやアメリカと敵対関係にあります。つまり日本のとった行動は、イギリスやアメリカに喧嘩を売ることに等しいのでした。

正式に決定される直前、山本長官は、海軍大臣に事情を聞くため上京しました。このときすでに、大臣は三国同盟に賛成する腹づもりでした。この、危機感が足りずちっとも腰の据わらない大臣に、山本長官はこう詰め寄りました。

「ドイツと手を組めば、米英を敵に回すことは避けられません。さて、船を動かすには油が必要で、現状わが国はそのほとんどをアメリカに頼っています。戦争物資も、欧米圏である東南アジアからまかなっているという有りさまです。こんな状況で、どうして戦争などできるのでしょうか。どうして戦争に勝てるといえるでしょうか」

山本長官に問い詰められても、大臣は力なく、「決まったものはしょうがない」とつぶやくしかありませんでした。

「これは大変なことになったぞ……。」険しさと悲愴さが入り混じる表情で、山本長官は周囲にそうもらしました。

「もはや日米戦争は避けられない。とてもいまの海軍の戦力、戦備、作戦計画では戦えない。いざ戦争が起きたときに備え、少しでもまともな戦いができるようにしなければ」

陸軍の計算では、ドイツとの同盟により、アメリカの動きをけんせいできるはずでした。ところが、アメリカは大人しくなるどころか、日本に対し、鉄鋼やくず鉄の輸出を止めると言い出してきたのです。陸軍の思惑は、見事に外れたことになります。

山本長官は、以前、武官としてアメリカに駐在していた時期があります。そのとき、アメリカの国力を目の当たりにして感じたことは、「日本はぜったい、この国と戦争してはならない」ということでした。

アメリカは、巨大な穀倉地帯と油田を持つ、資源に恵まれた大国です。工業力が非常にすぐれており、自動車を大量に生産する動力システムの確立にも成功していました。豊富な資源と、高度な機械化は、この国がいかに物量を誇るかの証明でもあります。何より、戦争になれば、この底知れぬ国力を総動員してくるわけですから、立ち向かう国はひとたまりもありません。

一方の日本は、耕作面積も限られていれば、資源もありません。機械化という面でいえば、産業的にも軍事的にも立ち遅れています。冷静に分析してみると、日本がアメリカに勝る点など、どこにも見当たらないのです。

『長門』とともに、瀬戸内海の波間に立つ山本長官の視線には、どこまでも青々とした海が広がっています。前方には、澄んだ青空にくっきりとした稜線を描く四国の連峰が、あざやかな秋化粧をみせています。しかしどうでしょう、アメリカと開戦となれば、日本の美しい自然も、整然とした街並みも、たたでは済みません。星のしるしをつけた爆げき機が、空一面を覆いつくすほどに飛来してくるかもしれない。そうなると日本の国土は、焦土をまぬがれないでしょう。多くの民間人が犠牲になる地獄絵図も、覚悟しなければならないでしょう。

アメリカの国力をもってすれば、それは決してむずかしいことではありません。釣り好きの山本長官は、本当ならおだやかな波間に釣り糸を垂れ、魚が勢いよく引くのを楽しみたいところです。しかし、いまはとても、そのようなのんきなことはしていられません。せめて山本長官と同じくらい危機感を持つ人が、政府や軍部にたくさんいてくれたらと思うのですが、残念ながらほとんど見当たらないのが現実でした。

町を歩けば、すでに戦争の影をみることができます。昭和12年7月にはじまった日中戦争により、日本では戦時体制が敷かれていました。

戦争では、たくさんの食糧や燃料が必要です。大陸へ渡った兵隊さんたちはは、国を背負って戦っているわけですから、お米なども優先的にそちらへ回されます。当時の家庭は石油ランプが主流でしたので、無駄な灯りは固く禁じられました。

国内にあるお米には限りがあるので、兵隊さんたちが食べる分が足りるように、家庭で使うお米は制限を受けました。量だけでなく、お米の値段も、国が決めたものにしたがわなければなりません。中国との戦争が長引いたために、国民生活が犠牲になる状況が続きました。

新聞を開いても、勇ましい主張ばかり目立つようになりました。そこには軍の意向も確かに働いていましたが、なにより、そのほうがよく売れたというのが実際のところです。当時の新聞人たちは、戦争を防止することより、自分たちの商売を優先したと言われても、仕方ありません。

報道の影響か、イギリスやアメリカに対して強硬論を述べる国民も、ちらほらみられるようになりました。非常に過激な主張を述べる、愛国青年のばっこも、このときすでにみられていた現象です。三国同盟に反対していたときの山本長官は、陸軍の息のかかった愛国青年に脅迫されることも、一度や二度ではありませんでした。

山本長官には、日本がどんどんおかしな方向に傾いていくさまが、痛いほど感じられました。

陸軍も新聞も国民も、アメリカの実力を知らずに好き勝手なことばかり述べていますが、アメリカとの戦争になったとき、正面から迎え撃つのは海軍の役目です。なぜ世間は、アメリカと実際にぶつかる海軍の意見を無視して、陸軍の顔色ばかりをうかがうのか、山本長官からすればまったく理不尽な思いでした。

「アメリカ? そんなの、帝国軍人たちが蹴散らしてくれるさ」

「そうとも、そうとも、女が威張り散らしている国が強いわけがない」

そんな無知な言説も飛び交うほどでした。

陸軍と海軍の仲がうまくいかないのは、ほんとんど軍の宿命といってよいかもしれません。これは日本に限らず、世界の軍隊でみられる共通の現象といえましょう。しかし、日本の場合はとくにそれが露骨過ぎました。そして、その弊害が、開戦の間接的な引き金となり、敗戦の一因ともなりました。

山本長官も、根っからの陸軍きらいでしたが、日本の陸軍と海軍はどうしてこうも、仲が悪くなったのか。日露戦争のころまでは、車の両輪みたいにかっちりかみ合い、うまく回っていたはずなのに。

まだロシアという強大な敵を向こうに回していたとき、小さな国の日本はひとつにまとまる必要がありました。戦争の勝利によってその脅威が取り除かれ、世界の大国と認められるようになり、平穏な日々を手にしたとき、何かが変わりはじめたのです。

予算や権限などをめぐって、陸海軍の対立が次第に深まるようになりました。とくに陸軍のほうは、政治的な野心を抱く勢力が伸張し、政府の政策に堂々と介入する動きもみられました。政治機構に侵食した陸軍に対し、海軍は次第に遅れを取るようになります。共立すべき軍組織のはずなのに、まるで違う国の軍が同じ国にあっていがみ合うような、非常にやっかいな関係となっていきました。

見落としてはならないのは、陸軍と海軍の対立は、皮肉にも、国内が平和な状態にあるときに、静かに育まれていったということです。戦争の種は、平和なときに蒔かれるものだと、いまを生きる私たちも肝も銘じておく必要があるのではないでしょうか。

亀裂が入った米英との関係を、外交努力によって修復することは、政府にとって当然の仕事です。同時に、最悪の事態も考えはやめに手を打つことも、国家としては必要でした。戦争というものは、両国の関係が最悪の状態になって、さあやるぞと準備するものではありません。戦争は起こるものと事前に想定しておいて、作戦を練り、シミュレーションを繰り返し、補給の計画も立てるなど、もろもろの準備に取り組んでおかないと、いざというとき身動きが取れなくなります。

最悪、日米戦争に発展した場合に備え、勝つための作戦プランを練り上げることが、海軍の課題でした。その役目をおうのは、連合艦隊という、海軍の精鋭部隊を体系的にとりまとめた組織のトップをつとめる、山本五十六大将にほかなりません。途方もない国力を持つアメリカを相手にするならば、向こうが予測もつかないような、斬新で大胆な作戦でなければならない。平凡な作戦では、あっという間にやっつけられてしまいます。

海軍が持つのは、大砲を取り付けた大きな船ばかりではありません。鋭い動きで上空を制圧する戦闘機や、空から爆弾を落とす爆げき機、海上の船を撃沈させる魚雷を積んだ雷げき機なども、大きな武器です。そんな精鋭機を持つ海軍航空部隊は、基地から、あるいは空母と呼ばれる飛行機搭載型のかん船から、さかんに飛び立ち、激しい訓練を日々行っていました。

山本長官の頭のなかには、轟音を響かせながら飛び交うあの飛行機で、アメリカの巨大な船を、飛行場のある基地を、木っ端みじんに破壊できないか、計算が働くようになっていました。



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