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お酒について#54

複数の法人様からお仕事を頂いているワタクシめでありますが、それは1社、2社では食べていけないわけでありまして、仕事というものは取引先が多いに越した事はないわけであります。

さて、ワタクシめが請け負う(先ほどから『ワタクシめ』などと言う言葉使いは、江戸川乱歩【人間椅子】の主人公が自分の事を指し示す真似でありまして、今日はそのキャラクターが憑依してキーボードを叩いているというよく分からない設定を了承していただきたいのでございます)仕事は大まかに2つのタイプがありまして、1丸投げタイプ、2プロデューサー付きという名前で分けられましょう、この話は後々前回の料理の話に繋がると自分を信じたい。

丸投げ。アタクシめから見ると「丸投げられている」という受け身になります。気楽であります。ただ、セルフプロデュースの結果仕事が途切れたら自分が至らなかったという結果であり、無言のサヨウナラの可能性がある、ビジネスライクな、ドライな、デジタルな性格を内包している仕事と言えましょう。

プロデューサー付き。プロデューサー、監督、総合演出、デレクター、言い方はなんでもいい、とかく口を出し、その人の世界観を反映させた仕事をしなくてはならない、映画の撮影現場、TV番組やCMの撮影現場を想像するとわかりやすい、カメラ機材、照明機材、音響、それぞれ専門担当を持ちつつ、そのグループの長、監督、監督がいなければプロデューサー、デレクターが指揮者となって舞台、映像を作り出す。

かの有名な広告写真家アーヴィング・ペンも最初は雑誌ヴォーグの新進気鋭のアートデレクターにビッシビッシ鍛えられてその世界観を創り上げて行ったのであります。(見たわけではないですが)

とかくフォトグラファーという存在は孤高で自我が強くそれを撮るためは命はいらないみたいな土門拳的印象が強いと(もちろん作家系もいる)思われますが、実際、写真、映像撮影で食べている人は依頼主の意向を最大に尊重する、賃金が発生する以上、設計図から建築物を建てる厳密さはいらないが、大まかな意図に則った仕事をしなくてはならない。

さて、ワタクシめに付いていただくプロデューサー様、あちこちで幸か不幸か入れ替わりが激しい。いつものように牧歌的気分で現場に到着しますと「担当になりました〇〇です!」と新たな演出家先生が登場する事が珍しくない。

ご多分に漏れず目にやる気がみなぎっていて、その瞬間、今日は簡単に帰れそうに無いなとまず思い、前回までの担当者の行方を聞く事が生きる意味を尋ねているような、雲を掴む、無意味な疑問に転換される空気が充満してくる。

略)なにが略されたか分かりませんが、料理の味が空転する(まずい)という現象はその一つに気合の入りすぎが主な原因であると言えましょう、黒メガネのタモリ氏が番組制作にあたって「やる気のあるやつは出て行ってくれ」とミーティングで話したとかしてないとか、真偽は知りませんが、なんとなく分かる話で、タモリ倶楽部なぞは気合十分のスタッフの発想では作る事ができない肩の力が抜けた内容がウケているわけでありましょう。

そこで「肩の力が抜けた料理」というコピーを置いてみますと、いかもに親しみやすくて朝でも昼でも晩でも、居酒屋でも、それこそレストランでも当てはめられる言葉であります。食パンにピザソースとピーマン、ウインナー、チーズをのせてトースターでチンでも、うまかっちゃんの牛乳煮(それはどうでありましょうか)でも、まず肩の力を抜いて、自我を薄めて、食べる人の気持ちで作ると、おのずと料理と安楽椅子の出来具合は大変よろしくなってゆくのでございますヒヒ・・・。

つづく。

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