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「隙がない女」

先日友人との対話の中で、
ひさしぶりに聞いた、この言葉。

「隙が無いよね」

でた!!あれだ!!
仕事にプライベートに、極めて純粋に真摯に生きている女子が
言われてしまうあの言葉だ!!

もう一つ、ひどいときは以下が続く
「サバサバしすぎ」
「一人で何でもやっていけそう」
「サービス精神ありすぎ」
「恋愛とか面倒だとおもってそう」
「彼氏作る気なさそう」

(ちなみに今回は全部のせでした 笑)

言ったのは、仲の良い男友達だったものだから、
「あははは、いやいや、好きな男にしか隙なんてみせないのだ」(一同笑)と言ってはみたものの、
心臓バクバク、だめだスイーツ注入しないとと帰れない、、と店を後にした。

ここ2年、まあ必死に幼子を2名、完全に1人で子育てして来たものだから、
隙なんて作ろうものなら、もう一家路頭に迷ってしまうところだったのだ!!
と自分自身に言い訳しつつも、
帰りのバスで、「隙が無い 女 特徴」とか調べて、
もう私バカなんじゃないかと、笑えてきた。

そこにはこう書かれていた。
「隙のある女は、『あれ、この子俺のこと好きなのかな』と思わせる女性である」

つまらない!!
なぜ好きでもない男に、自分の人生をつかって、「好き」と勘違いさせないといけないのだ?
と思った瞬間、
「あ、わたし、、こういうところだ!!汗」と思って、携帯を閉じた。


そして、急遽、女友達とその夜オンライン緊急会議(飲み会)をしたのだった。


小さな頃からなぜか自立心が旺盛な女になってしまったが、
でも、私だってそれなりに恋愛もしてきたし、一人でいいとは思ったこともなく。
まあ、焼き肉と映画は一人でも全然可能だけれど、
それは、焼き肉店でアルバイトをしていた経験があるのと、
映画は隣にいる人に気を遣ってしまって、ゆっくり没入できないからという理由からだ。

そして、依存もし、共依存もし、なれの果てに別れも経験しつつも、
ここ数年、真の自立というものを研究してきた。

そして、もがきつつも、実家も含めどっぷりと依存することは叶わなかったが、
友人知人に助けられ、励まされ、すこしずつ助けてもらって
現在の私がいる。

1万円を誰かから借りるのではなく、50円とか100円とか時に500円(ありがとうございます…!)を、
複数人の人から借りるように、
「真の自立」というものは。
誰にも頼らずに生きていくことではなく、
「たくさんの人に上手に頼っていくこと」なのだ、と
周りの皆さんから気づかされたのであった。

緊急会議の相手も20代から知ってる友人だが、それはそれは自立心旺盛というか、
恋愛のプライオリティが上がったことのない子でもあったので、まあ、盛り上がったのだが。
ただ、一つ違ったのは、二人ともすこし歳を重ね、
そういう男性の行動について、一方向からの否定をしなかったということ。

この「隙が無い問題」をジェンダー問題としてばっさり切るのは、
誰にも得がないと思えたし、対話としてつまらないと思えたからだ。

男性と張り合い、虚勢を張るような生き方ではなく、
もう少し、ナチュラルに、女性として生まれた悦びを享受しようという生き方を
探索しはじめてきたので、
そのために「強さ」や「自立」というものはどれだけ必要なのか、という議論になったのだった。

男というものは、やはり何か自分の存在意義を女性の中に求めてしまうものなのだろうか。
そして、女性はやはり強さを男性に求めてしまうものなのだろうか。
守ってほしい、守ってあげたい。
守ってあげたい。守って欲しい。
Human beingとしてのリスペクトは根底にあるとしても、
エッセンスとしては、そういう補完関係にあるのだろうか。
全く否定はしない。むしろ、命として正しいのかもしれない。

これについては答えは出ていないし、恋愛の関係性はいつも一辺倒ではないのだけれど、
だけど、そぎ落とし、作り替え、自身のフィジカルとメンタルの自立の旅をしてきた私としては
今が、人生で一番自由で幸せだと思えるのだ。

ーーー

最近、愛の定義が広くなった。
恋愛も、家族愛も、人類愛も、地球愛も、
なんとなく同じものだと感じている。

同じく、「気持ちいい」の方向もより近くなってきた。
音楽を聴いたときの気持ちよさ、肩もみの気持ちよさ、美味しいごはんとお酒をのんだとき、
だれかとのSEX、全然違う気持ちよさが、
ぎゅーっと真ん中に寄ってきて、同じような感覚に陥る。

40になると、こんなにも楽になるのか、と思ったほどだ。

そして、
誰がいても、誰がいなくても幸せ。
どこへでも行けるし生きていける。
そこで初めて、私は幸せだと思えた。
そのタイミングで、誰か強く惹きつけあえる人と出会えたらなら、
それは、補完にはない幸せな関係なのではないかと思うのだけれど。

まだまだ「愛」を知る旅をしている。
この答えも、10年後にみると青臭く思うのだろう。

そして、もっと体験して、自然体で、笑顔が素敵で、前向きで、
さらに、女とか男とか関係なしに
味わい深い人間になりたいと思うのであった。

私はこれから「隙のある女性」になれるのだろうか。答えはわからない。自分では今も昔も「隙だらけ」だと思ってるからだ。
だがどうやら、その答えはポエティックナ思考の海に漂わせ、言葉遊びに興じるくらいの余裕はあるみたいだった。


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