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圧倒的な危機感をエネルギーに変える作業を日常的にしてきたか〜ヒュウガ・ウイルス 5分後の世界Ⅱ

村上というと春樹さんならたいがい読んだけれど(といっても1Q84くらいまで)龍さんはまったく読んだことがなかったなぁと思いつつ、初めて『ヒュウガ・ウイルス 5分後の世界Ⅱ』を読みました。

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20年以上の作品で、なぜいまごろ本書を読んだのか。(なぜというのは、古いからということではもちろんなくて、そんなこと言ったら古典はどうなる)

先生が「イメージを精神に刻み込む」というようなことを言っていて、そのときに本書のことを言っていたから。

タイトルからも、そして読み始めてからもそのことと内容が一致しなくて、聞き間違えだったかなと思いつつも、それとは別に本作の圧倒的な世界観に翻弄され、感動して読了。

聞き間違えではなくて、ほんとに終わりのほう(そして本作の肝でもある)にそれは出てきて、そしてそこから導かれる

圧倒的な危機感をエネルギーに変える作業を日常的にしてきたか

というメッセージというか問いかけの重みを伝えるために本作は創られたのかな、なんて思ったり。

読んでない人にはまったく伝わりようない感想なのだけれど、ま、そういうことです。

日常的ではないにしろ、自分を振り返ってみるとけっこうあったよなと。

よく生き残ってきたよなと。

そんなつもりもなかったわりには。

最近増えてきたかつての盟友たちの訃報なんかも思い出しつつ。(大半は魔境に堕ちた結果とはいえ)

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それはともかく本作を読み終え、あとがきでびっくりしたのは、たった20日間でこれは書きあげられたということ。

あとがきから引用すると

この小説は「映画『KYOKO』の撮影体験から自由になること」を意識して、96年1月20日から3月10日の、20日間で書いた。

撮影は強烈な体験だった。

「だが、あのくらいのことはいつでも、一人でやれる」

映画と小説が依存しあわないように、自分でそう思う必要があった。

読んだ人ならわかると思うけれど、免疫やウイルス、分子細胞生物学といった専門的な分野の知識、専門用語等が本作の土台にはふつうにあり、そのうえで小説作品としての娯楽性(そしてテーマ)をもたせ、そしてそれをたった20日間で書き上げたということへの驚き。

例の感染症騒ぎのおかげで素人ながらもそこそこ調べ、知ったことは本作の理解や楽しむことにおおいに役立ったと思う。

そして今思うことは、本作のために作者がアドバイスをもらった学者、専門家、そして作者が現状をどう見ているのかということ。

どうなんだろう。

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