自分から開いていかないと世界は応えてくれない〜ダイアログ・イン・ザ・ダーク
去年(2019年の夏)、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(期間限定で開催された夏休み企画)とダイアログ・イン・サイレンスに参加しました。
「ダーク」は視覚障害を持つ方が、「サイレンス」は聴覚障害を持つ方がアテンド役を務めてくれる「ダイアローグ=対話」の機会です。(「障害」という言葉を使うのにはとても違和感があるんですが、これだけdiversityを突きつけられているなかで、これらを個性と認めないことは不自然)
ダイアログ・イン・ザ・ダークでは、五里霧中を通り越したまったくの闇、いや、闇であることすらもはやわからない漆黒の空間でその時を過ごします。(目をつむる瞑想に近い状態ですが、似て非なるものです)
ここで頼れるのは視覚以外の感覚。そして、それらを発動させるための自発的、内発的な動機。
ただそこにいるだけでは暗闇の中で佇むただの存在で終わってしまいます。(そのように過ごすことは簡単です)
自分から開いていかないと世界は応えてくれない。
自分から働きかけないと世界は開かない。
ダイアログ・イン・サイレンスで感じたのは「制約がもたらす豊かさと深さ」。
だからこそ、その制約を乗り越えてでも伝えたい、表現したい何かをもっているか否かが結果に大きく出るなと。(カジュアルに言ってしまえば、自ら楽しむってこと)
「制約」についてはダークもサイレンスも変わらないんだけどね。
どちらも、いわゆる健常者が日常当たり前に使っている感覚を制限することで生まれる、ふだんは無意識レベルで使っている部分を意識にあげる(気功のように)ことが、気づきや創造、あらたな表現につながるということ。
聴覚や視覚、老いといった一般的にネガティブに受け取られるものを強みというか個性として他者に、社会にコンテンツとして提供していく働きかけはユニーク(面白いとかじゃなくて、一意という意味で)で、これからの活動も興味深いです。(ミュージアム等、クラウドファンディングなんかも含めていろいろ進行形だそうで)
とはいえ、例の感染症騒ぎでその後の活動はどうなっているのか。よい流れが生まれていたのに、それが断ち切られないといいのだけれど。
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